2014年09月08日

「イメージの力」で夢を現実に変える海外添乗員&編集者 file.52(後編)

添乗中2.png

☆前編はこちらから☆

ーー中村さんの発信力や、人の心を惹きつける投稿の秘訣について
ぜひ知りたいと思っていました。
後でインタビュー番外編としてぜひお話聴かせてください。(※番外編は別記事にて)
旅行会社での海外添乗員と海外旅行情報誌の編集者という進路を選ばれた理由は何でしたか。

中村:世界を見たいという気持ちと、書くことを仕事にしたいという2つの想いがありました。
今の仕事は、その両方が叶えられるユニークな選択肢でした。
大変なこともありますが、海外に行ける添乗員の仕事は魅力的です。
また、旅行情報誌の編集では、世界各地を訪れる添乗員たちが執筆した文章を校正したり、
自らその国や街の魅力について記事を書いたりしています。

ーーまさに大好きな「書くこと」を仕事にされていて、
普段どんなことを感じていますか。

中村:毎日のように、訪れたい街が増えていきます。
また、地理や歴史の知識が日々蓄積されていくので、
日本にいても外国人観光客との些細な会話の中で役立ちます。
マイナーな街の名前なんかを知っていると、
「なぜそんなに詳しいの?」と喜んでくれ、距離が縮まるんですよ。
特に地理の知識は、世界中の人と仲良くなるための「一生ものの財産」だと思っています。
あとは、日々書き続けるなかで、「伝える力」がついてきたなという実感があります。
60〜80代の方も多く読む雑誌のため、
「きちんとした言葉遣いで、中身のある文章を書く」ということを心がけています。
「大は小を兼ねる」じゃないですが、大人が楽しめる文章を書けるようになれば、
若い人向けの文章を書くときにもその経験が生きるだろうなと思います。

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ーーでは、海外添乗員をしていて感じることを教えてください。

中村:コミュニケーションの力が磨かれる仕事だとつくづく感じます。
色々なお客様と接するなかで、ひとつひとつの発言に対して
、「この発言にはどんな意図が込められているのだろう」と考えるようになりました。
直接話しているときはいつもニコニコしていて、
「中村さん、本当にお世話になりました。とても楽しい旅だったわ」と話されたお客様が、
帰国後のアンケートで、自分に対する不満をたくさん並べられていて、驚いたことがありました。
人って、相手に不満を感じていても、面と向かって伝えることはなかなかできないんです。
でもお客様の不満やご要望にすぐに気付き、現場で対応ができれば、こうした事態は防げます。
それを察するヒントは、会話や仕草の中に必ず隠されているはずなので、よく観察し、
「これはまずい」と感じたらすぐにフォローすることを心がけるようになりました。

編集と添乗は全く別の仕事なので、成長できる部分は幅広いです。
書くことや編集することは、本質をわかりやすく伝える力が磨かれますし、
添乗員の仕事では教養が身につくほか、コミュニケーション力や注意力が身につきます。

ーー今後はどんな構想を描いていらっしゃるのでしょう。

中村:やりたいことは色々ありますが、二番煎じは嫌なので、
あまり人がやっていないことにチャレンジしたいですね。
また、個人としては「人のプラットフォーム」になりたいというのが長期的な目標です。
色んなジャンルの人とのつながりを創り、
異分野の人同士を結びつけることで、新たな価値を生み出せたら嬉しいですね。
様々な分野の人たちと関係性を築くためにも、幅広い教養を身につけていきたいと考えています。
あとは、そのときどきで興味を持ったことにひたむきに挑戦する姿を発信して、
周囲の人たちが面白さや感動を見出してくれたら本望です。

☆☆☆☆☆

中村さんの真摯さや熟慮深さ、
そして好奇心に裏付けられた行動力に圧倒されるインタビューだった。

一つの経験から非常に多くのものを感じ取り学び取られる方なのだと感じた。
これまで人生を支えてきてくれた数々の本のエッセンスを、
彼の経験と紐付けて熟成させてきたからこそ、
彼の引き出しには数多の「活きた知恵」が埋蔵されているのだろう。

イメージの力を味方にして
和太鼓演奏や自転車での西ヨーロッパ一周の旅などの偉業を成し遂げていく。
この話は、夢に向けて邁進する人たちにぜひ伝えたいと思う。

発信力の秘訣については、今後番外編のインタビューで
もっと掘り下げし、このブログでも紹介していこうと思う。
彼の宝箱の中身は無尽蔵にあるのだから。
posted by メイリー at 21:56| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

「イメージの力」で夢を現実に変える海外添乗員&編集者 file.52(前編)

