2013年08月07日

子どもたちに挑戦の喜びを伝えていく社会起業家 file.18

田中洋輔さん。
2009年から「誰もが夢を目指せる社会を創る」というミッションのもと
D.Live(ドライブ)を立ち上げ、
「こどもしゅっぱん社」の活動を中心におこなっている社会起業家。

ーーD.Liveを立ち上げるに至った経緯を教えていただけますか。

田中(敬称略):就活時点で「子どもの可能性を伸ばす教育がやりたい」と思っていました。
でもリクナビで教育業界の全企業を調べたら、塾ばかりが載っていて、
自分が思っている教育とは違った。
教職も授業2日目でやめたんですよ。自分が教師の勉強しなくても、
学校を丸ごと買収しちゃえばいいと思って(笑)
いったん就職はしたけれど、「カタリバ」を見て、
「コレだ!」と思って、すぐに辞表を出しました。
自分で教育系の団体をつくり、人を集めてイベントを行ったんです。
実際にやったイベントでは、課題ばかり見つかったんですが。。。

ーーすごい行動力ですね!どうやって人を集められたんですか。

田中:mixiやSNSでメンバーを募集してカフェサークルを作ったり、
カフェを実際に経営したこともあった経験があったので、
同じような感じで集めました。
あとは、知りあいの知り合いとかにひたすら「こんなことやりたいねんっ」と語って (笑)
最初のイベントは「カッコいい大人プロジェクト」といって、
起業家とか、すごい大人と子どもが車座になって語りました。
子どもは20〜30名集まったけど、子供たちの反応は
「この人たちすごいね。でも自分にはできないや」というもの。
自分事にするアンテナが育ってないんだなと。
それで、僕らの仕事は「アンテナを作ること」だと気づいた。
そのためには継続的な活動が必要だから教室を開こうと思ったんです。

ーーその後はどんな風に活動内容を決めていったのでしょう。

田中:来てくれた人に響くコンテンツがなくて、約2年半先が見えず真っ暗でしたよ。
edge 」という社会起業コンペに出たら、
ボコボコにされましたね、「課題いっぱいだよ」と(笑)
それからずっと理詰めで、自分たちが実現したいものが何か向き合ってきました。
「そもそも夢をもつ必要あるの?」「夢って何?」
「育てたい子どもとは?」「今の社会の課題とは?」
文献を調べて1つずつ問題を解いていく感じ。
「自尊感情と、他の色々な物との相関」に着目して、人の話を聞きながらロジックを組み立てていき、
やっとこそ教室が目指す姿が見えてきました。

ーー2年半も問い続けていたのですね。
「自尊感情」という切り口のヒントはどうやって得られたのですか。

田中:大阪のキャリア教育のNPOでインターンをしていたので、
肌感覚として子供たちの状況を知っていました。
Twitterで一人ブレストをしているうちに、「子どもたちにどうあってほしいのか」が見えてきて。
生き生きしている学生と、ブレイクスルーしていない学生の差は何か?と考えたときに、
前者は、壁にぶちあたっても挑戦するし、失敗しても再度挑戦して上手くいっている。
だからまた壁が出てきても挑戦…という、このループを楽しめるから自信が深まっていく。
一方、後者はそもそも壁に立ち向かおうとしない。
そこには「敗者復活ができづらい」という今の日本社会に問題があります。
中卒・高卒で仕事をやめると、次の仕事に就ける確率がぐんと下がる。
現に20代のホームレスだっている。
子どもが挑戦していけるようになるには、小さい時に失敗をいっぱいしておけば
筋肉が鍛えられていって、大人になってから大怪我をしなくてすむ。そう思ったんです。
ターゲットは小学生に絞りました。
具体的なコンテンツとして、最初は鍵っ子がカフェを自分たちで経営する学童という
「かつおくんプロジェクト」を考案しました。
親も地域の人もそこに集まってくるような感じ。
でもコンペに出したら「親が価値を感じにくい。もっとシンプルさが大事。固定費もかかる。」と言われてやり直しでした。
世間に理解されやすいコンテンツや見せ方を1年間悩んでいたら、
フリーペーパーを作るという企画が生まれて。
これが「こどもしゅっぱん社」の原型ですね。

ーー「こどもしゅっぱん社」では子供たちが自ら企画・取材をおこない
雑誌作りをするとのことですが、雑誌作りという手法を選んだ理由は何ですか。

田中:「雑誌を作る教室」と言うと、理解されやすいんですよね。
企画も大人と話すのも、挑戦のチャンスが豊富にあります。
あと、インタビューで地域の様々な大人にふれることができるので、
自分で味方をつくる練習ができます。
自信をつけるためには「味方」の存在って大きいんです。
僕らはいずれはいなくなるから、自分で味方を得られるようになってねと。
もう一つは、これ、すごいメリットなんですが、雑誌という枠の中で自由にやれること。
小説を書いてもいいし、イベントをやってそれを記事の材料にすることもできるから、
活動に広がりができるんです。


ーー「子どもたちに挑戦の場を」という、こうした課題意識を
もつようになった経験ってありますか。

田中:今まで考えてこなかったけれど、自分がアウトローだという意識かなぁ。
社会って結果しか判断しないんだなという憤りがあった。
あとは、「子どもが挑戦できる機会」のなさを問題視していました。
小4のとき「世の中のコンテンツって、ゲーム以外は答えが決まっていて面白くない」と感じていて、
自分で面白いコンテンツを作ろう!と、ゲームの企画書を書いたこともあります。

