
藤原佳奈さん。
二人の女優を抱える演劇創作ユニットmizhen
を主宰し、脚本や構成、演出をこなす。
現在、活動の場は劇場公演にとどまらず、
クラブイベント、幼稚園での公演、お笑いライブなど多岐にわたっている。
「同じ年に同じ大学・学部を卒業した人が演劇の道を疾走しているなんて…!」
この衝撃を胸に、彼女の人生観の背景を探りたいと思った。
☆☆☆☆☆
ーー大学時代に打ち込んでいたことは何ですか。
藤原(敬称略):教育か創作かどちらかをやりたくて、両方の可能性が残りそうな文学部に入りましたが、
授業にはほとんど出ていませんでした(笑)
京都のローカルテレビ局で、学生がTV番組を作るというインカレの活動にのめりこんでいました。
スタジオ収録を行うのはプロのタレントやスタッフですが、番組の企画、運営、出演は全て学生。
打ち込み過ぎて3年間で取得した単位はたったの16単位。
周囲の誰もが「4年で卒業はムリだろう」と言いました。
ですが、早く卒業して東京に行きたい一心で4回生で巻き返しを図り何とか卒業単位を揃えました。
卒業式に振り袖で出席したら、他の留年した友人に「ちょ、おま!」と叫ばれましたね(笑)
ーー驚異的な巻き返しですね(笑)
演劇の道を目指そうと思った経緯を教えていただけますか。
藤原:やっぱり創作をしたいという思いは強くあったんです。
最初は番組制作の影響でテレビ局や広告業界に興味をもっていましたが、
広告主のシステムの中でつくり上げることに違和感があり、映画か演劇かな?という二択に。
そんなとき、演劇の道を決定的にさせる出来事が起きました。
時代劇のお芝居の付き人に行ったとき、俳優の柄本明さんが偶然いらしゃったんです。
1人だけ纏っている空気が違うんですよね。「空間を背負っている」というか。
映像映えする俳優・女優さんはたくさんいるし映像は編集できるけれど
演劇の「生の空気」は嘘をつけないから、俳優の演技力が明るみに出てしまう。
「あぁ、芝居の役者がやりたい」そう思ったんです。
ーー演技の力量が丸裸にされてしまうんですね。それからどうされたんですか。
藤原:日本の演劇学校を探したんですが、「これぞ」という学校が見つからなくて…。
日本の演劇が特殊なのは、能や歌舞伎のような伝統芸能から、
新劇、アングラ演劇、静かな演劇、エンタメ演劇、まで、どんな型も並列して共存しているところ。
だから演劇学校も多様な型を教える状態で、
役者養成のカリキュラムがあまり整備されていないんですね。
フランスにあるジャック・ルコックという演劇スクールには興味をもったので
東京でお金を貯めて留学しようと思った。
鞄2つくらいで東京に出てからは、友人?知人の家に居候させてもらったり、
シェアハウスに住んだり、その後沖縄のゲストハウスに住み込みで働いていましたね。
寝食に困ることなく那覇のビーチで黄昏れる日々(笑)
海の次は山!ということで、長野の標高約2600m山頂にある山小屋で働きました。
あとは学費を貯めるために東京に戻って家電屋の販売員のバイトもしましたよ。
ーー多彩ですね…!色々な仕事に取り組んでいるときはどんな気持ちだったんでしょう。
藤原:そうですね、自由に選択できる楽しさを噛み締めていましたね。
私、普通の家庭で育って、進学校から京大に行ったので、
人生経験が足りないという思いがあったんです。
早く色んな色を見ておきたかった。
一番インパクトがあったのは、山小屋での経験。
朝5時起床、夜9時就寝。お風呂には5日に1回しか入れないし、携帯もつながらない。
テレビもほとんど見ていないし、本も手元の2冊だけ。
1ヶ月だけでしたが、こんなにエンタメが遮断された環境は初めてだった。
でも人間って楽しみを自ずと創りだしちゃうんですよ。
例えば毎日の風景の変化に敏感になるし、
「今日の雲の形や夕日の色合い」に心踊るようになる。
昔の人が星座を編み出した気持ちが少しわかった気がします。
また、心に思い浮かぶことを綴っていくようになりました。
暇で抑圧されているからかもしれませんが(笑)
環境が人に娯楽を作らせるというか…。
創造性って、何も刺激がないところでも開花するんだなぁと実感しました。
ーー創造性が無から生まれる瞬間に立ち会ったんですね。
その後はどうされたんですか?
