2014年07月21日

子どもが自立できる「持続可能な支援体制」を築く file.46 

井田さま.jpg

障害者の就労支援や、発達障害児の教育を事業の柱とする株式会社ウィングル(現:LITALICO)にて
2014年の春から働き始めた井田美沙子さん。
京都大学教育学部で認知・発達心理学を学び、
学習支援のボランティアの経験から子どもや親の支援と、支援体制の構築の必要性を痛感し、
鳥取大学医学部にて臨床心理を研究してきた。
個々の障害や特色に応じた支援が当然かつ持続可能な社会づくりへの
強い使命感の背景に迫りたいと思い、インタビューを申し込んだ。

☆☆☆☆☆

ーー子どもの頃はどんな子だったのですか。

井田(敬称略):エネルギーが有り余っている子どもでした(笑)
親も自由に育ててくれましたし、中学時代は卓球、高校では空手、大学では居合道…と
部活や学校の行事にも積極的に取り組んでいました。
文章を書くのが好きで読書感想文や作文を一生懸命書いていた。
どちらかというと1人で黙々とやるのが好きで、身近にあった「勉強」には力を注いでいましたね。
でも今思うと、目の前に与えられたことには意欲的に取り組んでいたけれど、
自分がやりたいことを見つけて注力できるような、
「様々な選択肢が見えている環境」があればよかったのになぁと。

ーーいつから「やりたいこと」は見えてきましたか。

井田:高校1年の時ですね。
仲良くなった友人が、中学3年のときにいじめられたのを機に転校してきたと知り、
「イジメって誰にでも起こりえることなんだ」とショックを受けたんです。
当時の私は困っている人の話を聴いてあげることくらいしかできなかった。
子どもは自分の置かれた環境に左右されるという事実を目の当たりにし、
子どもと環境の相互作用に興味をもちました。
子どもに関わる仕事を調べ始め、将来は児童福祉司や養護教諭、教育の行政に関わる仕事に就くためには?という視点で、
行政も臨床心理も学べる京大の教育学部を志望しました。

ーー教育学部での研究で印象に残ったものはありますか。

井田:明和政子教授の「胎児・乳幼児の認知発達」の研究室にいたのですが、
ここでの授業は印象的でしたね。
他の授業では抽象的・概念的なテーマが多かったのですが、
先生の授業では、仮説を立て、実験データから発達プロセスを明らかにしていく手法をとっていました。
赤ちゃんの反応を実際に見られるのも大きな収穫でした。
ただ、研究を進めるにつれ、発達や学習の個人差というものに興味を持ちました。
折しもその頃「発達障害」というワードが広まり、
「発達障害とは、他の子とはものの見方が違う」という定義にふれたんです。
「ものの見方が違うだけなのに、なぜこの子たちが困るんだろう?」
そんな疑問を解決したくて、京大の霊長類研究所が運営する「こころの未来研究センター」が募集していた
ボランティアに参加することにしました。
障害をもつ子の認知を解明するための基礎研究をおこないつつ、
個別の学習支援を行うというプロジェクトの一環だったんです。
例えばある子は「耳で聞くより目で見た方が理解しやすい」というアセスメント結果が出たら、
視覚的に学べる教材を親御さんに勧めるという風に。
ささいな工夫で、その子が困らなくなる様子を見て、
「こういうことをやりたかったんだ!」と思いましたね。
ですが、個別の支援を行う中で限界にぶつかりました。

ーー限界ですか。

井田:子どもへの一時的な支援はできても、親への支援は短期間では難しいし、
子どもが将来の自立に向けて必要なものを身につけられる「場」の整備が大事なのではと思うようになったんです。
特に母親へのエンパワーメントがなければ、子どもへの適切な支援は維持されないという課題もあります。
学習に限らず包括的な支援と支援ネットワークの構築について研究したい。
そんな思いから、鳥取大学院医学部の井上先生の研究室にて臨床心理を2年間学びました。
ABA(応用行動分析学)をもとにしたペアレントトレーニングを行ったり
ワークショップを開いたりしていました。

ーーどんなワークショップをされていたのですか。

井田:「親が笑って育児について話せる場」をモットーに、
発達の気になるお子さんの保護者と一緒に、子への接し方を考えていくという内容です。
例えば「1人で服を着られない」という場面において、
親が代わりに着せたり怒ったり…というのではなく、お子さんの様子を観察し
「つまづいたところだけ手助けをする。クリアできたらハイタッチをする、スタンプを貼る」などという一工夫をするだけで、
お子さんは「自分でも着られる!」という成功体験を積み、自信をもてるようになります。
保護者の方が今後の育児に戸惑いを覚えているケースも多いので、
すでに発達の気になるお子さんを大学生になるまで育てた方に育児体験を話してもらうという取り組みも行っています。
「少しの工夫で子どもが1人で『できる』環境を整える」ことが非常に大事だと改めて感じるようになりました。
こうした自立のための支援を受けられるインフラをつくりたいという思いが強まりました。

