東京大学経済学部4年生。
佐々木俊尚さん、津田大介さんなど著名ジャーナリストの取材に斬り込み、
メディア・クエスター 東大生がメディアの未来を追うブログを執筆している。
彼の当面の目標は、メディアのイノベーションの震源地アメリカ東海岸への「取材留学」。
デジタル時代のジャーナリズムとビジネスの関係がどうなっていくのか?
その問いの答えを最先端の現場で見つけ、日本へ発信しようとする姿に心を打たれ、
彼のジャーナリズムへの熱い思いが芽生えた背景に迫りたいと思った。
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ーージャーナリズムに興味をもたれたきっかけをお聞かせいただけますか。
大熊(敬称略):小さいころからとにかく活字を追うのが好きで、
本だろうが新聞だろうがネットの2ちゃんねるだろうが読みまくっていました。
それで学んだことや疑問に思ったことをどんどん書いて発信していました。
真価が伝わってないものの価値を伝えたい、伝わってない状態がいらいらする!という性格でした。
特に「何が世の中を変えていくのか」に一番興味を持っていて、
最初は政治にのめりこんでいました。
中学生ぐらいの時は”ネット右翼”だったんです笑
ーー「真価が伝わっていないものの価値を伝えたい」と
具体的に感じるシーンがあったのでしょうか。
大熊:いつも考えていると言った方が正しいかもしれません。
僕は京都の中高一貫の進学校に通いながら、部活は水泳に打ちこんでいました。
そこで府の代表チームに入ることがあった時に、
周囲に「勉強しかやっていない学校の人」だという偏見をもつ人がいて、
「ちゃんと知り合えば、お互いの良さが分かって面白くなるのに…」というもどかしさがあったんですね。
僕は「人とは少し違ったことをやりたい」という志向が強く、
「物事の良さや真実を伝える」ことに力を入れるようになりました。
ーー政治に興味をもつようになったのはいつ頃ですか。
大熊:中学2年生の頃です。
部活の先輩に中国の汚染しきった川の画像をHP上で見せてもらって。
自分の知らなかった現実をもっと知りたい、広めたい!という思いがふつふつと沸いてきました。
チベット問題にも関心が広がり、政治に傾倒していったんです。
ですが、高校1年のときに、忘れることのできない大きな失敗が…。
「伝える価値があるものは伝えるべき」と突っ走りすぎて、周囲の友人たちに引かれてしまったんです。
一番つらかったのは、当時の親友に絶交されたこと。
3ヶ月ほど引きこもり状態になりました。
いくら大事なものであっても、相手が気持ちよく受け止めてくれるような伝え方が大切なのだと、
これまでの自分の傲慢な考えを反省しましたね。
母親や周囲の人に助けられて立ち直ることができました。
高校生になってからは母子家庭で私学に通わせてもらっていたこともあり、
当時起きていた私学助成金削減の風潮に、反対する学生団体の活動にも関わりました。
京都中の中高生を集めて文化祭をし、寄付を集め主張しようという主旨でした。
京都の様々な学校の人たちと接する中で、
「どうしたら人は動いてくれるのか」という視点ももつようになりましたね。
ーーそんな経験があったのですね。
人と違ったことをする子だったのことですが、
どんな子どもだったのか詳しく知りたいです。
大熊:マイウェイな子でしたね。
小さいころから通っていたスイミングスクールでも、
みんなと一緒に体操せずに遊んでいるような(笑)
小学校も私立だったのですが、自由にやらせてくれる校風で。
小学校2年生頃から大の本好きになり、小学3年では絵本や物語を書いていました。
ハリーポッターやダレンシャンの世界観に影響されて書いていたファンタジーの長編は
3年間で原稿用紙1000枚分以上、ノート10冊ぐらいになるかと思います。
当時の担任の先生が理解のある人で、僕の書いた作品を学級新聞に載せてくれたり、
感想を教えてくれたりしました。
僕の個性を伸ばしてくれた原点ですね。
あとは同じように物語を書くのが好きな友人がおり、
お互いに作品を見せ合って意見を言い合えたのもよかったなぁと。
それから、独自の見方や意見をもつようになったのは、母親の影響があると思います。
僕が政治や社会問題について議論をふっかけても、
「こういう別の見方もあるんじゃないの?」と視野を広げられるように返してくれた。
ーー大事な理解者がいらっしゃったんですね。
大の本好きということですが、一番好きな本は何ですか。
大熊:村上龍さんの本ですね。
高校生になってから読み始めたんですが、
『69』という村上さんの青春の自伝的作品にのめりこみました。
「楽しく生きるのにはエネルギーがいる、戦いなんだ」いう挑発的な言葉には、
胸にぐっとくるものがありましたね。
村上さんの小説のテーマは、少数派やはみ出し者に目を向けていて面白いんです。
『希望の国のエクソダス』も一見SFのようでいて、
登校拒否し自分たちの人生を見つけていく中学生をリアルに描いていて面白い。
村上さんは才能の塊のような人だと思っています。
ーー私も読んでみたくなりました。
大熊さんのブログを読んでいると、キラリと光る発想力や仮説構築力が感じ取れるのですが、
どんな風に培ってこられたのでしょう?
