2013年11月23日

実践の積み重ねで伝統を後世へつなぐ副住職 file.30

妙心寺退蔵院の副住職をされている松山大耕さん。
前ローマ教皇に謁見するなど、世界を股にかけた活動をおこない、
観光庁のVisit Japan大使と京都観光おもてなし大使をつとめている。
現在は、退蔵院方丈襖絵プロジェクトという斬新な取り組みをされている。
彼が大事にしている価値観と、それを得るまでの経験をお聴きしたく、妙心寺に足を踏み入れた。

☆☆☆☆☆

ーー退蔵院方丈襖絵プロジェクトを始められたきっかけを教えていただけますか。

松山(以下敬称略):文化財の襖を保有する寺社では、真っ白な新しい襖を入れたり、過去の絵を複製させるのが一般的ですが、
それでは芸術家が育たないと思い、無名の絵師に新たな絵を描いてもらうことにしました。
自分としては特にクリエイティブなことをやっているわけつもりはありません。
昔は「お抱え絵師」の仕組みがありましたし、この文化を復活させただけ。
先日、お茶の表千家の宗匠にお話を伺ったときに、「伝統とは、掬った水をそのまま渡すことだ」とおっしゃっていました。
ただし「渡し方」、つまり後世への引き継ぎ方は工夫しなければなりません。
若手絵師の村林由貴さんには、住み込みでお寺の仕事を行う傍ら、襖絵の制作に集中していただいています。
想像していたよりもものすごい練習量なんですよ。
絵を描くのは苦悩の連続なのだろうと思います。
禅や武士道、古典芸能などに通ずる哲学は「大事なことは忘れろ」というもの。
お箸の使い方って頭で考えなくても自然と体が動きますよね。
それと同じで、やり方が身に染み付くほど練習に練習を重ねて、成熟することが大切です。

ーーこのプロジェクトでのこだわっている点はありますか。

松山:提供するすべての素材において、最高のものを使っている点です。
現在の最高の技術が未来に伝承されますし、
「最高の素材を使って制作している」という緊張感が技術を際立たせます。
一流の人たちは皆「見えないもの」を大事にしているんです。
映画監督として名高い黒澤明さんは、撮影現場では
その時代に合った調度品などをすべて調達していたようです。
箪笥の引き出しの中身が映像に映らない場合でも、そこまでこだわっていた。
宮崎駿監督も、絵コンテの画面には映らない部分も丁寧に絵を描いている。
そうしないと迫力が伝わらないからです。

ーー「見えないもの」を大事にする、ですか。
松山さんは大学院の頃に「理想の住職」に出逢って、お寺を継ぐことを決めたとのことですが、その他、ご自身の生き方に影響を与えた人や出来事はありましたか。

松山:旅行が好きで学生時代に沖縄や石垣島に行ったとき、妙心寺の末寺があり、
同じ妙心寺派ということで、とても良く迎えてくださって。
お寺のネットワークに活かされていると感じましたね。
大学1,2年生の頃は、周囲の影響もあり外交官や弁護士を目指そうと思った時期がありました。
友人たちはダブルスクールに通っていましたが、彼らは皆優秀で、
ふとした瞬間に「私が目指さなくてもいいのではないか」と思ったんです。
親は私に直接「寺を継いでほしい」とは言わなかったのですが、
お寺の長男として生まれて、色々な人にお世話になってきましたし、
継いでほしいと思ってくれている人が多くいる。
「周囲から望まれて就ける職業って、こんなにありがたいことはない」と思い始め、
お寺を継ごうと決めました。

ーーそんな経緯があったのですね。松山さんは、多彩な活動をされているのに
「当たり前のことをやっているだけ」という風にとても謙虚でいらっしゃると思うのですが、
その姿勢はどこからくるのでしょうか。