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中村洋太さん。
海外旅行情報誌の編集者と海外添乗員として活躍している。
学生時代に横須賀から鹿児島への自転車の旅、ヨーロッパ11都市での和太鼓演奏を行う。
そして、大学4年生の夏、スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅を実現させる。
現在は「20代若者のための週末課外授業」という、
若者が楽しみながら教養を身につけていくためのコミュニティーを主催。
Facebookやブログでの発信を非常に大切にされており、
彼の誠実さと洞察力の深さがにじみ出た文章に、多くのファンがいる。
彼の好奇心旺盛さと行動力、そして人をつなげていく底知れない力の背景には何があるのだろう?
そんな思いからインタビューを申し込んだ。

☆☆☆☆☆

ーー小中学生の頃はどんな子でしたか?

中村洋太さん(以下敬称略):小学生の頃から活発な少年だったと思います。
サッカーをしたり、あてもなく町をぶらぶらしたり。
でも親の知り合いなどからは、「礼儀正しい子」とよく言われました。
母が地元のフリーペーパーを配達する仕事をしていたので、
小さい頃は大量のフリーペーパーと一緒に車の後ろに乗せられて、配達の手伝いなんかもしました。
たくさんの大人と接するなかで、自然と礼儀正しさが身についたのだと思います。
父は少し真面目で硬い性格でしたが、母は割と自由に好きなことをさせてくれました。
兄が二人いてそれぞれ12歳、9歳離れているのですが、
彼らから受けた影響が大きかったです。
長男は音楽が好きで大学時代オーケストラをやっていたのに対し、
次男は陸上が好きで大学時代まで長距離ランナーとして活躍しました。
ぼくはその頃まだ小学生です。
音楽とスポーツ、両極端の世界に小さい頃から親しめたことが
現在の自分のベースになっていると思います。
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ーータイプの異なる二人のお兄様から吸収されていったのですね。
高校時代はどんな風に過ごされていたのですか。

中村:高校1年生の夏に、自転車の世界に魅せられました。
テレビでツール・ド・フランス(23日間でフランスを一周する自転車レース)を見て、
1日に200kmもの距離を走る選手たちに驚きを隠せませんでした。
すぐに市内の道路地図を引っ張り出して、自宅と高校の距離を調べたら、約15kmだったんです。
この距離ならぼくでも走れるかもしれないと思い、自転車での通学に挑戦してみました。
でも、自転車でそんなに長い距離を走ったことがなかったから、
どれくらい時間がかかるかわからない。
1時間半?いや2時間くらいかかるかも?と、本気で思っていました。
遅刻だけはしたくなかったですから、朝6時半に家を出て、必死でママチャリを漕ぎました。
最初から最後まで、立ち漕ぎでした。
高校に着いて、腕時計を見てみると、たったの45分で到着していました。
「え、電車で行くより早いじゃん」って。
この出来事は、ぼくにとってターニングポイントのひとつになりました。
「やったことのないものに対する人間の予想や想像が、いかにあてにならないものか」
というのを実感したんです。
ぼくはそれ以来、実際に体験したり自分の目で確かめたりしていないことについては、
断言できなくなりました。
あとは次男の影響もあり、高校時代からランニングが趣味になりました。

ーー今も出社前に皇居ランをされているそうですが、学生時代から走ることが好きだったのですね。

中村:そうですね。純粋に走ることが好きなのですが、何か考え事をしたいときとか、
悩みがあったときに走ることが多かったです。
一人になれる時間は大切ですし、何かストレスがあっても体を動かして汗をかくことで発散していました。
それに、走った後って必ず前向きになれるんですよ。
実は、大学2、3年生の頃までは、些細な悩み事すら友達に相談できない不器用な人間でした。
悩みや弱さをさらけ出したら、人に嫌われてしまうのではないか、という恐れを持っていたんです。
でも、悩みを溜めてしまうと精神面だけでなく、身体にも悪い影響が出ます。
だから、走ることでストレスを発散していたんです。
今はあまり抱え込まず人に相談することも大切だと思っていますが、
自分の力だけで耐え抜いた時期があったからこそ、
一度や二度の失敗では諦めないメンタルの強さや、
逆境を前向きに捉える力が得られたのだと思います。

