2015年03月01日

「好き」に忠実に生きるデザイナー・モデリスト file.62(前編)

IMG_0304 - コピー.JPG

ササキトモユキさん。
パリ・コレクションブランドの縫製を3年間手がけ、2008年に独立。
大量消費社会へのアンチテーゼとして、長く着られる一着を素材やデザインから提案する。
服飾専門学校の講師を経て、
現在は住宅関係のWebサイトの制作を行いながら、服づくりの道を極めている。
こうした生き方を選ばれている理由や、服作りへの思いをお聞きしたいと思い
インタビューを申し込んだ。

☆☆☆☆☆

ーー現在はフリーランスとして服のデザインから縫製まで手がけつつ、
Webサイト制作の派遣社員をされ、二足のわらじを履いているとお聞きしました。
今の働き方に行き着いた経緯をお聞かせいただけますか。

ササキさん(以下敬称略):別の収入源を確保しながら好きなことをやれるので
メンタルのバランスを取りやすいというのが理由です。
25歳のときにアパレルのブランドを立ち上げ事業を興したことがありますが、
夜寝る時に不安が押し寄せてくるんです。
社長業って向き不向きがあるのだと思いましたね。
不安はどんな働き方であれ、消えるものではないのですが、
お金をしっかり得る道を確保しながら、服作りを一生続けることが
私には合っていると感じています。
あくまで目標は好きな仕事を「死ぬまで続ける」ことなので。
現在は個人のお客様が多く、
ウェデイングドレスや制服、アーティストの衣装なども手がけています。

ーー仕事はどのように受注されているのですか。

ササキ:以前働いていた工場関係の方から紹介されることもあれば、
服飾関連の方々が集まる飲み会などに参加して仕事をいただくこともあります。
あとは年に1回以上は展示会を開き、自由に作品を公開し、
そこで仕事につながることも。

アパレルは意外にクローズドな業界で職人気質な面があるので、
以前工場で服を作っていた知識と経験が自分の自信になります。
工場にはサンプル縫製(デザイナーが服のイメージや生地を持ち寄り
ファーストサンプルとして1枚の洋服を作っていく)と、
量産縫製(同一デザインの服を効率よく大量に作る)の二種類があり、
私が働いていたのは前者でした。
サンプルの方が、モデルが着るのでよりキレイに寸法通り作らなくてはいけないし、
より高い品質が求められます。

ーーパリコレの衣装を作っているってすごい!と思ったのですが。

ササキ:修行させていただいた社長と工場に恵まれていました。
布帛、カットソー、レザーなどの素材や、メンズ、レディス、キッズまで
とにかく仕事の幅が広かったので、とても濃い経験をさせていただきました。
1着に対しパターン数がものすごいものもあるので
コレクションシーズン前はバタバタしてますよ(笑)
例えば衿のデザイン一つとっても、デザイナーが描く世界観を表現するために
デザイン画とパターンからそのメッセージを読み取って作っていきます。
アーティストの衣装を作るときも、直前の舞台裏で必死に縫うということはざらにありますね。

ーー舞台裏ではそんなことが…!
ササキさんが服のデザインに興味をもたれたのはいつ頃からですか。

ササキ:小学校のとき、スラムダンク全盛だったこともありバスケ部に入ったんですが、
1995年当時はNIKEブームで、エアマックス95が爆発的なブームになっていた。
地元秋田のファッションビルでNIKEの靴を見て「カッコいい!」と思い、
雑誌を買いあさり、食い入るように読みましたね。
そこから服のデザインにも興味が広がっていきました。

服って、その日の気分ですぐに雰囲気を変えられますよね。
落ち着いて見せたいときはモノトーンを選ぶとか。
落ち込んでいるからこそ明るめの色を装うとか。
服には大きな影響力がある。
また、布を選ぶところから自分一人で作れて、形に残るのというのも魅力だと思っています。
食べ物はつくってもずっとは残らないし、
父がやっていた建築業だと、形には残るけれど、どうしても自分一人で完成させることは厳しい。
その点、服飾はデザインからパターン、縫製まで一人でやれるので、自分に合っていると思います。

ーーなるほど。元々小さい頃からものをつくるのが好きだったのでしょうか。

ササキ:そうですね。父が建築板金業をやっていて、
仕事場についていっていたりしたので、
当たり前のように釘や金槌を使っていました。
廃材で椅子をつくるなど、「つくる」ことが生活に溶け込んでいたというか。
色々な家を巡っていたのも、今の間取り好きに影響を与えているかもしれません。

ーー中学・高校時代はどんな子でしたか。

ササキ:「いい高校にいかなきゃ」という思いがあり、
バスケ部でキャプテンを務めつつも勉強の優先度は高かったですね。
高校時代にはすでに服を作り始めていました。
青森ではファッション甲子園というイベントが毎年あるのですが、
その初年度の「プレ甲子園」のときに、チームメンバーとデザインを応募したら通過したんです。
家庭科の先生に洋服の作り方を教えてもらい、手芸店で素材をそろえた。
入賞はできなかったものの、自分で作った服を着て
ファッションショーに出られたことにはびっくりしましたし、
「これが自分のやりたいことなんだ」という確信につながりました。

高校卒業後は、服飾の専門学校に行こうと思いました。
高校で商業科を選んだのも、経理ができれば会社を興したときに役立つかなという思いがあって。
親には普段から自分がやりたいことを話していたので、
反対されることもなかったですね。

ーー高校を選ぶときから、
現実を見据えて進路を選択されているってすごいことだと思いました。
服飾の専門学校ではどんな日々を?

ササキ:女子高にぶちこまれた感じでした(笑)
オートクチュール(高級注文服)のクラスは70人中、卒業時に男は私一人でしたから。
そこで女性だらけの環境でも生き抜く処世術を身につけた気がします。

後編につづく☆
posted by メイリー at 17:03| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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