松山:謙虚という自覚はあまりなくて、良いものを続けていくという思いが強いのです。
昨今、「イノベーションをしなきゃいけない」という空気が社会に蔓延していますが、
私は必ずしもそうではないと感じています。
この7月に、年配の和尚さまが妙心寺の修行道場に来られたとき、
修行僧たちの様子を見て「(自分たちの頃と)何も変わっていないね」と呟かれたのです。
それを聞いた僧たちはほっと胸を撫で下ろしました。
昔の厳しい修行を乗り越えてきた和尚さまがそうおっしゃるのは
「自分たちがやっていることは間違っていない」という証なんですね。
昔から引き継がれてきたものがベストならば変革なんてせずに、
ずっと続けていけばいいのだと思います。
そのためには「本質を見極める目」が必要です。

ーー「本質を見極める目」はどうすれば養われるとお考えですか。

松山:やはり普段から良いものを見るということと、自ら感動することでしょう。
最近感動したことと言えば、毎朝のお勤めの話があります。
妙心寺では1年半のうちに1か月間、朝5時からお経を唱える当番が回ってくるのですが、
お経をあげている人だけが早起きして偉いわけではないのです。
お焼香をするための炭に火をつけるのに30分ほどかかるのですが、
火をつけて下さる方はお経の30分前から準備をしてくれている。
掃除をしてくださる人もいて、誰一人欠けてもいけない。
チームだからこそできることだし、こういう小さなことにも感動を覚えます。

ーー日常の出来事に対し「感動する心」は何が下地になっているのでしょう。

松山:「感動する心」の下地は、「自ら実践すること」にあると思っています。
禅も実践を大事にしています。
私は絵が苦手なのですが、字を書く機会はたくさんあります。
「字が上手いですね」とお褒めいただくこともありますが、最初から上手なわけではなく、
練習をずっと積み重ねてきたから、それなりの字が書けるわけです。
字の上達はまだまだとはいえ、色々な芸を極めることは難しいですが、
何か1つでも打ち込んだ経験があると、他の分野の一流のものにふれたときの心持ちが変わってきます。

ーー「自ら実践すること」、私も心がけて「感動の目」を見開かせたいと思います。
松山さんは、非常に幅広いネットワークをお持ちですが、
ご縁がこんなにも広がっているのはなぜでしょう。

松山:知り合いが面白い人を自然と連れてきてくれるんですよ。
よく紹介して下さる理由は何でしょうね。
私が老若男女、国籍問わずどんな方に接しても態度を変えないからでしょうか。
どんな人にも対応できると思って下さっているのかなと。

ーーなるほど。これまでに数え切れないくらい、面白い出逢いがあったかと思いますが、
特に印象に残っている出逢いはありますか。

松山:想定外の問いを投げかけられると悔しい思いをするので、印象に残りますね。
以前、ラディカルな映画をつくっているマイケル・ムーア監督が妙心寺にいらして、
一緒に座禅をしたことがあります。
彼は日本のこともとても勉強されていて、こんな問いをいただきました。
「妙心寺は宮本武蔵に禅を教えていたという歴史があるようだが、侍は人殺しと呼んでいい立場だ。
仏教は平和を説くものなのに、そんな立場の者にいったい何を教えていたのか?」と。
当時はどう答えようか迷いに迷いましたね。
今なら、生きるとか死ぬとかではない境地を教えていたんじゃないかと答えると思います。
死ぬと生きるは1つのものの表裏にすぎない。
侍は常に死と隣り合わせだからこそ、死に方を考え、よく生きようという思いを抱くのではないか。
ムーアさんがこの問いをかけてくれたからこそ、これだけ考えを深められたのかなと思います。
修行中に禅問答を毎日おこなうのですが、
禅問答の答え自体には意味がなくて、「気付き」の体験が大事なんですよね。
禅の世界では答えのことを見解(けんげ)と言い、答えるではなくて、「工夫する」と言います。
気づきを得たら口で言っても、体で表現してもいい。
そのときの「体験」って体に染み込んでいるから、まず忘れることはないですね。
私は禅宗の修行によって気付きを得ましたが、どの宗教でもそれぞれの役割があると思っています。