大熊:みんなと違った視点を探す癖がついているからでしょうか。
大学受験のときもいわゆる定石の解法に反旗を翻していましたし(笑)
瀧本哲史先生の投資ゼミでの学びも仮説構築力に一役買っていると思います。
実は大学1、2年生のときは、これと言って打ち込めるものがなく、モヤモヤが募っていました。
そんなときに出会った瀧本先生のゼミでは、
各学生団体のリーダー的存在の人たちと議論できる場が用意されていた。
「小さいけれど優良な企業」・「ニッチな分野だけど圧倒的首位に立つ企業」など
未発掘の企業を見つけて、なぜそこに投資する価値があるのかを緻密に分析し、
授業で発表・議論していきます。
鋭い視点をもつ学生たちと喧々諤々の議論をしているときに
やりたいことはこれだったんだ!」と気づいたんです。
ーーゼミの活動も分析力を磨く絶交の場だったのですね。
モヤモヤが晴れてきて、その後はどんなことに取り組まれましたか。
大熊:就職活動のときはコンサルやITベンチャーなどでインターンシップを経験しましたが、
イマイチしっくりこず、文章を書くのが好きという原点に立ち戻りました。
投資の観点を学んだおかげで、「マスメディアは落ち目」というのは誤解で、
実は大きいチャンスが眠っていると気付き、
メディアの未来を生み出すアメリカに足を踏み入れようと決めました。
最先端のメディアを作る人たちがどんな理念をもっているのかを知る動きはまだ日本にはない。
佐々木俊尚さんなど、日本のジャーナリストから
「君がやろうとしていることには価値がある」とおっしゃっていただいたのも
後押しになりました。
ーージャーナリストの方々を取材されているときの切り口も鋭いですよね。
大熊:これも投資分析のゼミで培った力かもしれません。
企業情報についてネットで調べられることは限られているので
IR担当に直接電話で何とか肝になる情報を聞き出そうと、
色々な切り口で質問した経験が活きていると思います。
あとは中高時代から、授業や講演などで通り一遍の質問はしたくないという思いがありました。
例えば高校1年生の倫理の先生が尖った人で、天皇制について批判的見解を述べていたとき、
「この授業は先生の思想の授業ですか?それとも倫理の授業?」と切り込んだこともあります。
白熱した議論の末、その先生とは仲良くなれたんですが(笑)
ジャーナリストへの取材でも、「これまで聞かれたことがない質問を1つ以上しよう!」という思いで、
取材対象のリサーチを重ね、相手に「おっ」と思わせる質問を心がけています。
ーーすでにアメリカの新興メディア企業にアポを取っておられるとのことですが、反響はどうですか。
大熊:今のうちからアポを取ろうと必死に英文メールを打っているのですが、
意外なことに応じてくれる人が多いです。
「しっかり実績を作ってからじゃないと応えてもらえない。」という意見もありましたが、
実際の行動に移すと、机上の常識をぶち破ることができた。
そして、ブログでアウトプットしていくと、予想以上の反響を読者からいただいており、
行動することで見えるものがあるのだと実感しています。
ーー取材留学で確かめようとしている「メディアの未来」について、
大熊さんが現在もっている仮説を教えていただけますか。
大熊:ネットに限ると、今は極端な物言いで炎上したり、同じものを使いまわしたりと
必ずしも良質とはいえない言説があふれていて、そちらに注目がいってますが、
今後は良質なコンテンツを生み出せる人材の需要が高まり、
良質なコンテンツを提供することで稼ぐ企業が増えていくと予想しています。
本当に価値のあるコンテンツに注目が集まり対価が払われる社会が健全ですし、
こうした動きを加速させるために自分ができることをやっていきたいと思っています。
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論理的な仮説をもとにした分析力と、物怖じせず挑戦していく行動力の絶妙なバランス。
過去の経験で培われた「人と違った視点を考える姿勢」により、
このバランスが彼の唯一無二の武器でもあり、大きな魅力にもなっているのではないだろうか。
彼の個性を受容し伸ばしていったお母様や、小学校の先生、
同じ方向性をもった友人の存在は、
彼のブレない軸の支えになっていることだろう。
「伝え方を工夫しないと伝わらない」
そう身をもって学んだ経験を糧に、自信と謙虚さをもって歩み続けている彼。
「真価が埋もれているもの」を世に伝えていきたいという思いを原動力にして
彼の「好きなこと」「得意なこと」「社会的意義があること」の3つが
重なりあった分野で、新境地を切り開いていくのを
今後もずっと見て行きたいと思った。