
障害者の就労支援や、発達障害児の教育を事業の柱とする株式会社ウィングル(現:LITALICO)にて
2014年の春から働き始めた井田美沙子さん。
京都大学教育学部で認知・発達心理学を学び、
学習支援のボランティアの経験から子どもや親の支援と、支援体制の構築の必要性を痛感し、
鳥取大学医学部にて臨床心理を研究してきた。
個々の障害や特色に応じた支援が当然かつ持続可能な社会づくりへの
強い使命感の背景に迫りたいと思い、インタビューを申し込んだ。
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ーー子どもの頃はどんな子だったのですか。
井田(敬称略):エネルギーが有り余っている子どもでした(笑)
親も自由に育ててくれましたし、中学時代は卓球、高校では空手、大学では居合道…と
部活や学校の行事にも積極的に取り組んでいました。
文章を書くのが好きで読書感想文や作文を一生懸命書いていた。
どちらかというと1人で黙々とやるのが好きで、身近にあった「勉強」には力を注いでいましたね。
でも今思うと、目の前に与えられたことには意欲的に取り組んでいたけれど、
自分がやりたいことを見つけて注力できるような、
「様々な選択肢が見えている環境」があればよかったのになぁと。
ーーいつから「やりたいこと」は見えてきましたか。
井田:高校1年の時ですね。
仲良くなった友人が、中学3年のときにいじめられたのを機に転校してきたと知り、
「イジメって誰にでも起こりえることなんだ」とショックを受けたんです。
当時の私は困っている人の話を聴いてあげることくらいしかできなかった。
子どもは自分の置かれた環境に左右されるという事実を目の当たりにし、
子どもと環境の相互作用に興味をもちました。
子どもに関わる仕事を調べ始め、将来は児童福祉司や養護教諭、教育の行政に関わる仕事に就くためには?という視点で、
行政も臨床心理も学べる京大の教育学部を志望しました。
ーー教育学部での研究で印象に残ったものはありますか。
井田:明和政子教授の「胎児・乳幼児の認知発達」の研究室にいたのですが、
ここでの授業は印象的でしたね。
他の授業では抽象的・概念的なテーマが多かったのですが、
先生の授業では、仮説を立て、実験データから発達プロセスを明らかにしていく手法をとっていました。
赤ちゃんの反応を実際に見られるのも大きな収穫でした。
ただ、研究を進めるにつれ、発達や学習の個人差というものに興味を持ちました。
折しもその頃「発達障害」というワードが広まり、
「発達障害とは、他の子とはものの見方が違う」という定義にふれたんです。
「ものの見方が違うだけなのに、なぜこの子たちが困るんだろう?」
そんな疑問を解決したくて、京大の霊長類研究所が運営する「こころの未来研究センター」が募集していた
ボランティアに参加することにしました。
障害をもつ子の認知を解明するための基礎研究をおこないつつ、
個別の学習支援を行うというプロジェクトの一環だったんです。
例えばある子は「耳で聞くより目で見た方が理解しやすい」というアセスメント結果が出たら、
視覚的に学べる教材を親御さんに勧めるという風に。
ささいな工夫で、その子が困らなくなる様子を見て、
「こういうことをやりたかったんだ!」と思いましたね。
ですが、個別の支援を行う中で限界にぶつかりました。
ーー限界ですか。
井田:子どもへの一時的な支援はできても、親への支援は短期間では難しいし、
子どもが将来の自立に向けて必要なものを身につけられる「場」の整備が大事なのではと思うようになったんです。
特に母親へのエンパワーメントがなければ、子どもへの適切な支援は維持されないという課題もあります。
学習に限らず包括的な支援と支援ネットワークの構築について研究したい。
そんな思いから、鳥取大学院医学部の井上先生の研究室にて臨床心理を2年間学びました。
ABA(応用行動分析学)をもとにしたペアレントトレーニングを行ったり
ワークショップを開いたりしていました。
ーーどんなワークショップをされていたのですか。
井田:「親が笑って育児について話せる場」をモットーに、
発達の気になるお子さんの保護者と一緒に、子への接し方を考えていくという内容です。
例えば「1人で服を着られない」という場面において、
親が代わりに着せたり怒ったり…というのではなく、お子さんの様子を観察し
「つまづいたところだけ手助けをする。クリアできたらハイタッチをする、スタンプを貼る」などという一工夫をするだけで、
お子さんは「自分でも着られる!」という成功体験を積み、自信をもてるようになります。