ーー子どもにフォーカスをあてているのには理由があるのですか。

田中:変容可能性が高いというのが一番ですね。小学生は考え方がまだ柔軟。
あと、今になって思うと自分が子供のときのトラウマがあるのかもしれません。
小さい頃からメジャーリーガーになりたくて、野球の強い高校に行ったけれど挫折したんです。
浪人して立命館大に入ったけれど、1回生の5月に「やめたい」と母に漏らしたのを覚えています。
人の目を気にするところもあったんだろうな。
1年間引きこもりの時期もありました。
生きる目的がほしくてたまらなかった。
19歳のときに当時のホリエモンの影響もあって、
元々あった独立志向に火が点き、「30歳までに会社を興す!」と決めました。
「人と同じになりたくない」という思いがあったけれど、
思い起こしてみると、自信が欠落してたんだなって。

ーー自信がなかったと?

田中:そう、今の自分を認めてあげられないからスゴイ人を目指そうとしていて、
社長はわかりやすいシンボルだったんでしょう。
今ちょうど「自分のトラウマを克服するためのワーク」を毎日やっているんです。
ETICの研修で、メンタルモデルという概念を学び、
自分の思い込みに気付くことで同じ失敗を避けられると知り、
過去のことを遡ってワークをしているんです。
これまで僕のトラウマは野球をやめたことだと思っていたら、もっと前のことだと気づきました。
小さい時から努力しているという自負があるのに、親も周囲の大人も「結果」しか見てくれなかった。
いや多分、見てくれいたとは思うけれど、自分としてはもっと過程に注目してほしかった。
「誰も僕のことをわかってくれない」という思い込みがいつの間にか形成されていたってことに、
ワークをしてて気がついたんです。
自信がなくて鎧をかぶって、人との距離を置いていました。
大学時代、人とたくさん触れ合った後は1,2カ月電話線を切って、
まわりから「死んだんじゃないのか」と心配されたこともありました(笑)
どうしようもなく一人になりたいときがあるんですよね。

ーーそんなことがあったのですね。田中さんの思いを理解してくれる人はいましたか。

田中:いなくてしんどかったですね。
岡本太郎さんの「自分の中に毒をもて」を読んで、
この人と同じ気持ちだなぁと感じたことはありましたが。
「この人、理解してくれるかも?」という期待は密かにありましたが、
ある一定の深さになると自分がブロックをはっているので、それをやぶった人はゼロでしたね。
NPOのメンバーは同じ志をもつ仲間ではありますが、友達をあんまり作れないんです。
アダルトチルドレン診断をしたら、ほとんどの項目にあてはまってびっくりしてるんですけど(笑)
でも、トラウマを克服するワークに取り組むうちに、自分の背骨を取り戻しつつあります。
ブロックも半分くらい外れてきて、今まさに自分はリニューアルオープン中です。

ーー岡本太郎さんに共感したのはどんなところでしたか。

田中:共感というか尊敬という方が正確ですね。
太郎さんは人の目を気にし過ぎていたがゆえに、気にしていない。そこに憧れました。
彼の影響もあって、人生の選択は危険な方へと心がけています。

ーー今後の夢をお聞かせいただけますか。

田中:僕がこうなりたいというのはないのですが、
NPOの目標として「自分の未来に期待できる子どもを育てたい」というのがあります。
得意不得意や、置かれている環境に関係なくね。
あとは子どもたちに「日本に生まれてきてよかった」と思ってほしいです。
日本って水は豊富にあるし、60年もの間戦争はないし、
識字率は高いし、乳児死亡率は圧倒的に低い。
こんなに恵まれているのに、なぜ課題先進国なんだろう?って。
学校の歴史の授業でも、どちらかというと日本の負の面が取り上げられていて、誇りをもちづらい。
僕、坂本龍馬がすごく好きなんですよ。
こうした希望をもてる面を子供たちにもっと見せて、
純粋な愛国心をもてる社会につながればいいなと思っています。
今29歳なんですが、龍馬はその年では非常に活躍しているので、
僕もがんばらなくてはと奮起させられています。

☆☆☆☆☆

「全身からエネルギーが漲っている」
それが田中さんのお会いしたときの第一印象だった。
D.Liveの目標や具体的なコンテンツを見出すまでの長い長い道のりを聞くと、
どんな壁にぶつかっても、信念をもって乗り越えていく強い方だと思っていた。

その強さの原点をお聴きするうちに、
ご自身が子供の頃に感じてこられた疑問や葛藤が
色濃くD.Liveのミッションに表れていることを痛感した。
人間の弱さを感じ取る繊細さと、それを原動力に前へ前へと進んでいくパワー。
一見相反するものが、彼をドライブしているのではないかと感じた。

子どもたちが一から企画・取材・執筆をおこなっていく活動への思いに、心から共感した。
雑誌という枠があるからこそ自由に創造性を発揮できる。
これは「箱」の中で自由にものを配置していく箱庭療法しかり、
「枠で守られている」ことが、自分らしさを表出する後押しになるのだと思う。

こどもしゅっぱん社を卒業した子どもたちの姿とともに、
どんどん脱皮して進化し続けていく田中さんの姿を
今後も追っていきたいと強く感じた。
posted by メイリー at 00:08| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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