2015年05月17日

多様な教育に橋をかけるファシリテーター file.67(後編)

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☆前編はこちら☆

――コアプラスの活動から「自己肯定感」を大事にする雰囲気を強く感じるのですが、
武田さんご自身の「自己肯定感」を生み出した根っこには何があるとお考えですか。

武田:高校時代にお世話になった先生によると、
自尊感情と自己肯定感の2種類があるようです。
自尊感情は3歳までに親子のコミュニケーションの中で決まる。
一方、自己肯定感は色んな経験をする中で培われていく。
幸運にも、両親や近所に住んでいた祖父母、親戚、地域の人たちのおかげで
自尊感情は高く保てています。
言葉でも体でも愛情をめいいっぱい表現してくれた母の影響は絶大ですね。

ですが、私は自己肯定感はあまり高くないことに最近気づいたんです。
地域でも学校でも優等生で通っていたし、
人権サークルで活発に活動することで承認され、褒められることで自己肯定していた。
それって条件付きの承認ですよね。
だから、「社会的な活動をやめたとしたら、私には何が残るんだろう?」という怖さはありますね。
今の活動や肩書をすべてはぎ取った自分にOKを出せるのかと。
幸い、周囲の人との交流の中で、ありのままの自分に少しずつ自信を持てるようになってきたところですね。


――自分を無条件で承認できる「自己肯定感」は
もしかしたら時間をかけて育てていくものなのかもしれませんね。
今度は、コアプラスの活動の中で感じるやりがいと、課題に感じていることを
それぞれ教えてください。

武田:今、コアプラスは変化の時期を迎えています。
少数の理事たちと意思決定も実働もやってきた状態から
コアプラスの歴史を知らないメンバーも増えてきた状態へと変化している。
新メンバーが新しい風を吹かせてくれる一方で、
これまで説明不要だったこともきちんと言葉にしていく必要が出てきて、
意思決定のしくみも整備していきたいなと思っています。

多様性が活かされている状態に完成形はなくて、常に対話をしながら
創り続けていくものだと思っているんです。
そのプロセスの中で対立やすれ違いはもちろん起こるし、
「私も引っ張るから、みんなも自分の「こうしたい」という方向に
引っ張っていってほしいという思いがありますね。

コアプラスって、ビジョンもミッションも
「しっくりこない」と感じたら、みんなで「よりしっくりくる言葉」に変えていくんです。
「多様性が認められる社会を目指す」という方向性にブレはないけれど
「そもそも多様性とは何か?」の部分を固定化せず、
今いるメンバーで考え続けることが大切だと考えています。

コアプラスを、今のメンバーたちも私も育っていけるコミュニティーにしていきたいですね。
一番のコンセプトは、「自分たちの学びの場を自分たちでつくる」ということ。
誰かがつくった研修に参加するよりも、自分たちで研修をつくる方がはるかに勉強になりますから。


――これまで日本国内だけでなく、
オランダやデンマークへと海外へのフィールドスタディーも行われていますが、
武田さんがファシリテーターとして心がけていることは何ですか?

武田:フィールドスタディーでは、参加者一人一人が、「自分の当たり前」の外側にふれて
葛藤や揺れを体験するところに立ち会える楽しさを毎回感じています。
ファシリテーションで心がけているのは、教育観の違う現場をあえて複数回るようにしていること。
大事なのは、訪問先で見聞したものを鏡にして、
自分はどんな教育をしたいのか、学びとは何かという根本を振り返ることなんです。

日常に身を置いている場とは違う教育にふれると、賛成するときもあればモヤモヤするときもある。
振り返りのダイアログの場では、表現しづらいモヤモヤを感じていそうな人に
前もって「どうでした?」と聞いて、その内容を言語化しておいてもらうと、
リフレクションが進みやすくなります。
海外でも日本でも、教育現場それぞれの特徴とともに、
その現場に立ち会ったときに予想される反論や対立の論点を予め想定しておくんです。
何かに向き合ったとき、共感よりは違和感のほうが学びの起爆剤になると思っているので。

