2014年08月16日

日本の産業支援の流れを変革する異端児 file.47(後編)

DSC02583.JPG

☆前編はこちら☆

ーー自信をもてるようにするために大事なことって何だとお考えですか。

小出:その人の強みを褒めることに尽きます。
産業支援の世界に入ってから強くそう感じます。
どんな会社にも事業にも良いところがあるという前提に立っていますから、
独自の強みを探り当てるまでに徹底的に褒めます。
以前、日本女子大学で講演をしたときに、
「褒められた記憶がない」という学生が多かったのが衝撃的で。
今の学校教育って、特定の生徒を褒めると「ひいきだ」と糾弾されるから褒めない方向に走っているんです。
家庭でも褒められた経験がないなんて…と驚きを隠せなかった。
「がんばっている自分のことを褒めて、自信を取り戻そう」と声を大にして言いたい。
自信は、ポジティブ・スパイラルに入る原動力にもなりますから。

ーー褒めることが大切なのですね。
産業支援の仕事をされてから育児の方針も変わったとお聞きしました。

小出:息子と娘がおり、以前はどちらかというと厳格で叱ることも多かったのですが、
この仕事に就いてから、褒める方針に変えましたね。
例えば息子が大学時代のときだと、
居酒屋のアルバイトで鍋を水洗いしていて手がカサカサになったのを見たら、
「おまえは偉い。俺だったら洗い物を避けようとするだろうに。
人が避けたがる仕事をしっかりやるのはすごいことだよ」と伝えました。
「褒めることで、その子が自信をもてる」という強い信念があります。

ーーお父様の言葉はお二人の心の支えになっているでしょうね。
では、銀行員のときはどんな日々を過ごされていたか教えていただけますか。

小出:個性的な行員だったと思います。
私が静銀に非常に感謝しているのは、決して個性を潰そうとしなかったことです。
金融業界という、メンタリティーの均質性が高い業界でも、
思ったことはちゃんと伝えた方がよいというポリシーを貫くことができましたから。
新入社員研修の作文で「銀行員はバカだ。アフター5では飲みに行って、日曜はゴルフ。
みんな同じことをやっている。」と書いたのに、お咎めなし。
寛大な会社だと思いました。
もちろんポリシーを貫くために、高い営業成績を出し続けることを意識しましたが。

ーー新入社員の頃から強烈ですね!
オリジナリティーを大切にしていたのはなぜでしょう。

小出:異論を唱える人が少ない組織は危機的だと思っていたんです。
同質では潰れてしまう。
異質な意見を敢えて言うようにしていました。
周囲から異端だと思われていましたが、そこは平気だったんです。
なぜかと考えると、沼津の中学に行くときも
小学校までの友人たちと離れて一人違う世界に飛び込んだので
「他の人と違う生き方」への抵抗がないんですね。
両親も個性的であることに対してNOと言ったことはなかったですし。
手を挙げると挑戦の機会を与えてくれるフェアな会社だったので、
M&Aのセクションから、戦略コンサルティングの子会社をつくるプロジェクトなど
やりたいことを色々やらせてもらいました。
非常に恵まれていましたし充実していましたが、
それでも41歳で創業支援施設「SOHOしずおか」に出向になるまで
「身を粉にして働いた」という実感はなく、
「何のために生きているのか」の答えを見つけられずにいました。

ーー41歳で名も無きチャレンジャー(起業家)たちに出会ったとき、
それほどの価値観の大転換があったのはなぜなんでしょう。

小出:41歳で出向って、出世という面から見ると「1回休み」なんですよ。
周囲から前向きなものとしては見てもらえなかったんですが、
静銀では誰もやっていない仕事に対して静銀のトップから指名されるという事は
特殊ミッションだと感じたので
「なんとしても結果を出さなくては」という危機感を募らせていました。
ところが、出向先は箱こそあれど、具体的な目標もルールもマニュアルもない。
アルバイトと私の二人だけでの出発です。
悔しかったのは、行員のバッジを外すと、企業から相手にされなかったこと。
起業家や中小企業の経営者も同じ目に遭っている。
そこで私は思った。「ふざけるな。小さいものをバカにするな」と。
ここでキレイ事を言っても、世の中の価値観は変わらない。
だから圧倒的な成果を出して名も無きチャレンジャーたちの価値を知らしめようと決意した。
そこで私は「仕事」の本来の意味に気付かされました。
これまで、人から与えられたものをクリアするだけで「仕事」だと思っていましたが、
自分の意志で成し遂げて初めて「仕事」と呼べるのだと。