ーーこうした支援や研究をされる中で、やりがいを感じたことはありましたか。

井田:対人支援でやりがいを求め過ぎちゃいけないなぁと思っています。うまく言えないのですが。
いくら環境を整えても、それを活かせるかどうかは本人や保護者次第。
だから「相手の変化=支援者のやりがい」という図は変だなって。
もちろん関わったお子さんや親御さんが喜んでいたら純粋に「よかった」という気持ちはありますが、
自分の支援のおかげとは思わないですね。
結果が出ない場合に、提案内容を変えて結果が出やすくなるように試行錯誤はしますが、
相手の結果の有無と、支援者のモチベーションは別物だと考えています。

ーー本人の変化はあくまで本人が行動したからということでしょうか。
面白い考え方ですね。
井田さんは親子への支援について、非常にイキイキとした表情で語られているので
そのバイタリティーはどこから生まれているんだろう?と気になっています。

井田:イキイキしているねとよく言われます。
一方で「熱を入れて話す割に、話が終わったら普通に戻っていてドライだね」と言われることも(笑)
「少しの工夫で人が自立できるようになる社会が当然で、特別なことをしているわけではない」という気持ちがあるのだと思います。
「人のため」というより「本来あるべき姿に向かって行動しているだけ」という感じでしょうか。

ーーでは、支援をする中で大変だと感じることを教えていただけますか。

井田:支援において明確な目標を設定しづらいというのを課題に感じています。
支援の成果が見えづらいということとも関係していますが…。
例えば子どもの不登校を主訴とする親子とカウンセリングをする中で
「果たしてこの子が登校できることがゴールなのだろうか?」というケースがあります。
そんなときは本人と保護者それぞれの話を丁寧に聴きながら、課題を整理整頓して、
「どうなると双方が幸せになるのか」という現実的な落とし所を見つけることが大事になってきます。
学校教育は効率的な反面、画一的になる部分が大きいため、
お子さんの個性や特性に応じて「主体的に生きる力」を身につけてもらえるように
「学びの組み直し」を提案するのが自分の役目だなと思っています。

ーー就職先としてウィングル様を選ばれたきっかけは何でしたか。

井田:「持続可能な支援」・「親子、先生、職員に負担がかかりすぎない仕組みづくり」をキーに
就職活動をしていたところ、ウィングルを発見しました。
「世界を変え、社員を幸せに」という理念には
「全ての人が可能性を広げていけるよう社会のシステムを変えていく」という
熱い思いが感じ取れました。
「まさに自分の思いにフィットしている!」と思ったんです。

ーー運命の出逢いだったのかもしれませんね。今後、実現したいことは何ですか。

井田:いずれは指導員の方々が個々のお子さんの指導に集中できるよう、
教材プログラムや成功事例を共有できる仕組みや研修体制、
指導員がすぐに相談できる体制の整備に携わっていけたらと思っています。
まずは、その具体的な種を現場から得ていきたいですね。
今は研修の真っ只中ですが、先輩も同期も積極的ですし、
「やりたいことを実現していくスキル」が非常に高いと感じる日々です。
提案したらすぐにやらせてくれるという風土があるので、彼らからたくさん吸収して
「持続可能な支援体制づくり」への行動を起こしていきたいです。

☆☆☆☆☆

少しの工夫で人が自立できるようになる仕組みを「インフラ」と捉え、
「当たり前のことをしているだけ」と明るい表情で語る井田さん。

お子さん、親、先生、支援する人それぞれが負担なく、ハッピーになれる仕組みづくり。
個々のお子さんに応じた「学習の組み直し」を提案する背景には、
「子どもの頃にもっと色々な選択肢を見られる環境がほしかった」という思いが
秘められているのかもしれないとインタビューの中で感じた。

彼女の太陽のようにまぶしい笑顔と、
社会の課題へと切り込んでいく使命感と行動力に感化され、
多くの人が彼女の応援者となっていくのではないだろうか。
posted by メイリー at 22:25| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

独自の強みで「漢方型メディア」を生み出す聴き綴り士 file.47(後編)