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――フィールドスタディーツアーづくりのプロフェッショナルですね。
最後に、今後挑戦したいことを教えていただけますか。

武田:今考えているのは二つあります。
一つは海外のフィールドスタディーを増やしていき、
コーディネーターの依頼ももっと舞い込んでくるようにすることです。
二つ目は、今のコアプラスの事業をわかりやすく統合、整理して、
educator's cafe, educator's labo, educator's schoolをあわせて
educator's communityへと発展させていくこと。
やりたいことを持続可能的にやっていけて、
メンバーが心の余裕をもてるようなコアプラスにしたいと思います。

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自分の心と社会をまっすぐ見つめられる人。

ピースボートの経験で生まれた「自分の頭で考え、表現する大切さ」という課題意識。
そして、多様な教育観にふれ、それぞれを尊重しながら、
風の人と土の人をつなぐ架け橋となって、よりよい教育をつくり出していく情熱。

「肩書きに左右されない自分」と、変革の途上にあるコアプラスの課題と向き合い、
それを言葉にすることを臆さない強さに彼女のエネルギーの源を感じた。

コアプラスの可能性がさらに花開くお手伝いをしたい。
お話を伺うなかで、この思いが強く心に芽生えた。
教育という、すべての人の人生から切り離せないテーマの深遠さを
つきつけられる大事なひとときだった。
posted by メイリー at 22:25| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

多様な教育に橋をかけるファシリテーター file.67(前編)

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一般社団法人コアプラスの代表理事をされている武田緑さん。
小学校教員と、教育やまちづくりについての研修プログラムづくりの担当者を経て、
現在はコアプラスの事業の中心を担っている。
ファシリテーターとして、「一人ひとりが活かされ、よりよい状況を生み出すための仕事」を目指す彼女の「生き方と想い」に迫った。

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――コアプラスを始めたきっかけとなる体験や問題意識について教えていただけますか。

武田緑さん(以下、武田):自分が受けてきた教育に対して共感したところと、
後々考えて疑問だったところが、コアプラス立ちあげの出発点です。
大きな転機になったのは、19歳のときに参加したピースボートでの世界一周。
乗客は日本人がほとんどですが、
多国籍のスタッフやクルーに囲まれ、旅の途中で水先案内人となるゲストが乗り降りして
色々なワークショップが開かれます。
そして参加者同士でディスカッションが行われる。
例えば、中国や台湾の人たちと教科書問題や戦後補償の問題について話すこともあれば、
環境活動家のカナダ人が捕鯨問題について話をしたら
日本人が「鯨を食するのは日本の食文化」だと反発しました。
学べば学ぶほど、わからないことが増えていき、
必死に考えて、自分なりの考えを、自分の言葉にできたときの解放感を味わいました。
学ぶことって世界とつながっていき、自分が自由になることなんだなと。

これまで私はしっかりと自分の意見を持っているほうだと感じていましたが、
自分の意見を発表して、おっちゃんから生まれて初めて反論されたときに
「自分自身の意見だと思っていたものは、親や先生の受け売りだったんだ」と
大きな衝撃を受けました。
受け売りの意見って、少し反論されただけで脆く崩れ落ちてしまう。
自分で情報を集めて掘り下げていった意見でないと役に立たないと思いました。
ピースボートでのインパクトがあまりにも大きすぎて、
「これまで受けていた教育を変えなきゃ」という強い思いが芽生えたんです。

――その後の人生に大きな影響を及ぼす出来事だったのですね。
ピースボートに乗ろうと思ったきっかけは何でしたか。

武田:元々、国際系の科目が充実している高校に通っており、海外に興味があったんです。
直接的なきっかけは、18歳で人生最大の失恋をした相手がピースボートに乗っていたこと(笑)
当時の私にとって刺激的で尊敬する人でしたし、ピースボートの経験者が身近にいたことで、船に乗ることが現実的な選択肢になったんです。
ちょうど前向きに大学生活のスタートを切ることができず、
気持ちを切り替えるためにも「学外で何かしよう」と思い立ち、
ピースボートのボランティアセンターに1回生の5月に通い始め、船に乗ったのが10月でした。

――実行に移すまでスピーディーですね。その行動力は昔からですか?