ーー現在は編集者として「書くこと」を仕事にされていますが、
意外にも早稲田大学では創造理工学部だったのですね。

中村:小さい頃から数学が得意で、高校1年生の時に読んだ
『フェルマーの最終定理』という本に感動して、
本気で数学者を目指していた時期もありました。
大学では土木の学科に入ったものの、入学してすぐに
「なぜ土木を選んでしまったのだろう?」と呆然とするほど、
この学問に興味が持てませんでした。
だから、決して自慢できる話ではないのですが、授業中はほとんど本を読んでいました。
好きなのは司馬遼太郎や村上春樹の小説でした。
中でも司馬遼太郎の『燃えよ剣』に登場する新選組副長・土方歳三が放ったセリフに、
授業中一人で震え上がっていたことは、今でも忘れられません。

「男の一生というものは、美しさを作るためのものだ」というセリフです。
それ以来、「美しさの追求」が、ぼくの人生のテーマになっています。
本からの影響は他にもたくさんあります。
登山家の植村直己さんの『青春を山に賭けて』や、
指揮者の小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』を読んで、
時間やお金のなさを言い訳にせず、海外へ飛び出した彼らの姿に背中を押されました。
大学時代に本から受けた影響は多大なものです。

ーー大学時代は、オーケストラサークルの一員として欧州11都市で和太鼓演奏をされたとのこと。
その経緯を教えていただけますか。

中村:長男が学生時代に「早稲田大学交響楽団」というオーケストラサークルに所属していたので、
どんなサークルなんだろうと思い、大学入学後にリハーサルを見学しに行きました。
そのとき、目の前で聴いた生演奏に大きな感動を覚えました。
「え、これが本当に学生の演奏なの?こんなに上手いの?」って。
それで、何か新しいことに挑戦してみたいという気持ちも手伝って、
初心者でオーボエを始めることになりました。
周りは経験者ばかりだったので、少しでも差を縮めるために毎日練習に明け暮れました。
そしてぼくが2年生になる直前に、サークルの全体集会の中で
「1年後に、ヨーロッパで和太鼓を叩きたい人はいませんか?」という募集があったんです。
実はこのサークルでは3年に一度、1カ月弱のヨーロッパ演奏旅行というものを行っていて、
次回の演奏旅行がちょうど1年後に控えていました。
もちろんクラシック音楽に和太鼓はありませんが、
コンサートプログラムの最後に日本人が作曲した
『和太鼓とオーケストラのための協奏曲』と『八木節』を演奏するというのが、
この演奏旅行の恒例行事でした。
ヨーロッパの人々は、日本文化に強い関心を示します。

「ヨーロッパで和太鼓を叩くなんて、かっこいいじゃん」という単純な気持ちで立候補しましたが、
正直なところ、「もう辞めたい」と何度も思いながら毎日練習をしていました。
先輩たちが上手なうえに、厳しかった。
でも、1年後の公演が控えているからもちろんやめられません。
ですが、ベルリンで2000人以上の観客の前で演奏し、
ブラボーの嵐と満員のスタンディングオベーションを受けたときの感動は、何物にも代えがたいものでした。
頑張ってよかった、辞めないでよかった、と心の中で泣いていました。

和太鼓.png
ーー達成につながった原動力は何でしたか?

中村:きっと、大舞台で拍手をもらい、魂がうち震える瞬間の映像をイメージできたことでしょうね。
ぼくは自分が想像できたことなら必ず実現できると思っているんです。

ーー「イメージの力」ですか。
自転車で西ヨーロッパを一周するためにスポンサー集めていたときも同じように?

中村:そうですね。自分が西ヨーロッパを走り切ってゴール地点に辿り着いたときの達成感や、
みんなから「おめでとう」と言われている場面を
克明に思い浮かべていました。
ヨーロッパで走りたい場所の写真と、自分が自転車に乗っている写真を、
コルクボードに貼り付けて撮影し、それを携帯の待ち受け画面にしていました。
毎日携帯を開くたびにその写真を見て、「夢を実現させた姿」を潜在意識に組み込むようにしたんです。
どうしても実現したいことをイメージすれば、
胸が震えるような感動がこみ上げてくるので、やらずにはいられなくなります。
「実現したらいいなぁ」という願望では夢は叶わないので、旅をする期間を具体的にして、
「実現するもの」と決めて行動を続けていました。

最近はよく早朝の皇居の写真を撮って、
Facebookで「早朝皇居ランしました。気持ちいい」というコメントとともに投稿しているのですが、
毎日のように続けていたら、それを見てくれた人から
「私も一緒に走りたいです」と連絡がくるようになりました。
これもひとつの「イメージの力」だと思っています。
「早朝に皇居を走る=気持ちいい」というイメージを、友人たちの潜在意識に刷り込むんです(笑)
自分が良いと感じたものを、周りに広めていければいいなと思っています。

☆後編はこちら☆
posted by メイリー at 20:30| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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