ーーマスメディアへの疑問ですか。

西尾:メディア本来の役割は、社会をありのままに捉えて表現すること。
そこで市民の目線に立った「漢方型メディア」という構想がわきました。
「漢方型」メディアとは、社会の問題に直接切り込む「手術(西洋医学)型」メディアに対して、
地域・社会の免疫力(人の前向きな思いや行動)を引き出して元気にする「漢方(東洋医学)型」メディアを意味します。
本来人に備わっている免疫や自然治癒力を高めるイメージですね。
インタビューで前向きに頑張る人の良さを引き出し、見える化することで、
社会を人体に例えると、前向きなパワーが社会全体にじわじわ効いてくるんじゃないかって。

ーーこの発想力がどこから湧いてくるのか気になります。
ご自身の考え方や生き方に影響を与えた人といえば、誰を思い出しますか。

西尾:祖父の影響はかなりあると思います。
自然染色の第一人者として古代・平安時代の染色技術の復元や宝物の鑑定などをおこなってきた、研究者肌の人でしたね。
一番印象に残っている言葉にこんなものがあるんです。
「競争で一位になるには、『よーい、ドン!』ってなったら人が走りだすのと反対方向に走ることだ。
他の人と同じことをやっても仕方がない」と。
自分だけの道を極めるという気概をもって、自然染色という日本文化の世界一を目指していたのでしょうね。
変化の激しい時代で生き残るには、常に時代の流れを読みつつ、
新しいことに挑戦しないといけない。
彼の生き様は、そういうシビアな現実も教えてくれた。
「人とは違う道を行く」という考えは、僕自身にも染み付いています。
一つの道を突き詰めた人が身近にいたのは恵まれていましたし、自分の原点だと言えます。

ーーきっと現在も独自性やご自身の強みを活かすことを大事にされているのでしょうね。

西尾:インタビューも自分のスタイルを大事にしています。
ポイントにしているのは相手に「内省」を促すこと。
あえてふわっとした問いを投げかけて、相手に考えてもらうんです。
その人の「現在・過去・未来」という3つの普遍的な問いを投げかけるのですが、
本当は場の空気や聞き手の表情、相槌などで、
相手が自発的に話したいことを話してくれるのが究極のインタビューやなぁと思います。
聴き綴りはコーチング、カウンセリングなど色々な要素が絡み合ったもの。
相手に対し、気付きや主体性を引き出す機会になれば非常に嬉しいですね。
僕自身は、デコボコ(強みと弱み)が激しいのですが、
インタビューによって相手が自分らしさを表に出せるようにお手伝いできるのは、僕の強みなんだろうなぁと思っています。

ーーハローライフのトークイベント「仕事ストーリー」の動画を拝見したとき、
発達障害(ADHD)と「生きづらさ」への葛藤についてふれておられましたが、
もう少し詳しくお聴きしてもいいですか。

西尾:そうですね…今もずっともがき続けている感じですかね。
根っこの性格は几帳面で、色々気になってしまうのに、事務作業が非常に苦手で、
そのギャップに苦しむことも少なくありません。
最初の就職先でも、自分よりアルバイトの学生の方が段取りが良くて
葛藤や屈辱を感じたこともありました。
「なんで僕にはできひんのやろ?」と。
ですが、自分のデコボコを理解してくれる人や、弱みを補ってくれる人はいるんですよね。
大学院生のとき選挙ボランティアのリーダーをしていたとき
副リーダーに「西尾さんは団体の学生に楽しんでもらうことに専念してくださいね。」
と言われたことがあって。
僕の得意分野を見てくれていた副リーダーのおかげで、学生を集め、意欲を高めるという点に特化できた。
研究者図鑑のインタビューを指示した上司は
「段取りは苦手だけどコミュニケーション力や行動力は強みだ」と見抜き、
僕の強みが活かせる仕事を振ってくれたのだと思います。
30歳になるまでは実務への苦手意識との葛藤が強かったですし、今も残ってはいますが、
自分の強みやできることを認めてくれる環境を大事にしよう!と思えるようになりましたね。
「○○といえば西尾」と思ってもらえるものを、これからどれだけ作っていくかだと思います。
それと同時に、強みも弱みも含めた自分を丸ごと受け入れてくれる存在が
いかに大切かを日々実感しています。

ーーデコボコを受け入れてくれる存在に恵まれていらしたんですね。
この4月から始められた新しい仕事の内容も気になります。

西尾:京都府の協働コーディネーターとして、府内各地の様々な活動をされている方々と、
センターに来られた方々を繋ぐ支援をしています。
異なるコミュニティーに属していても、根本の共通項がある人同士をつなげていく。
「きっとこの人とあの人がつながれば化学反応が起きるだろう」と考えながら。
まさにインタビューで知り合った人たちが「つながる」仕組みづくりに携わっているといえます。

