2013年12月28日

操縦士の経験をもとに「一隅を照らす」カウンセラー file.33

半導体製造会社にて、ヘリコプターの事業用操縦士として勤務されていた櫻井真一さん。
その後15年間半導体業界の材料のバイヤーとして活躍され、
現在は心理カウンセリング、キャリアカウンセリングを学ばれている。
彼がカウンセラーの道を志した背景に迫りたい。

☆☆☆☆☆

ーー航空機の操縦士をめざされたきっかけや理由を教えていただけますか。

櫻井(敬称略):簡単には取得できない国家資格にチャレンジしたかったというのが理由の一つです。
他にも、幼少期のTV番組「サンダーバード」の影響もありました。
国際救助隊という航空宇宙規模のボランティア レスキューチームに憧れていたんです。
米国のオールウエイズという映画や、航空機による山火事消火活動に命をかけたパイロットの物語も
「エアマンズ スピリッツ」の偉大さを私に教えてくれました。
バブルの頃、世界をリードしていた日本の半導体業界では、VIP送迎用のジェットヘリをもっている会社もあり、
私はそこで操縦士をしていました。

ーー操縦士をされていたときに、特に印象に残っている出来事はありましたか。

櫻井:本業の話ではないのですが、阪神淡路大震災が起きたときのことです。
道路が寸断され、空からの救助支援が必要でした。
しかし地震発生当初、神戸上空を飛んでいるのは、報道のヘリだけ。
救援活動が見えない空白の時間に、いてもたってもいられなくなり、神戸へ走りました。
全国の操縦士仲間に呼びかけたところ、多くの操縦士が自家用ヘリで駆けつけてくれ、
約45000食の食料や医薬品などの救援物資を、被災現場へ直接空輸することができました。
この年は日本のボランティア元年ともいわれましたが、
操縦士仲間の『エアマンズ スピリッツ』に心底、感動した瞬間でしたね。

ーー阪神淡路大震災の現場に、自ら駆け付けられたのですね。
畏敬の念を感じます。

櫻井:でも私自身、50年以上も生きていながらまだ道に迷っている人間なんです。
「迷っていることを認めたくなかった自分がいた」というべきでしょうか。
パイロットにとって、道に迷うことは最も恥ずべきミスなんです。
死亡事故に直結しますからね。
「迷っていることを認めたくなかった自分がいた」ということの意味は
「理想の自分はこうあるべき、常に優秀であらねばならない」ということに、こだわっていたということです。

ーー迷っていらっしゃると…。櫻井さんの「理想の自分」とは、
どのようなものなのでしょう。

櫻井:若い頃は、社会貢献を通じて自分自身の存在価値を確認したかったのだと思います。
いつも社会をもっと良くするためにはとか、
自分のことより人の為にを優先すべきといった理想論を振りかざしていました。
私は 周りからどう見られるか、自分は必要とされているか、ということを重視するタイプなんです。
背伸びして「正義の味方」を装う気持ちは、動機としては少し不純ですが、
今思うと、それは自分のモチベーションを保つための良いサプリメントでもありました。

ーーそうだったのですね。
操縦士からバイヤーを経てカウンセラーを目指しておられるとのことですが、
どんな経緯があったのでしょうか。

櫻井:飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本の半導体業界は、
やがて韓国・台湾・中国に追い上げられ、敗北の道をたどります。
自社所有航空機が最初に廃止され、半導体業界に残った私は、材料のバイヤーとして15年過ごしましたが、この会社も今年ついに解散を決議し、最近やむなく退職をしたところです。
コスト削減のプロジェクトにおいて、チームのメンバーのモチベーションを保つのは大変でした。
売上、業績、給料が右肩下がりの中で、何を頼りに進めばよいのか…。
プロジェクトの終盤では、メンバーのメンタルケアこそが最重要な任務だった気がします。
社内の同僚や部下の自傷、自死の問題とも向き合わなければなりませんでした。

ーーそのような経緯があったのですね…。
追い込まれた状況下にあっても、メンバーたちのモチベーション維持やメンタルケアに
全力で臨んでこられたのは、何が源泉になっていたのでしょうか。

