米澤悠亮さん。
通信制高校にてキャリア教育支援を行う特定非営利活動法人D×Pにて広報インターンを行う。
教科の授業が存在せず、子どもたちは自分の好きな学習を行うという
西宮サドベリースクールの広報担当スタッフも務めている。
彼自身が小学5年生の頃から西宮サドベリースクールに通っており、
定時制高校に通っていた経験もあると言う。
18歳と思えない落ち着きと行動力、そして、問題意識の深さの理由に迫りたいと思い大阪へ伺った。
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ーー子どもの頃はどんな子だったのですか。
米澤悠亮さん(以下敬称略):保育園のときはおとなしい子で、女の子と遊ぶ方が多かったですね。
あとは、昆虫と釣りが大好きで、家の近所にあった広い空き地で
友人と秘密基地づくりに夢中になっていました。
空き家の倉庫にもぐりこんで、スキーのステッキやフライパンなど
ガラクタを拾ってきては土の中に埋めるんです。
自分が面白いと感じたらすぐに行動するところは、
この原体験が影響しているなぁと感じます。
小学生になると放課後、一気に自由になるので非常に幸せを感じました。
親に何も言わずに、普段行かない場所に探検していたら、
一家総出で捜索されたこともあります(笑)
ーーかなり自由を謳歌していますね(笑)
親御さんものびのびと育てていらしたのでしょうか。
米澤:門限など一定ルールを守れば、あとは自由にさせてくれましたね。
自分のことは自分で決められる環境でした。
小学校での生活は、グループ内で持ち回りでイジメが起きる状況に嫌だなぁと我慢しつつも、
普段は楽しく過ごせていました。
ですが、5年生になって、直接的なきっかけは覚えていないものの、不登校になりました。
母親に「学校に行くのがしんどい」と伝えると、「行かなくてもいいよ」と言ってくれて。
最初は好きな教科である理科や自然学校にだけ出席していましたが
7,8月にはバッタリ行かなくなり、家で過ごすようになりました。
そこで母が探してくれたのが西宮サドベリースクールでした。
「面白そうだから行ってみない?」って。
体験授業に行ったら、もうカルチャーショックの連続でしたね。
ーーカルチャーショックの連続ですか。
米澤:始業時間が午前10時というのに、まずびっくりしました。
建物は民家だし、外に置いてある看板は子どもたちが描いた独創的な絵。
子どもながらに宗教団体なんじゃないかと思いました(笑)
入り口付近にスロットマシーンが置いてあって、何だろうと思ったら
パチンコ屋の店員を目指していた子どものために購入したものだったとか。
代表の話を聞いていると、ゲームの持ちこみがOKと知り、
「めっちゃ楽しそうやん!」と思いました。
3日間の体験授業を受け、直感的に「ここがいいなぁ」と思って入学を決意しました。
時間割もカリキュラムもテストもない学校なのですが、
理屈ではなくフィーリングで合うと感じたんです。
ーー特に夢中になった活動や印象に残っている出来事ってありますか。
米澤:一つは滋賀県彦根に釣りにいくプロジェクトを企画し実行したことです。
スクールでは生徒の自治が基本なので、
ミーティングで承認を得られれば、好きなプロジェクトを立ち上げることができます。
釣りのプロジェクトでは、出費を甘く考えていて、
少し足が出てしまい、会計管理の厳しさを思い知らされましたね。
もう一つ印象的だったのは、コンビニプロジェクト。
業務スーパーでラムネやお菓子を安く仕入れ、スクールの棚に置き、
利益をつけて商品を売るという内容です。
場所代という固定費を支払うことになっていたので、商品の仕入れや値付けも
自分で考えて決めなくてはいけません。
例えば夏場はアイスやジュースで稼げるな、なんて。
あとは、一人で明石や須磨によく釣りに行っていました。
今思うと、釣りで「狩猟する感覚」が鍛えられていたのかもしれません。
釣った後、自分でさばいて食べるので、食料を獲得する喜びを得られるんです。
これって実は探究型の学びなんです。
ある気候条件で、ある時間帯にしか取れない魚がいるので、
魚が取れやすい「潮が動き出すタイミング」を計算して釣りに臨むという。
ーー小学高学年ですでに自分で魚を釣ってさばけることもすごいですが、
釣りが探求型の学びって、お話を聞いてなるほどと思いました。
その後はどんなふうに中学、高校と過ごされたのでしょう。
米澤:しばらくは自由を謳歌していたのですが、自由すぎるゆえに
自分や人生の目的について考え始めるようになりました。
社会的マイノリティーに属していると、こうした問題にぶつかりやすいのかもしれませんね。
平日外出していると「なんで学校に通ってないの?」と聞かれることが
当時はコンプレックスでした。
ですが、自分と向き合い続けるうちに、大事にしたいものが見えてきました。
大人になったら1週間に約40時間も働くのだから、
心から好きなことを仕事にしようと決心したんです。
高校受験の時期は、自分にとって大きなターニングポイントの一つでした。
色々な生き方の人と関係性をつくりたい。
サドベリー以外の教育を知りたい。
そんな思いから面接と筆記試験で受けられる定時制高校を目指すことにしました。
この時期は入試という高い壁が目の前にそびえ立っていた。
四六時中「どうすれば受かるのか」を考えていましたね。
普段は通っていなかったのですが、地元の中学の担任の先生が
面接の練習や作文の添削に熱心につきあってくれて、
そのおかげもあり、入試当日は全力投球できました。
作文用紙の裏にまでギッシリ字を書いたのを今でも覚えています。
受かったときは飛び上がるほど嬉しかったですね。
受験を乗り越えた経験が、自己肯定感や自信につながり、
今の自分を形作っているのだと思っています。
☆後編につづく☆