ーー「聴き綴り」と「聴き綴り士」の普及をミッションに掲げておられましたが、
今後挑戦したいことを教えてください。

西尾:一つはインタビューによる「漢方型メディア」の構築です。
実は「がんばってはる人★図鑑」を始めて、「聴き綴り」という言葉へのこだわりが薄れ、
インタビューという言葉を使っていってもいいのではないかという思いが芽生えています。
以前は、インタビューというと少し軽い印象があり、
趣味のようにとらえられるようで敬遠していました。
ですが、「現場で人の真の姿や良さを、人の文脈を通じて明らかにしていく手法」としてのインタビューに
可能性を感じているので、
多くの人に漢方型メディアを通じて、根っこの部分で共感・協力できる関係づくりにつなげていきたいですね。
二つ目の挑戦は、「人版のAmazonをつくる」こと。
興味ある分野のワードを入れると、それに関わる人が検索でき、
さらに関連した人の情報(インタビュー動画など)が出てくるような、人材のデータベースです。
Amazonや人物検索サービス「SPYSEE」にも似たサイトですが、
「多種多様な分野でがんばっている人に出会いたい人はこのサイトを!」と言えるような場を提供したいです。

☆☆☆☆☆

「研究者の頭の中を探れば、人類の自然界(宇宙)に到達できる」
「人版のAmazonを作りたい」
インタビュー中、彼の構想力の斬新さに、何度驚かされたことだろう。

彼自身が発する言葉の一つ一つに込められた情熱は
じんわり効いてくる漢方のように、私の心に染み渡っていった。

人の良さを引き出し発信する、合う人同士をつなげていく。
自分の強み・独自性を極めていく中での葛藤と心意気両方に
私は心を打たれずにいられなかった。
デコボコを丸ごと受け入れて、強みを発揮できるようなサポーターたちは、
西尾さんの優しいお人柄や、彼の生き方の「芯」に感銘し、引き寄せられるのだろう。

彼の活動や生き方自体が、「ありのままの自分で勝負すればいいんだ!」と、
道に悩む人たちを救っていくのではないだろうか。

インタビューライターを目指す身として、彼が目指す世界観に共鳴せずにはいられなかった。
少しでも役立てることがあるように、今後もインタビューの道をしっかりと進んでいこう。
そんな勇気をいただいた。
posted by メイリー at 23:44| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

独自の強みで「漢方型メディア」を生み出す聴き綴り士 file.47(前編)



西尾直樹さん。
2006年秋から約700人のインタビューを行い、
「研究者図鑑」、「官僚図鑑」、「がんばってはる人★図鑑」などを展開する。
地域公共人材開発機構にてインタビュー講師として、地域活性事業に携わり、
株式会社聴き綴り本舗代表取締役として、「聴き綴り」の普及と「聴き綴り士」の養成を目指す。
2014年4月から京都府協働コーディネーターとして活躍のフィールドを広げている。

プロフィール詳細はこちら

どんな話でも受け止めてくださるような大らかな雰囲気と、
つい笑顔になってしまう心地よい大阪弁。
多くの人の心の扉を開け放ち、心を鷲掴みにしていく。

これから力を入れたいという「漢方型メディア」に込められた思いとは?
彼が自分らしさ全開で進む中で抱えている葛藤とは…?
彼の今の生き方や価値観につながる教育体験に迫りたい。
そんな想いで、インタビューで社会に革命を起こしていく西尾さんに会いに京都へ飛び立った。

☆☆☆☆☆

ーーインタビューを仕事にされ始めたのはいつ頃からですか。
聴き綴りを生み出すまでの経緯をお聴かせください。

西尾(敬称略):独立行政法人新産業新エネルギー振興機構(NEDO)のフェローシップとして、
京都にある産学連携組織(NPO法人KGC)に勤務し、そこの業務としてインタビューを始めました。
そのNPOは、異分野融合で非常識なプロジェクトを進めよう!というミッションをもっていて、
私はベースとなる研究者のネットワークを広げていく役割を任じられ、
何度か交流会などのイベントを企画した後、
「いっそのこと研究者に直接会いに行って、インタビューしてしまおう!」と、
2006年当時流行り出していたYouTubeで発信して拡大を目指すことにしました。

当時の上司がちょっとエッジが立ちすぎている人で、
「有名でもないのに認知を広めるには、質より数で勝負だ。
365日毎日、3年で1000人を目標にインタビューをしろ」というお達しが。
僕はなぜか「面白そう」と思って乗っかったしまったんです。
結果的に300日で300人を達成しました。
土日も返上で、大晦日もゴールデンウィークもインタビューですよ(笑)