ーー世の中の価値観を変えていくという変革への意識が、以前からあったのでしょうか。

小出:思えば子どもの頃、父親から安保や公害など
社会問題への意見を聞かされて育ったことがリンクしているかもしれません。
正義感というか、「あるべき姿」を教えられたことが
「大企業だからといった表面的なものではなく、
事業の内容や経営者の想いといった中身で評価されるべきだ」という強い信念につながっているのだと。
中小企業支援、産業支援が人おこし、町おこしにつながると自覚してから、
「本質的な価値観を広めたい」という使命感は強まる一方ですね。

ーー産業支援の道を突き進んでいる中で感じることはありますか。

小出:2008年からエフビズ事業を始めて6年目になりますが、
何歳になっても人は変われる、成長できるという認識を新たにしています。
今まで個人プレイが多かったのですが、エフビズでは多様な専門性を持つアドバイザーたちとともに
チームとしてどう成長し、結果を出していくかという視点をもつ重要性を学びました。
多彩な分野の第一線で活躍するゲストアドバイザーたちの考えを聴く中でも、
成長しているという実感があります。

ーーこれから実現させたい夢を教えてください。

小出:公のセクターが産業支援に関わることの意義がありますし、
いかに地域の人たちの期待に応えるかを常に考えているからこそ、
静岡県内の人々の支持を得られるだけでなく、全国にも波及できるのだと感じています。
このエフビズモデルが今年、中小企業・小規模事業者ワンストップ総合支援事業「よろず支援拠点」という形で、47都道府県に展開することが決まりました。
私たちのプロジェクトが世の中の支援の流れをどう変えていくのか?
挑戦の旅はまだまだ続きます。

ーー産業教育審議会の委員になられたとのことですが、
新たな挑戦の中で目指しているものをお聴かせいただけますか。

小出:専門高等学校のキャリア教育に対して意見する場があるのですが、
実態に沿った提言をしようと思っています。
「偏差値の高い高校、大学に行かせたい」という価値観がまだまだ息づいている日本において、
「夢をもとう」なんてキレイ事を言っても専門高等学校の生徒たちの心には響かないし、
何の解決にもならない。
生徒たちは社会からの視線に敏感です。
だからこそ、「偏差値じゃない、中身だ」という価値観へと転換させるべく、
専門高等学校の卒業生の多様な「成功モデル」をどんどん生み出して広めていくことが不可欠だと考えています。
2001年当時、起業家という生き方はメインストリームではなかった。
しかし成功事例が増えることで価値観が変わっていので、
それと同じことを教育の現場でも実現させていこうと思います。

☆☆☆☆☆

「人は何歳になっても変われる、成長できる」
小出さんの力強い言葉が深く胸に刻まれた。

一律の価値観を押し付けられたくない。
けれど強固な自信や、自分のやりたいことがあるわけではない。
自信や目標を喪失していた高校時代。

しかし、大学で好成績をおさめたこと、アメリカ一人旅、
就職活動での数々の内定といった成功体験を積むうちに
彼は自信を取り戻し、自身のオリジナリティーを発揮させていく。

こうした経験があるからこそ、
名も無きチャレンジャーたちの気持ちに寄り添い、隠れた強みを掘り起こして、
「本質的な支援」に魂をかけることができるのではないだろうか。

目標を達成しては、さらに新たな目標を目指していく。
希代のチャレンジャーである小出さんの生き様に、心を鷲掴みにされた。

彼の生き様をお聴きする中での、計り知れない学びを
少しでも多くの人、特に若者に伝えていくことが私の使命だと思う。

posted by メイリー at 23:44| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする