2014年08月28日

一人一人の可能性を開花させるキャリアカウンセラー file.49(前編)


大浦早苗様02.jpg

フリーランスキャリアカウンセラーの西尾早苗さん。
「“自分らしさ”や“在り方(Being)”を大事に生きてほしい」
そんな願いのもとにつくられた団体 full bloom(NPO法人申請中) で、
大学生や若手社会人が自分らしく咲き誇る生き方を見つめるための活動に携わりながら、
人材紹介業や採用の面接官代行、そして個人事業としてキャリア相談を行っている。

リクルートエージェント(現:リクルートキャリア)にて5年間キャリアカウンセラーを務め転職先の斡旋、
京都ジョブパークにて大学生の就職支援にも関わってきた。

就職や転職を支援するという言葉に入りきらないカウンセラー。
ここまで人の本質を見抜き、人の心に寄り添い、
そして、その人の可能性が開花する道を言語化できる方がおられるなんて…!

天性のキャリアカウンセラーには、
実はつい数年前まで解放されない葛藤と闘ってきた過去があるという。
彼女は葛藤をどのように乗り越えていったのだろうか?

☆☆☆☆☆

ーーこれまでの経歴を教えていただいてもいいですか。

西尾早苗さん(以下敬称略):新卒でGAP JAPANに入社し、5年半勤めていました。
副店長の立場で、人・モノ・金の管理を行う仕事です。
具体的にはパート・アルバイトの教育やマネジメント、経費削減、店舗のレイアウトの設計ですね。
GAPとの出会いは外資系企業の説明会。
当時最年少店長だった25歳の方が「自分の力を最大限発揮したい人は来て下さい」と語っていて、
その言葉に心を動かされ、入社を決めました。

ーー就職活動の軸は何でしたか。

早苗:相談にのることで相手が少しでも元気になる仕事というのが軸でした。
当時就職氷河期で女子大卒、英文学科だけど英語がしゃべれる訳じゃない。
そんな私は雇ってもらえるのだろうかと思っていました。
私に出来る事って何かな?と聞いてみたら友人から
「相談にのってもらえて元気が出た」と言われることが多かったんです。
人事や、住宅の営業、親御さんのニーズを丁寧に汲み取る子ども服の販売員など、
人の相談にじっくり乗る仕事内容であれば業界問わず様々な会社を受けていました。
「やりたいことが見つからない」という就活生によく会いますが、
「何をすれば人の役に立てるか」という視点で探せば、比較的すぐに見つかるのになぁと思います。

ーー相談にのるというのが早苗さんの軸だったのですね。
小さい頃はどんな子でしたか。

早苗:まわりの人を放っておけない子でした。
暗そうにしている人がいたら迷わず声をかけるような。
実は小さいころに両親が離婚をして、母は再婚後も初めは仲が良かったのですが
10年ほどした頃から折り合いが悪くなりました。
家の中では、雰囲気が悪くならないように気を遣っていたり、
二人の弟たちが両親の喧嘩に動揺しないように、気にしていました。
また父親も母親も大切だし、どちらの味方にもつけなくて、常に間にはさまれる存在でした。
でも、端から見たら、アクティブで元気な子という印象だったと思います。
もちろん、毎週のようにバーベキューや自然に連れて行ってもらったりと親から愛情を受けて育ちましたが、
子供時代に自分のことに熱中したり趣味をもったりと、特別何かに夢中になった経験ってないんです。

ーー中学生や高校生になっても?

早苗:そうですね。バレー部に入っていましたが、やりたいという強い意志があったわけではなく
「背が高いからバレー部かな」といった理由でした。
おそらく家庭環境のことばかり気になって、自分自身に矢印を向ける余裕がなかったのでしょうね。
普段は社交的だし友人にも囲まれている。
でも「嫌われていないかな?」と気にしすぎたり、逆に友人にキツく言い過ぎて仲間外れにされたりして。
両親の不和という問題からか、
「私は実は愛されていないんじゃないか」という不安が根底にあったんだろうなと思います。
今では育ってきた中で養われたことや、やりたいことにこだわりがないからこそ、
「人の背中を押すのが自分の役割」だと気づいたし、今の自分につながっていると思えます。
大学時代は「この心のモヤモヤはどこからくるんだろう?」と心理学やスピリチュアルの本を読み漁っていました。
今思うと、答えがどこか外にあると思っていたんでしょうね。
本当は自分の中にあるのに。
CDAの資格取得をきっかけに発達心理学やカウンセリングについて勉強をし、
徐々に自分の心の成り立ちを知り始めた31,2歳になって、やっとこそ葛藤から解放されたんです。

ーー葛藤から解放されたきっかけが、あったのでしょうか。

早苗:きっかけは二つありました。
一つはアートセラピストとの面談。
心に浮かぶ絵を自由に描く機会があり、
突き刺さる母親と仮面をかぶった私の絵を描いている自分を客観視しました。
ちょうど親が2度目の離婚をする時期でした。
当時はずっと「いい子」だったので、親からの電話は必ず取っていました。
ですが、あまりに両親それぞれからの言い分を聞いてほしいと頻繁に電話がかかってきて限界を超えたのか、
自分のしんどいという気持ちを優先して電話を取らないという選択をしたんです。
自分にとっては母親の期待よりも自分の為に行動するという初めての選択だった気がします。
二つ目のきっかけは、当時つきあっていた人との婚約を解消したこと。
親の期待に応えなきゃという思いもあり、
「私もうすぐ結婚するから幸せやねん」と友人たちに話していました。
でも、「本当にこれでいいの?」という思いがつきまとっていた。
彼の気に障る言動をするとキツく当たられることが重なっていたのに、
「私が我慢すればうまくいく」と思い込んでいたんですね。
30年近く自分の心の声に耳を傾けて来なかったからか、
本当はしんどいという思いに蓋をしていたんです。

でもある日、友人に本音を打ち明けたら「こんなに我慢しなくてもいいんだ」ということに気づきました。
私の応援者である父親に「早苗が一番幸せにならなどうするんや。」と言われ、
「自分は親からも友人からもこんなに大切に思ってもらっていたんだ」と知って、自分を大事にしようと。

ーー「自分を大事にしよう」と…。

早苗:これまで勝手に人からの目線を気にして「好き」の基準を制限していました。
誰もいない一人暮らしの家で「OLがこんな番組を見ちゃだめだよね」とか。
でもこの二つの出来事を機に、自分を縛りつけていた枠から解放されたとたん、
人生が好転していって、すぐに夫にも出逢え、同じ志をもったfull bloomの仲間にも出逢えたんです。

悩みの渦中にある人は、自ら問題を引き寄せているところがあるのでしょう。
逆に、自分の魂が望むことをやっていると、
障害はなくなるというシンプルな事実を自分の人生で体感しました。
赤ちゃんを授かってから最近こんな風に思うんです。
人間は「こんなことを成し遂げたい、こんなことで人の役に立ちたい」というミッションをもって生まれてくる。
地上に生を受けると、その記憶は消されてしまう。
でも育っていく中で、興味の欠片を見つけ、得意なことが分かってきて、
何で役に立てると自分の存在意義を感じるのか
本来もって生まれたミッション、つまり魂がやりたいことの記憶を取り戻していくのだと。
だからそれらが発揮できないことをやっていると疲弊するし、
「あなたが本当にやりたいのは違うことだよ」と本人に気づかせるために
災いがふってくるのだと思っています。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 23:52| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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