ーーどの宗教にも共通の基盤があるとお考えなのですね。
「日本人は特定の宗教を信仰する人が少ない」とよく言われていますが、
日本人の宗教観についてのお考えをお聞かせいただけますか。

松山:よく「日本人は無宗教」と言われるけれど、私はそうは思いません。
そうだったら、おみくじを引いたり、パワースポットを訪ねたりしないでしょう。
何か特定の宗教を“believe in something(何かを信じる)”ではなく、
“respect for something”(何かに敬意を抱く)なのだと。
日本人が大事なものに対し「手を合わせる」という習慣に、そうした精神が色濃く表れていると感じます。
一般的な日本人はクリスマスにキリスト教の文化を取り入れているし、
お葬式では仏教にふれるし、初詣には神道に接する。
私はこれをポジティブにとらえていて、特定の宗教だけを大事にするのではなく、
さまざまな宗教に共通した道徳観という本質的なものを大事にしている証拠だと考えています。
食卓をイメージしてみてください。
ある特定のおかずにだけ肩入れするのではなく、
日本人のスタイルは、おかずがそろった「食卓」自体を愛しているという感じでしょうか。

ーー京都おもてなし観光大使などをされていて、一番の気づきは何でしたか。

松山:日常が大事ということです。
外国人に日本のよさを紹介するときにマグロの解体ショーのような派手なことをしなくたっていい。
さっとお茶を出すとか、普段当たり前にやっていることをやるだけで良さは伝わります。
そして、私の中で京都は世界一の都市。
クオリティーの高さが非常に安定しているし、すべての分野に哲学がある。
昔ながらの知恵がつまっています。
もちろん変化もたくさん取り入れていますが、核となる部分はブレないんです。

ーー最後に、人生に迷っている人・岐路に立っている人へのアドバイスをいただけますか。

松山:よく「10年後のビジョンは?」と聞かれるのですが、全くないのですよ。
頼まれた仕事をとにかくしっかり取り組むこと。
襖絵も必要だから取り組んでいるのです。
今の自分は「頼まれ仕事の積み重ね」だと思っています。
自分発でやったものは、実はあまりキャリアとして残らない。
自分の適性なんて、自分ではなかなかわからないでしょう?
でも周囲の人は適性を察知して仕事を振ってくれるので、
頼まれたことをやっていけば、能力が徐々に身についていって、
後から振り返ると自然に轍ができていて、人望や生活に困らないくらいの資金ができていく。
ひとかどの人はこうしたスタイルを大事にされていますね
東大農学部の学部長を歴任した大学時代の恩師がいるのですが、
退官を迎えたときに「実は今までやってきた研究はやりたかったものではなかった」と胸の内を明かされたんです。
「本当は農業の歴史を研究したかったけれど、周りの人に頼まれた仕事を
コツコツこなしていたら、今の状況に至ったのだ」と。
改めて本当に素晴らしい方だなと思いましたね。

☆☆☆☆☆

どのテーマについて尋ねても、深海のように深いメッセージが返ってきて
気づきと宿題をたくさん残してくださったインタビューだった。

「死ぬと生きるってよくよく考えると裏表の関係」
「今の自分は頼まれ仕事の積み重ね」

彼のお話に流れる哲学を体に染み込ませられるようになるには、
何か一つのことに全力で打ち込む「実践」が不可欠なのだろう。

周囲への感謝の気持ちを忘れずに、頼まれたことに全力を注ぎ、
今の立場を築かれている松山さんの考え方にふれて、
「人に生かされている自分」と向き合うきっかけを得ることができた。

実践を重ねること、そして日常の至る場面で「感動すること」を大事にしたい。
妙心寺の庭園を見つめながら、そう心に誓った。
posted by メイリー at 20:35| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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