櫻井:人間関係という課題を克服してきた経験でしょうか。
もともと複雑な人間関係が苦手で、操縦士なら対人の煩わしさはないだろうと空へ逃げたんですね。
しかし航空業界でも、半導体業界でもチームプレーは極めて重要。
10年以上、人とどう向き合うか試行錯誤を重ね、
気付いた時には人のメンタルケアや対立する意見の調整が最も得意になっていました。
航空機の操縦より、人の心と向き合うことのほうが格段に難しく、
より繊細な感覚が必要だと感じています。
誠意をもって人と向き合い、受容、共感、励ましによって
彼らの気持ちが少しずつ前向きになっていくのです。
とても印象に残っていることがあります。
それは、会社が解散する最後の出勤日、1日の終わりまで、
エンジニア達が一切手抜きをすることなく、自分たちの仕事を高品質に保ち続けたということでした。
翌日から失業するにもかかわらずです。
涙が止まらなかったのを今も覚えています。
エンジニアたちに、彼らのスピリッツを活かせる就職先をなんとか斡旋できないものか!
という思いが強まりましたが、人員整理を進めている企業が多い中、それは難しいのが現状です。
これはCDA(キャリアカウンセラー)を目指そうと思った動機の一つでもあります。
ただ、メンタル面のケアが不可欠だと痛感しており、CDAの資格取得の勉強と並行して
心理カウンセラーの勉強をはじめました。

ーーエンジニアの方々が最高の仕事を最後まで追求する姿勢は、
何によって培われたものだと思いますか。

櫻井:技術者の職人魂だと思います。
パイロットには飛行機屋としてのプライド、半導体技術者には技術者なりの譲れないプライドがあります。
世界をリードした日本の技術、Made in Japanのプライドですね。
行間を読み人の気持ちを察する、相手の立場を尊重し受け入れるという習慣は、
和をもって尊しとする日本が誇れる文化でもあると思います。

ーーMade in Japanのプライドですか。
カウンセラーの勉強を始めてから、何か変化はありましたか。

櫻井:心理学を学び始めてから私の生活は良いほうに激変しました。
カウンセラーを目指す為の第一歩は、まず自分を知ることでもあると思いますが
心理学では、自分の深層心理にあるものが何なのかを深く問いかけるところから始まります。
先に述べました「こうあるべき自分」「常に優秀であらねばならない自分」が
はたして実際に自分が望んでいる姿なのかと。
そうすると、「あるべき自分」にとらわれなくてもいいのではと思えるようになるんです。
例えば、自分が苦手と思える人こそ自分に無いものを持っている師匠だという見方もできる。
このように、ちょっと焦点の当て方を変えるだけで、 
怒りや恐れやこだわりが薄らいでいくんです。
今まで私を否定していたと思っていた人が、実は最良のアドバイザーであったり
人に迷惑をかけまいと自分で抱え込んでいたことが、かえって迷惑だったりといったことにも気づきました。
おかげで、自分がとても恵まれた環境にいると思えるようになりました。
カウンセラーの勉強を始めて、心の機微を感じ取れる素晴らしい友人が増えました。
失業の危機のおかげで、このご縁に出会えたことに感謝しています。


ーー最後に、将来の夢を教えていただけますか。

櫻井:今はカウンセラーの上級講座と実践カウンセリングトレーニングに通い、
家族や親しい友人へのカウンセリングをしながら、今後の方向を模索しているところです。
将来、自己紹介を…と言われたら 「CDA、心理カウンセラーです」と言えればいいですね。
今は、サンダーバード国際救助隊のような派手な社会貢献を目指すのではなく、
身近な人に最大の誠意をもって接し、異なる考えも尊重し、受容、共感できる心で、
周りを少しでも笑顔に変えていけるようなカウンセラーを目指したいです。
生まれ育った京都に延暦寺というお寺があり、境内に「一隅を照らす」という言葉が書かれていました。
天台宗の最澄の言葉なのですが、
「ささやかでも周囲に光を照らすことのできる存在であれ」という解釈と、
「世の片隅にいても千里を照らすような才覚を持て」という解釈の2つがあるようですが、
私は、前者の理解をしています。
同じ志しを持った素晴らしい仲間がそれぞれの一隅を照らす存在となっていけば、
次第に明りが広がって、周りを穏やかで平和な環境に変えていくことができると信じています。

☆☆☆☆☆

CDAのスクールでお会いした櫻井さん。
穏やかで落ち着いた物腰、そして瞳の奥に慈悲深さと芯の強さが宿っている。
その背景にある数々の経験は、掘り起こしても掘り起しきれないだろう。

大震災で操縦士として救援に駆けつける「エアマンズ スピリッツ」と、
苦しい状況下でもチームのメンバーたちの心をケアし続けた優しさ、
そして、人の心の「ひだ」に寄り添える鋭敏なセンサー。
これらを兼ね備えた方と出逢えたご縁に感謝するばかりだった。

インタビューをしていくうちに、
正義を希求する思いと、人の「弱さ」を受容しようとする思いが手を握り合って共存している。
そんな印象が強まっていった。

彼の想いや経験が凝縮された「一隅を照らす」という言葉の
「自分なりの意味」を探していきたいと思う。
posted by メイリー at 23:23| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする