子どもや女性のキャリア支援をおこなうNPO、
COLORの代表をされている鬼木利恵さん。
ご自身も6歳、3歳になる2児の母である。
子どもの自主性を高めつつ地域にも貢献する「ご当地弁当商品化プロジェクト」、
「おやこ絵本料理教室」、「女性のためのキャリアサロン」など多彩に展開しており、
奈良のママが仕事をつくる会「ナラマーシカ」の副代表も務めている。
NHK奈良のニュースや産経新聞などで取り上げられ、大注目を集めているところだ。
彼女がCOLORを立ち上げたきっかけ、COLORの活動に込めた思いを
ぜひインタビューしたいと思い、奈良に向かった。
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ーーCOLOR設立では、ご自身の「仕事と家庭の両立」の体験が
関わっていると思いますが、直接的なきっかけは何でしたか。
鬼木(敬称略):元々リクルートで人材採用の業務に携わっており、
夫の三重転勤で、名古屋支店に通って働いていました。
長女の出産後、産休・育休を経て、仕事を続けていましたが、
次女の出産を控えていたり、夫の転勤が目の前にせまっていたこと、
そして何よりも仕事を面白くすることができないモヤモヤがあって、退職を決めました。
そんなとき、ママ友でもあった辻本さんに
「住む土地に縛られず、子どもを持ちながらでもやりがいを持てることを自分でしたい」
と話したら共感してくれて、COLORを立ち上げることにしました。
2人とも子どもが小さいので寝静まった頃に夫に様子を見てもらって、
喫茶店で打合せをしたりビデオチャットでやりとりをしたりして、
アイディアを出し合いました。
奈良に移住したとき、次女が1歳になっていたので、
2人の娘を保育所に預けて、リクルートの代理店さんの業務委託の形で採用の営業を始め、
奈良を回りながら、ご縁と土地勘を得ていきました。
ーーそんな経緯があったのですね。
子育てをしながらの起業はかなり大変だったのではと思いますが、
そのときの気持ちはどうでしたか。
鬼木:たしかに忙しいですが、社会とのつながりを感じられて、
自分のミッションを共有できる人がいて充実していましたね。
家庭にのみ軸足を置いている方がつらいなぁと思っていたので。
ーー旦那さまもかなり理解のある方だったのでしょうか。
鬼木:そうですね、徐々に理解してくれる部分が増えていった感じです。
実は夫に2ヶ月間育児休暇を取ってもらったことがあり、
それが夫本人の人生に良い影響を与えたと思います。
夫は福岡出身で九州男児的な価値観の持ち主。
とはいえ専業主婦だった彼の母親に対し
「やりたいことをやれなくてかわいそう」という気持ちもあったようで、
「家庭を大事にしたい」という思いと、
幼少期から染み付いた「女性は家事・育児」という価値観とでジレンマを抱えていたみたいです。
育児休暇を取るときも、彼のお父さんの反対を押し切った形になりました。
父親の価値観に反発し、母親への思いを表現したことに意味があったのではと思います。
ただ、当時の彼の部署には育休取得の前例はなく、
復職後も上司から「君がいない間みんな大変だったんだよ」といったことを言われたんです。
彼は育休を取ったのは間違いだったのか?と悩んでいましたが、
これを機に、「本当にやりたい仕事をしたい」と思い立ち、
社内公募制で希望部署に応募し、見事通過しました。
既存の部署を出て、やりたいことを仕事にする後押しになったのかもしれません。
ーー育休を取る中での様々な葛藤をプラスの波に変えていかれたのですね。
子育てをする前と後で、鬼木さん自身にも何か変化はありましたか。
鬼木:長女の出産ではあまり変化はなかったのですが、
次女の出産を機に考え方が変わりましたね。
元々「人に迷惑をかけたくないし、無理をすれば自分でやれてしまう。」という風に
何でも自分で抱え込んでしまう傾向がありました。
「もっと人に頼っても大丈夫」と思えるようになってきたんです。
リクルート時代は忙しすぎて日々をこなすことに精一杯だったのですが、
仕事をやめてゆっくり考える時間をもつことができ、自分の中の「モヤモヤ」に気付きました。
ーーその「モヤモヤ」に気付くきっかけは何でしたか。
鬼木:たまたま図書館で「働く母親たちが危ない」という本を見つけ、
タイトルに共感して手に取りました。
アメリカのジャーナリストで、ワーキングマザーでもある方が
1980年代の母親たちの取材結果をもとに書いた本だったのですが、
20年も前のことなのに、全く色あせておらず、今のリアルな状況を描いていたんです。
そこには、母親に対して「自分の気持ちや状況を受け入れよう」と書かれていました。
作者のエピソードに次のようなものがありました。
「ずっと待ち望んでいた記事執筆のための取材で、どうしても家をあける必要があった。
子どもたちの預け先について、万全の準備をしていたにもかかわらず、
飛行機で旅立つ当日、4歳の息子が水疱瘡になってしまった。
母親にも馴染みのあるベビーシッターにも預けることはできない。
病気で苦しんでいるわが子を、見ず知らずのベビーシッターに預ける気にはとてもなれない。
八方塞がりなき持ちで、やむを得ず会社に「取材に行けなくなった」と電話をかけるのだが、
自分の体調が悪くなったと嘘をつこうかと迷った。
だが、私の状況を子どもなりに察した息子が
「ごめんね…」と私の膝に頭を乗せてきたとき、激しい罪悪感におそわれたが、
「仕事人と母親」という二つの役割が要求するものと、与えてくれるものが次第に合流し、
中心が定まったという感じが生まれてきた。
そして『すみません、息子が水疱瘡にかかってしまって取材を延期したいのですが・・・』と
自分の置かれている状況を正直に話すことができた。」
彼女の言葉に共感し、いい意味で開き直ったというか、遠慮が減りましたね。
もしこの本を早くに読んでいれば、私は仕事を続けられたのではとも思いました。
(後編につづく)