藤原:フランス留学で専門性を極める前に、まず日本で色んなタイプの演劇を学べる学校に入ったんです。
その学校の人に「君は俳優より演出家の方面にいくんじゃない?」と予言されて、
見事予言が当たりました…!
留学したいという話をしたら、その人に、
「今が伸びる時期だから、日本でたくさん作品を作ってから考えたらいいのでは」と言われ、留学を保留にしたんです。
そんなある日クラスメートから自主公演をやろうという話があり、脚本書いたら?と執拗にプッシュされたんです。
最初は「脚本を書くなんて自分には無理!」と気後れしていましたが
結局書くことになり、昔の自分の思いを主人公や登場人物たちに投影するような作品ができました。
初の脚本・演出でしたが、思ったよりも良い感触を得られて、
卒業公演でも脚本、演出をやらせてもらい、「もう少しこれを続けてみようかな」と思ったんです。
卒業直後は、団員(俳優)を背負わないソロプロデュースを目指しましたが、
私の初作品から出演してくれていた女優二人には信頼を置いていたので
一緒にやっていこうと声を掛けました。
ーー1人で主宰するというと、私にとってはすごく勇気がいるように思えるのですが
ためらいはなかったのでしょうか…?
藤原:そうですね…。大学時代の番組制作でお世話になっていた放送作家さんから
「ふじかな、東京劇団の主宰とかしちゃえば」と言われていたときは、
「そんな事、私の器では無理です!」と言っていたのですが…
自分が見たい劇があまりなくて、「私が見せちゃるねん」という思いが勝ったんでしょうね。
経験も実力もまだまだ追いついていないですが、
自分が良いと思っているものを世の中に出していけば、
必要とされるんじゃないかと信じています。
ーー「私が見せちゃるねん」という強い思いの核は何でしょうね。
藤原:演劇を通じて、本質的に「人を見るって楽しい!」と思ってもらいたいという気持ちでしょうか。
演劇従事者以外だと、宝塚や劇団四季以外の演劇を観たことがある人は非常に限られています。
本当は演劇って、異分野の人にも面白いと感じてもらえるはず。
例えば建築を専門とする友人が、私の演劇を機に、他の芝居も観るようになったと言ってくれて、それはとっても嬉しかった。
建築と演劇ってどちらも空間を扱うし、共通項があるのでしょう。
あとは、底知れぬ「人の想像力」に魅せられたというのも影響していると思います。
例えば役者が、今戦場にいるということを、身体や言葉を使って、目の前の景色や音、匂いなど五感に訴えかけるように伝えていくと、
観客はまるで戦場に居合わせたかのような気分を味わえる。
一方、「私は冷蔵庫です。」と役者が身体や言葉で表現していくと、
だんだんその役者が冷蔵庫のように見えてくる。
役者の身体だけで、いかようにも想像してもらえるんです。
私はよく「身体で抽象画を描く」と表現しています。
ーー「身体で抽象画を描く」って面白い表現ですね。
藤原さんの豊かな感性や独創性がどこで培われたのか気になります。
藤原:物心ついた頃から、人の顔色を過剰に伺うところがあったんです。
空気が非常に気になる子っていうのかな。
目に見えないけれど確かに存在する、瞬間ごとの「感じ」に対する嗅覚が
人よりちょっと鋭いのかもしれません。
でも、例えば今こうして対話しているときも二人の間に流れている空気が
友好的なものなのかドロドロしたものなのかは、傍から見て分かってしまう。
可視化できないけれども体感する感覚は、誰にでも備わっているものだと思います。
ーー最後に、今後やってみたいことを教えていただけますか。
藤原:演劇を観たことがない人にもっと演劇の価値を伝えたいですね。
演劇は一度の上演で観てもらえる人が限られるので、
生でなくても、もっと多くの人に届けられるような映像配信なども考えています。
あとは本来、人の身体がもっている力を活性化できるような教育に、
演劇という形で関わっていきたいですね。
☆☆☆☆☆
柔らかい笑顔の奥に秘めた
鋭敏な感受性と、しっかりと芯の通った信念。
この2つは、どんな環境にあっても道を切り開く原動力になっているのだろう。
山小屋で彼女が体感した、人間の想像力と創造性。
この無限なる力の可能性をどこまでも追いかける彼女のパッションに
何度も圧倒されそうになった。
どんなに激しい嵐に遭おうとも、彼女の木はしっかりと根を張り、枝葉を広げていくのだろう。
演劇にふれることで、もっと人を知りたい。人の本質に迫りたい。
これからも彼女の活動を応援していきたい。
そんな思いが胸に宿った。