武田:生徒会役員や行事のリーダーをしていたりと、行動力がなかったわけではないですが
周囲の大人から勧められた上での挑戦が多かったんです。
ピースボートは初めて自分自身で下した大きな決断だったといえます。
勢いって大事ですね。

――ご自身の価値観や生き方に影響を与えた人との出会いについて教えていただけますか。

武田:ピースボートで最後に講演をしてくださった脱原発の活動をされている
田中優さんとの出会いは大きなインパクトがありました。
「生き方も仕事も、自分がいいと思うものがなければ
今存在している型にはまらなくても、自分でつくるという選択肢もあるよ」と述べておられて、
腑に落ちましたし、精神的な自由が広がっていく感じがしました。

田中さんの言葉でもう一つ印象の残ったものがあります。
それは「人には、『風の人』と『土の人』の2種類がいる」というもの。
「風の人」は新しいものを取り入れ、色々な場をめぐっていく。
「土の人」は一つの場所で1つのテーマ・問題を掘り下げていく。
往々にして、風の人は土の人に対し「視野が狭くて、古くさい」と感じる一方で、
土の人は、「風の人は流行を追いかけて、地道さが足りない」と感じて、互いに溝ができやすい。
ですが、両者が手を取り合ったときに、風土が生まれ、
それで初めて社会が変わり始めるのだと田中さんはおっしゃったんです。

――「風の人」と「土の人」両方が欠けてはならない存在なのですね。

武田:私はこれまで同和地区の地域コミュニティーという、
「土の人」に囲まれた生活をしてきました。
地域のテーマとしての同和問題と向き合ってきましたが、その限界も感じていたんです。
私自身は「風の人」と過ごすほうが楽なのですが、
今意識しているのは、風の人と土の人の橋渡しをするのが私の役割だということ。

コアプラスを本格的に始める3年前は、
自分が育った土的なコミュニティーからなかなか認めてもらえず、
かといって愛着やこだわりがあって離れらない葛藤を抱いていましたが、
それなら、風の人と土の人がお互いにわかりあい、役割分担できるように、
両方の人と話ができる人になろうと決めたんです。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 21:41| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

「食」を中心に地域の良さを発信し、縁を「結ぶ」人 file.66(後編)

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☆前編はこちら☆

――川村さんがそうした動機を抱くようになった具体的なエピソードはありますか。

川村:何か一つの大きなきっかけがあったわけではありませんが、
農家の方から「俺の畑を見にこいよ」と言われ、生産現場を直接見れたことや
生産者の想いを生で聴けたことの積み重ねが、
私の原体験になっているんだと思います。
若い農家の方が「俺は将来、この土地をしょって生きる。
地域の農業の課題に向き合いながら、食の生産現場を担っていきたい」などと
真剣に語る姿に心を動かされました。

――「俺の畑を見にこいよ」と言われるほどの信頼関係を作れるのは
なかなか誰にでもできることではないと思ったのですが、よくそう言われませんか。

川村:めげずに攻めていったのがよかったのかもしれません。
箱根ファーマーズカントリーの方々にも
何度も会いたいとお願いしていたら、最初はうやむやにされていましたが、
私の本気が伝わったのか会うチャンスを作ってくださり、
次第に、定期的に飲み会に呼んでもらったり
イベントに参加させてもらったりと関係性ができていきました。
結屋の事業として、野菜ジェラートの企画販売という形で
共同で事業が出来たことも非常にありがたいですね。

――私だったらめげていると思うのですが…!

