2013年08月19日

唯一無二の強みで勝負するフリーライター file.20

今井明子さん。
京都大学の農学部を卒業後、酒メーカー・印刷会社勤務を経て編集プロダクションへ入社。
7年半勤務したのち、2012年から独立した。
現在はフリー編集者・ライターとして、健康系・生き物・アウトドア・教育・児童向け科学本などを手掛けている。

「東京ナイロンガールズ」で連載中の「鯉に恋する水辺探訪」で展開される
彼女の独特の世界観に魅了され、インタビューに向かった。
待ち合わせ場所に佇んでいたのは、着物姿の粋な女性。
初対面の私を、上品であたたかい笑顔で迎えてくれた。

☆☆☆☆☆

ーー「鯉に恋する水辺探訪」では、様々な鯉スポットを訪れては、
鯉の美貌・グラマラス・口説きやすさなどを評価していて、面白い切り口だと思いました。
「鯉」というジャンルで書かれているのは訳があるのですか。

今井(敬称略):私、子供の頃から魚が大好きなんです。
自然を歩き回って魚が泳いでいるのも、魚市場に魚がずらりと並んでいるのも、見ていて楽しい。
小さいときに金魚を飼っていたら、金魚は実は飼い主に懐くことに気付いたんです。
鯉も同じ。でも池によって人懐っこさが違うんですよね。
それから、さまざまな公園の池をのぞいていくにつれ、
錦鯉の多い池、黒い真鯉ばっかりの池があることにも気付きました。
錦鯉は劣性遺伝なので、錦鯉の多い池を放置していると真鯉ばかりになるんですよ。
こういうことに気付いている人ってほとんどいないんじゃないかと思ったのが、
鯉の観察コラムを始めたきっかけです。

ーーなるほど・・・。
今井さんは学生時代からライターや編集者を目指されていたのですか。

今井:農学部に入った当初は、なんとなく研究職になるものだと思っていました。
ですが、あまりに手先が不器用なので、3回生のときに実験がことごとくうまくいかなくて…。
研究では大成しないから文系就職をした方がいいだろうと、進路を変更しました。
中高で演劇部、大学でフィギュアスケート部に所属し、
自前で衣装を作ったり、演劇やフィギュアスケートの音楽を選んだりしていたことから、
似たようなことができる仕事は何かないだろうかと考え、マスコミの世界に興味をもちました。
でも、もっと前からマスコミ対策をしている受験者たちと比べると、明らかに準備不足で、
マスコミ受験は全滅してしまいました。
そこで今度はメーカーの商品企画部門に行けば、
マスコミでテレビ番組や本を作るのと同じような仕事ができるのではないかと気付き、
ご縁のあった関西の酒メーカーに入社することになりました。
商品カタログやPOPを作る仕事自体は楽しいし、
一生勤めるつもりで、転職なんて全く視野に入れていませんでした。
ですが、配属された部署は、1年もたたずに辞めていく女性が後を絶たない。
パワハラ上司がいたんです。
私は断固戦う姿勢だったのですが、仕事の邪魔をされ続け、徐々に心がすり減り、
「このままここにいても何も得られるものがないな…。
それならもう一度マスコミ就職を目指して東京に行こう」と決めたんです。
ところが当時23歳の私に、転職の案件は少なく、
紹介されるままに、少し出版業と関連のある、東京の印刷会社に営業として入りました。
印刷営業の仕事は予想よりも楽しかったのですが、
毎晩会社帰りに居酒屋に行き、そこで繰り広げられるのは野球談義と上司の武勇伝と説教・・・という「ザ・オヤジカルチャー」になじめませんでした。
その会社では完全に私は浮いていましたね。

ーーそんな大変なことがあったのですね。その後はどうされたのですか。

今井:やっぱりマスコミへの転職をあきらめきれず、働きながら「宣伝会議」の講座に通い、文章を書くスキルを磨きました。
そこでの作品をアピールすることで、編集プロダクションへの転職がかないました。
編プロは給与があまり高くなかったり、激務だったりするけれど、色々な会社からの仕事を担当することができ、多彩なジャンルに携われる。
ライターとしても編集者としても、確実に実力がつきます。
そこで自分の実績を積むことができましたし、雑誌をつくるチームのリーダーも経験できました。
ただ、この数年で出版不況がさらに進み、単価の安い仕事をたくさんこなさなければならず、仕事がオーバーフローぎみになったことや、
ちょうど結婚し、多少仕事を選んでもすぐに生活できなくなるわけではなくなったので、
自分のペースで好きな仕事をしようと、フリーの道を選びました。

ーーフリーになってから、どうやって仕事を受注されているのですか。

今井:最初は前に勤めていた編プロからの紹介がメインでした。
売り込みもしましたし、ライター仲間の繋がりで、仕事をシェアし合うこともあります。
1つ仕事をいただいたら、そこからまたご縁を広げていくことも。
出版業界って、業界全体が大きな会社みたいなんです。
人脈を広げつつ、ひとつひとつの人脈を大切にし、ツテを通じて仕事を得ていくことが大事になりますね。