ーー大晦日も?!それだけ継続された西尾さんも只者ではないと思うのですが(笑)
研究者に「インタビュー」という手法をとったこだわりってありますか。

西尾:他の人がやったことのない領域に斬り込むことで
自分ならではの武器を持ちたいという思いはありましたね。
根底にあったのは、宇宙の真理に到達したいという思い。
高校までは理系を目指していたんですが、数学が苦手で挫折したんです。
NASAを目指そうと思ったくらい宇宙が好きでたまらなかった。
大学では文系に進みましたが、社会や集団における人の営みにも、
俯瞰的に見ると科学では計測できない普遍的な宇宙があると思っていました。
研究者は未だ解明されていない世界を探究する人類の知見の最先端と言えます。
だからあらゆる分野の研究者を1000人インタビューしたら、
そこから「真理」が見えてくるんじゃないかと思ったのです。

最初テスト段階では、研究内容についてパワーポイントで語ってもらってみましたが、
なかなかビデオでは綺麗に撮れない。
そこで手作りのボードに手書きで3つキーフレーズを書いて、
それをもとに二人で語り合う対談形式の映像にしたら、
思いの外面白いものになったので、その形でインタビューを開始しました。
さらに、50人目くらいに差し掛かったところで、
研究者個人の人柄が見えるエピソードの方が面白いと気づき、
打合せで引き出したその人のストーリーを、「現在・過去・未来」の3つのキーフレーズにまとめるようにしてみました。
すると、研究分野とは無縁な人からも
「昨日の人、すごい面白かったです!」
「ぜひもっと話を聞きたい!」と反響がくるようになったんです。
「なぜその研究分野に辿り着いたのか?」「将来実現したい夢や目標は?」などの背景が見えると、
人はぐっと引きつけられるんでしょうね。

ーーなんて画期的な発想!
宇宙が元々好きとのことでしたが、どんなお子さんだったのでしょう。

西尾:小学校の頃は電車が好きで、落ち着きはないけどかわいらしい子でしたよ(笑)
両親も自由にさせてくれましたね。
記憶が濃密な時期は、中学校のときかな。
中1の頃、入学式の日に盲腸にかかって手術をして出席できず、
その後もクラスから浮いていじめを受けて、その頃はずっと泣いていた記憶があります。
でも中2になって、よい先生に恵まれて立ち直って、
学級新聞を作るなど徐々にクラスに溶け込めるようになりました。
またその頃、小学校時代の塾からの友人の誘いで天文部に入ったことで、気の合う友達ができたことも大きかったです。
学校の屋上に天文台があり、高校卒業までそこが友達とのたまり場になりました。
2ヶ月に1回くらい寝泊まりして星を観測したりしていました。

ーー天文部で印象に残ったエピソードはありますか。

西尾:天文部では毎年夏のお盆の時期に合宿があり、
飛騨高山のスキー場で寝袋を放射状に並べて寝っ転がって、
ペルセウス座流星群の観測をしていて、
私は中2の夏に初めて参加したのですが、そのときの衝撃が今でも忘れられません。
星の布団が押し寄せてくるみたいだった。
宇宙のあまりのスケールの大きさを目の当たりにして、
1人の人間の自分が今悩んでいることが、なんて取るに足らないものだろう…と。
哲学する傾向に拍車がかかりました。
宇宙規模で考える、でも人類の営みの中で、例えちっぽけでも人間が生きる意義を見出そう。
その両方の視点をもてるようになりましたね。
ソーシャルイノベーターは「実践する中二病」なんですよ(笑)
妄想を、社会を良くするための行動に落とし込める人こそ
社会問題を解決する先駆者だというのが持論です。

ーー「実践する中二病」ですか…!
大学時代も非常に多彩な活動をされていたようですが、きっかけは何でしたか?

西尾:なにせ中高6年間が男子校だったこともあり、世界を広げたい一心でした。
テニス、キャンプ、野球のサークルに入り、体験学習サークルの会長もやっていた。
今の生き方への影響が一番大きい体験は、選挙のボランティアですね。
20歳のとき民主党元代表の前原誠司さんの選挙のお手伝いをさせていただいたんですが、
非常に気さくな人だった。
他の政治家や事務局の方々も非常にいい人ばかり。
それまで政治のイメージって、失言やスキャンダルだったり、比較的暗いものでしたが、
テレビで放送される一部の政治家の、一部の発言を取り上げたものに左右されていたに過ぎないんですね。
本当は人生を懸けて日本を良くしようという志の高い政治家の方が多いのに…。
マスメディアには偏ったイメージを植え付ける側面があるのではないかと疑問を抱いたんです。
posted by メイリー at 23:14| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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