保護者の方が今後の育児に戸惑いを覚えているケースも多いので、
すでに発達の気になるお子さんを大学生になるまで育てた方に育児体験を話してもらうという取り組みも行っています。
「少しの工夫で子どもが1人で『できる』環境を整える」ことが非常に大事だと改めて感じるようになりました。
こうした自立のための支援を受けられるインフラをつくりたいという思いが強まりました。
ーーこうした支援や研究をされる中で、やりがいを感じたことはありましたか。
井田:対人支援でやりがいを求め過ぎちゃいけないなぁと思っています。うまく言えないのですが。
いくら環境を整えても、それを活かせるかどうかは本人や保護者次第。
だから「相手の変化=支援者のやりがい」という図は変だなって。
もちろん関わったお子さんや親御さんが喜んでいたら純粋に「よかった」という気持ちはありますが、
自分の支援のおかげとは思わないですね。
結果が出ない場合に、提案内容を変えて結果が出やすくなるように試行錯誤はしますが、
相手の結果の有無と、支援者のモチベーションは別物だと考えています。
ーー本人の変化はあくまで本人が行動したからということでしょうか。
面白い考え方ですね。
井田さんは親子への支援について、非常にイキイキとした表情で語られているので
そのバイタリティーはどこから生まれているんだろう?と気になっています。
井田:イキイキしているねとよく言われます。
一方で「熱を入れて話す割に、話が終わったら普通に戻っていてドライだね」と言われることも(笑)
「少しの工夫で人が自立できるようになる社会が当然で、特別なことをしているわけではない」という気持ちがあるのだと思います。
「人のため」というより「本来あるべき姿に向かって行動しているだけ」という感じでしょうか。
ーーでは、支援をする中で大変だと感じることを教えていただけますか。
井田:支援において明確な目標を設定しづらいというのを課題に感じています。
支援の成果が見えづらいということとも関係していますが…。
例えば子どもの不登校を主訴とする親子とカウンセリングをする中で
「果たしてこの子が登校できることがゴールなのだろうか?」というケースがあります。
そんなときは本人と保護者それぞれの話を丁寧に聴きながら、課題を整理整頓して、
「どうなると双方が幸せになるのか」という現実的な落とし所を見つけることが大事になってきます。
学校教育は効率的な反面、画一的になる部分が大きいため、
お子さんの個性や特性に応じて「主体的に生きる力」を身につけてもらえるように
「学びの組み直し」を提案するのが自分の役目だなと思っています。
ーー就職先としてウィングル様を選ばれたきっかけは何でしたか。
井田:「持続可能な支援」・「親子、先生、職員に負担がかかりすぎない仕組みづくり」をキーに
就職活動をしていたところ、ウィングルを発見しました。
「世界を変え、社員を幸せに」という理念には
「全ての人が可能性を広げていけるよう社会のシステムを変えていく」という
熱い思いが感じ取れました。
「まさに自分の思いにフィットしている!」と思ったんです。
ーー運命の出逢いだったのかもしれませんね。今後、実現したいことは何ですか。
井田:いずれは指導員の方々が個々のお子さんの指導に集中できるよう、
教材プログラムや成功事例を共有できる仕組みや研修体制、
指導員がすぐに相談できる体制の整備に携わっていけたらと思っています。
まずは、その具体的な種を現場から得ていきたいですね。
今は研修の真っ只中ですが、先輩も同期も積極的ですし、
「やりたいことを実現していくスキル」が非常に高いと感じる日々です。
提案したらすぐにやらせてくれるという風土があるので、彼らからたくさん吸収して
「持続可能な支援体制づくり」への行動を起こしていきたいです。
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少しの工夫で人が自立できるようになる仕組みを「インフラ」と捉え、
「当たり前のことをしているだけ」と明るい表情で語る井田さん。
お子さん、親、先生、支援する人それぞれが負担なく、ハッピーになれる仕組みづくり。
個々のお子さんに応じた「学習の組み直し」を提案する背景には、
「子どもの頃にもっと色々な選択肢を見られる環境がほしかった」という思いが
秘められているのかもしれないとインタビューの中で感じた。
彼女の太陽のようにまぶしい笑顔と、
社会の課題へと切り込んでいく使命感と行動力に感化され、
多くの人が彼女の応援者となっていくのではないだろうか。