ーー小さい時から「ものを書く」のが好きでしたか。

今井:実は中高では国語の成績が悪かったんですよ。
幼稚園のときは絵本を描いていたし、小学校でも自由に作文を書くのは好きだった。
でも、読書感想文でつまずいたんです。どうやって書いたらいいのかわからなくて。
文章を再び書けるようになったのは、大学の卒論です。
ここで論理的な文章の書き方がわかりました。
社会人になってからは商品企画部でパンフレットを制作する際に、
デザインのよしあしを判断するよりも、文章を書くほうが他人より得意なことに気付きました。
それで「書くこと」を自分の武器にしようと思ったんです。

ーー今井さんは、どういったジャンルの原稿を書かれているのですか。

今井:ライターは文系が多いので、私は理系ならではのジャンルを重点的に担当しています。
あるテーマについて書くとなったら、文章には直接表れない膨大な知識が必要です。
医療系は専門用語が飛び交いますが、理系の素養があれば、太刀打ちできる。
現在、私は気象予報士試験の勉強をしています。
自然や天気に関する本の依頼にも対応できるようになりたくて。
半分は趣味なんですけどね(笑)

ーー常に専門を深めつつ、新しい分野にも挑戦されているって素晴らしいですね!
今井さんは相当な読書家だそうですが、どんな本を読まれるのですか。

今井:部屋の壁に文庫本がぎっしり並んでいます。
小説を読むことが多く、女性の一代記や歴史ものが好きですね。
マンガもよく読みます。持統天皇を描いた大河ロマン「天上の虹」は今も続いているのですが、中学校の時からずっと夢中になっている作品です。
女性の生き方の指針になりますし、昔の時代性を知れるのも醍醐味の一つですね。

ーー他にも、今のキャリア形成に影響するような子どもの頃のエピソードがあれば教えてください。

今井:私の親は、惜しまず本に投資してくれました。
そして、あちこちに連れていってくれたのが、今の「外歩き好き」に繋がっていると思います。
あとは、中高の環境にも大いに影響を受けました。
オタクが市民権を得ている学校に通っていて、どんなにニッチなことにはまっていても、
それを面白いと受け止めてくれる空気がありました。
だから、誰かを排他することなんて全くなくて、
みんな好きなことを追求している感じでしたね。
例えば、生徒が自発的に学級文庫を始めたことがあったんですが、
某カルト宗教の教義をわかりやすく解説した漫画や「拷問全集」みたいな本を、みんながふざけて持ち寄るんです。
普通はこんな本を読もうとしたら止められるんでしょうけれど、先生も生徒を信頼しているからか、何も言わない。
こうした環境に身を置けたことは本当によかったですね。
逆に京大に入ったら「あれ、高校時代の友人の方が突き抜けて面白いな」と、
ギャップを感じたくらいです。

ーー突き抜けた個性をもったご友人たちだったのですね。
そういった経験は、今の仕事にどう活かされていますか?

今井:ライターはオタクであることが必須条件です。
ニッチでいいから、「この知識ならだれにも負けない!」という分野が必要になります。
「何でも書ける」ライターは、「誰でも書ける記事しか書けない」ライターと同じで、
年をとるとどんどん先細りになっていくというのが現実です。
臆することなく好きなことを追究していける姿勢は、中高時代の環境のおかげです。

――最後に、今井さんの今後の目標についてお聞かせいただけますか。

今井:今年から児童書の依頼をたくさん頂くようになったのですが、
子どもたちに理科の楽しさを伝えることにやりがいを感じています。
今後も積極的に携わっていきたいジャンルです。
教員免許を持っていることもありますし、自然や生き物の魅力を伝えられる本を
世に出していきたいと思っています。
あとは、今年小説の依頼を受け、初挑戦しました。
これはとても楽しかったので、今後も機会があればまたやりたいですね。
私の場合、小説は一から自由に書くより、想定読者やテーマのオーダーがあった方が書きやすいです。
日ごろから人間観察は習慣になっているので、
そこから得た着想をもとに、辛辣にピリッとくる内容か、
もしくはどーんと落ちて深く考えさせられるような内容の小説を書きたいと思っています。

☆☆☆☆☆

フリーライターになるまで、数々の試練を乗り越えてきた今井さん。
普通なら心を折られてしまう状況でも、
現実を見据えながら、自分の強みを活かせるキャリアや道筋を常に考え、行動に移してきた。
自分のリソースをフル活用して「転機」を、チャンスに変えていく姿に胸を打たれた。

彼女のもつ知識の幅広さと専門性の深さには、
中高のご友人たちと過ごした日々が色濃くにじみ出ていると感じた。
「オタクを受容する風土」の中で、彼女たちは「異なる個性から学ぶ術」を体得し、
専門性に磨きをかけていったのだろう。
そして、それを信頼して黙って見ている先生方には感心せざるをえない。
こうした風土が、多感な思春期の子供たちの間に広がることを強く願う。

今後もますます活躍のフィールドを広げていく彼女のファンであり続けたいと思う。
posted by メイリー at 22:16| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする