2014年11月29日

未完成の美を秘めたフォトグラファー file.57(前編)

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清原明音さん。
大学時代には「超」∞大学関西支部の立ち上げメンバーとなり代表を務めた。
また100人のポートレートを撮影する「Photo Collection」
を創り上げ、現在はフォトグラファー、趣味でタップダンスを楽しんでいる。

彼女が撮った写真や、彼女自身のFacebookのプロフィール写真に目が釘付けになり、
ずっと「いつかお話を伺いたい」と思っていた。
彼女の瞳は、普通の人たちよりも色んな景色、感情を映し出しているような気がしたからだ。
そして、ご縁で1年越しに夢が叶う日がきた。

☆☆☆☆☆

――小中学生の頃はどんな子でしたか。

清原明音さん(以下敬称略):小学生の頃は、口数が少なくておしとやかで、自由帳に絵を描いて過ごすのが好きな子でした。
でも心のどこかで「もっと自分の思いを発信したい」というもどかしさがあったように思います。
中学に入って、学校生活は楽しかったものの思春期の女の子ということもあって(笑)、
友達関係で悩む時期もありました。
流行のファッションをしていないと、友達に釣り合わないのではないかという不安を抱いていたりもしましたね(笑)。
熱中できる趣味も無く、部活にも入らず買い物に行ってばかりの日々でした。

――高校時代に印象に残った体験や人との出逢いってありますか。

明音:私の人生の大きなターニングポイントの一つは高校1年生のときです。
初めて心から愛せる人に出逢えたんです。
でも「ここまで人を愛したことなんてない」というくらい心惹かれていたのに、
誰にも自分の思いを打ち明けられなかったんです。
なぜなら、その子が女の子だったから。
彼女とは友達として仲が良かったのですが、もちろん彼女は私がこんな想いでいることなんて、気付くはずもありませんでした。
でも結局クラス替えで離れ離れになったこともあり、彼女への思いを封印していました。

私の高校は応援団に力を入れる学校で、青春を謳歌するように練習に打ち込んでいたのですが、メンバーそれぞれが真剣な想いで打ち込んでいるからこそ、派閥ができ、ぶつかってしまうことも多々ありました。
イジメではないんですがそれに近しいこともあり、学校に行くのが苦痛でしょうがない日々もありましたね。
思い返すと苦しくて、今でも胸が締めつけられますが、
「あのときに比べたら今のつらさは何てことない」と思える心の免疫ができたと思います。

そして、高3のときに人生最大のターニングポイントが訪れました。
私の人生を大きく変える人物に出逢ってしまったのです。
スカートは履かずズボンを履いて登校する、男の子みたいな女の子。
高1のときに大好きになったあの子と雰囲気が似ていたこともあり、少しずつ意識していきました。
その人こそが、私の誰よりも大切なソウルメイト、堀川歩
人目を気にせず自分をありのまま表現している彼女の姿に、
私は人としてはもちろん、恋愛対象としても惹かれていきました。

そして、自分自身も「なぜ女性に惹かれるのだろう」という疑問があったのと、
歩のような男の子のように振る舞う女の子のことに関心を抱きネットで調べていたところ、
LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスセクシュアル)という言葉に辿り着き、
私自身は男性も女性も愛せるバイセクシャル、
歩は性同一性障害なのだと知りました。

歩とはお互いにすごく想い合うことが出来たので、恋愛としての付き合いをしていたのですが、
付き合っていくうちに恋愛という言葉なんかでは収まらないほどの大事な存在ということに気付きました。
今ではソウルメイトとして、親友でもなく恋人でもなく家族でもない、それ以上のかけがえのない存在として、お互いに支え合っています。

――親友や恋人という言葉で形容できないような、かけがえのない人との出会いがあったのですね。
歩さんのどんなところに惹かれたのでしょう。

明音:我が道を行く姿に惹かれました。
周りの目を気にして過ごしていた自分とは真逆だったので、最初は憧れという気持ちが強かったのですが、
深く彼を知っていくうちに、人の痛みを深く理解でき、受け入れられる優しさにも強く惹かれましたね。
お互いを強く信頼しているので、歩と一緒なら何でも出来る気がするし、怖いものなんてないんですよ。
現在彼は、LGBTなどセクシャルマイノリティーの人も含めてすべての人たちが自分らしく生きていける社会にするために、
教育機関などさまざまな場所で講演活動をしていて、そんなところも尊敬しています。

高校生という多感な時期に人を心から愛せたこと、
人生を共に出来るソウルメイトに出逢えたことは、本当に幸せで、恵まれていたと思います。

――明音さんは色んな出逢いとともに、
ご自身の心とも深く向き合って高校時代を過ごされていたのですね。
そんな生活の中で、大学で音楽を学ぶという道を選ばれた経緯を聴かせていただけますか。

明音:幼少期の頃にピアノを習っていたことがあったのですが、
高3の秋に「のだめカンタービレ」という漫画にハマり、またピアノに興味を持つようになりました。
音楽系の大学に進みたいと思ったものの、「今から大学なんて目指せるの?」という気持ちと隣合わせ。
しかもブランクがあったため、そう上手くはいきませんでした。
結局、大阪芸術大学の音楽学科の推薦入試に落ち、現実は甘くないなと思い知ったのですが、
同時に「絶対に諦めたくない」という覚悟が芽生え、
そこから猛特訓の末、一般入試で合格通知を手にすることができました。

芸大に入学して新しい友達も増え、入学当初は毎日がすごく楽しかったのですが、
1年の後期に入ってみんながそれぞれ音楽の勉強に集中するようになり、
私はみんなとの温度差を感じてしまいました。
幼い頃からずっと努力をして芸大を目指してきた友達と比べて、
私は単純に漫画のような生活に憧れていただけで、ピアノを心から好きなわけじゃないんだと気付きました。
そして、自己嫌悪から逃げるように音楽にまったく関連しないことに興味を持つようになり、
3回生の夏に語学留学でイギリスに行きました。

――語学留学ではどんな日々を過ごされましたか?

明音:イギリスのオックスフォードに滞在していて、あまりにも綺麗な街並みに、
私は夢中でデジカメのシャッターを切りました。
今思うと、これが私の写真の原点なのかもしれません。
写真を撮るのが楽しくて仕方なく、これまでピアノに集中できない自分に嫌気がさしていましたが、ピアノ以外の道もあるんだと気づきました。

けれど、日本に帰ってきてからは今までと同じ学校生活に戻り、
「何か変わらなきゃ」という想いとは裏腹に、ただただ時間が流れていくだけ。
私はハタチにして、引きこもりとなり、暗黒時代が始まったのです。

(後編につづく)
posted by メイリー at 18:12| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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