川村:未知の土地でゼロベースで始めたので、失うものはないですし、
動いたら動くだけプラスになるんですよ。
猪突猛進で動いていたこの時期が、今も続く大切なつながりをつくってくれた。
三島の飲食店に食べに行って、「こういうことを知りたいんです」と言うと、
その関係者を紹介していただいて、すぐにそこに赴いた。
これが三島バルの基盤にもなっています。

バルの出店は最初45店舗で、6回目となる昨秋は119店舗へ。
第1回の開催の時は「この企画をやるしかない」と腹をくくり、
手書きの企画書をもって三島の飲食店を100店舗ほど開拓しましたね。
「いきなりこられても困る」と突き返されたこともあるし
情報伝達でトラブルもありました。
そんな手探りのなかで開催した第1回目でしたが、
来場者は約1000名と、予想以上に多くのお客さんが来てくれたんです。
「昔のにぎわいが戻ってきたみたい」と喜ぶお店の方を見ると、苦労が報われましたね。
第6回の現在では、約3300名の方が参加下さっています。

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――新しい企画を立ち上げることと、それを継続させること。
両者においては求められるものが違うと思いますが、川村さんはどう感じますか。

川村:立ち上げ時は想いがあれば瞬発力と勢いでいけますが、
継続させるためには、内容をブラッシュアップしつつ、仕組みづくりも必要になるので
後者の方が大変だなと感じています。
出店してくださる店舗の方々にも来場者にも満足してもらえるような工夫を続けていきたいですね。

ーー大変な状況も乗り越えられる原動力は何でしょうか。

川村:地域の人たちのおかげで成長できたので、恩返しをしたいという思いが根っこにあります。
身近な人が喜んでくれる顔が見られる。
そして「三島っていいね」と思う人が増えていき、「いいね」の連鎖が生まれていく。
こうした小さな幸せの積み重ねが私の原動力になっています。
悩むこともありますが、着実に行動を続けて、
もっと三島をよくしていきたいと思っています。

――結婚されてから、考え方に変化はありましたか。

川村:事業のための時間と家族と過ごす時間とのバランスについて考えるようになりましたね。
以前は自由に動けて、夜12時から飲食店で打ち合わせなんてこともありました(笑)
多少の葛藤はありますが、「自分の時間ももちなよ」と気遣ってくれる夫の存在は貴重ですし、
二人の時間も大事にしていきたいですね。
だから今は、自分の行動において、「引き算」が大事だなと思っています。
捨てることを決める時期というか。
先日ある方の講演で「100人の女性がいたら100通りの働き方がある」とありましたが、その通りだなと。
他の人の事例はあくまで参考材料であって、
最後に決めるのはやっぱり自分自身だなと思います。

――個人的に共感するところがたくさんあります。
最後に、これから挑戦したいこと、将来の夢をきかせてください

川村:地域の食のよさを伝えるしくみづくりに力を入れていきたいですね。
三島バルや情報発信にくわえ、飲食店を始めたいと思っている人が学べる場など
この地域の食や文化の豊かさを次世代に伝えていける一連の流れを生み出せないかなと。
まだ構想段階ですが、飲食店や農家が生み出す味や体験を一つずつ掘り起こしていきたいですね。

☆☆☆☆☆

見知らぬ土地でも自ら道を切り開くバイタリティ。
そして、着実な一歩一歩が生み出す変化を大事にできる感性。
この両方を持った方だと思った。

地域の人たちが喜ぶ顔を見たい、食の良さを伝えて恩返しをしたい。

彼女の内なる炎は、周囲の人たちの情熱にも火をともし、
協力者や応援者を増やしていくのだろう。

ただ突き進むだけではなく、自分の本当に大事にしたいものを見つめ、
「引き算」を考える時間の大切さをも教えてくださった。

2015年秋にも開催される三島バルにはぜひ参加したい。
そして彼女の構想が形になっていくのを見続けていたい。
そんな思いでいっぱいになった。
タグ:地域活性
posted by メイリー at 18:47| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする