
――それほどのプレッシャーや大変さがあったのですね。
その状況をどのように乗り越えていったのでしょう。
高橋:教師としての知識の引き出しも経験もないところから、
他の先生方が授業で使うワークシートを見たり、授業見学させていただいたりと必死で試行錯誤するうちに、一学期が終わるころには何とか授業が形になってきました。
年に一回研究授業の発表会があり、文科省の視察官や教授、先生方が全国から授業を見に来るんですが、そこで研究授業をやることになって…!
研究課題は「PISA型の授業を全教科でやる」というもの。
ノイローゼになりそうでしたが、今思うと良い経験でした。
――大舞台を経験されたのですね…!その後は専任講師の道へ?
高橋:私立中高一貫校の専任講師になりたいという夢はずっとあり、
とある私立進学校から面接に来ないかと電話をいただいたんです。
試験に必要な模擬授業の構成案を横国の大ベテラン教師のおさむ先生に見せたら
「高橋はどんな授業をやりたいんだ?」と指摘されて。
ここでこれだけ工夫を凝らした授業をやってきたんだから、
お前が本当に教えたいことを、その学校へぶつけろと言われたんです。
そこから急いで構成案を書き直して模擬授業に臨んだら、
試験後たった30分ほどで「全会一致であなたを採用することに決まった」と電話がかかってきて!
2010年に副担任を務め、翌年には念願の担任をもてることになりました。
――そこから起業へと方向転換したのは何があったのでしょうか。
高橋:東日本大震災が私を変えた転機でした。
震災当日、東京では交通機関がマヒし、帰宅できない生徒たちの炊き出しのために
夜中に自転車で学校に戻ったのですが、テレビで惨状を見て「大変なことになった…」と思いました。
そのとき「こんな不確実な時代に、これから私は教師として子どもたちにどのように向き合えっていけばいいのだろう」という疑問が浮かんだんです。
震災直後、中高生の間にもスマホやLINEが一気に浸透しました。
LINE上で非難している子どもたちの光景に、大きな違和感を覚えました。
親しい友だちとケンカしても、面と向かって直接何も言わずに
「相手のことを配慮しながら思いをぶつけあう」という場が減っていく一方。
LINE上のみで会話をし、非難し合っている子どもたちの光景に、大きな違和感を覚えました。
LINEは表現ではなく、一次的な表出にすぎない。
私はいったい何を育んでいるんだろう?と自問自答しました。
現代文は、世の中のあらゆるものがつまった科目なのに、
教師の世界しか知らない自分が、一クラス40人の子どもたちを
自分の枠の中で捉えた唯一の理解へと導いていくことにあるとき怖さを覚えたのです。
学校以外の世界をもっと知らなくてはという思いに駆られ、
専任講師になって3年目で、起業するなら今だと決心しました。
友人から「事業の計画書を書いてみたら」と言われ、
書き出したら、たった3,4時間でA4の紙が4,5枚になっていたんです。
「これだけ現実的ならやってみなよ」と言われたのも後押しになり、
なんと夏休み中には教室の物件を契約し、翌年3月には学校を退職しました。
――ここまで頑張れるのは何でしょう。
高橋:私って「これだ!」と思ったらそれを全力で追求してしまうんです。
典型的な猪突猛進タイプ(笑)
また、石上先生の影響は計り知れないですね。
教師を目指し出してから「生きるって何?」「国語って何?」という根源的な問いを何度も何度も投げかけてくれました。
国語はあくまでツール。
国語を通じて「自分の言葉で考えることの大切さ」を伝えたいという思いがあるんです。
塾講師から起業する方は多くいますが、教師から起業というルートは異色。
経営のスキルもないから一から勉強して、WEBサイトも自ら見よう見まねで作りました。
「今しかない」という心の声を聴いた結果ですね。
――起業してみてどうですか。
高橋:経営者としての苦労は尽きませんが、やってよかったと心底思います。
学校では生徒がいるのは当然でしたが、起業すると教室運営もコンセプトも生徒集客も全て自分のアタマで一から構築しないといけない。
初めて体験授業でいただいた授業料の2000円は今でも忘れられませんね。
本当に自分が一から稼いだお金なんだと。
進学塾、国立校、そして私立校。
様々な教育現場を経験してきたからこそ、今の二コラがあると思っています。
――二コラでは生徒さんと紅茶を飲みながら何時間も話をするという場面もあると聞きました。
生徒さんと向き合う時間を大事にされているんでしょうね。
高橋:二コラは生徒がリラックスできる「放課後」の空間というイメージなんです。
生徒がくつろげるように季節の草花を飾っているし、友人関係や進路の相談にものる。
そうすることで、生徒との距離を縮められますからね。
季節の花を飾っている理由はもう一つあって、
生徒たちに、季節を感じられるきれいな心と命をいつくしむ気持ちを持っていてほしいと思っているんです。
国語に出てくる文章にはたくさんの草花の名前が登場します。
その色や香りを自分でしっかり体感した上で子どもたちに伝えられたらと思っています。
季節の移り変わりや景色の変化を見て、思いを馳せられる方が、人生が豊かになる。
本と自分との共通点を見出すことで、心が救われることだってある。
そういう瞬間をつくるお手伝いができたらいいですね。
――子どもたちが考えを深められるように工夫していることは何ですか。
高橋:彼らの多くは「考えなさい」と言われても「どう考えたらいいか」がわからない。
「考える」ための方法がわからないんです。
たとえば、小説の登場人物たちの関係を文章とじっくり向き合わせながらマッピングで整理させながら読解のとっかかりをつくり、
彼らの引き出しが増えるようにと心がけています。
小論文を書こうにも、自分の考えがなければ書けませんから。
考える楽しさを味わってもらいながら、自分の言葉で自分なりの考えを発信していってほしいですね。
不確実で変化の激しい時代だからこそ、ますます自分の考えの軸が必要だと思いますから。
最近「起きることには全て意味がある」とつくづく思うんです。
恩師の石上先生も、横国でのチャンスを紹介してくれた細川さんも、
模擬授業の構成案を見てくれたおさむ先生も、
そのタイミングで出会うべくして出会っているのだと。
お世話になった人たちみんなが見守ってくれていると思うと
下手なことできないなって思うんですよね。

☆☆☆☆☆
頭に浮かんでくるチャンスを逃さずキャッチし、ものにしていく圧倒的な行動力とバイタリティー。
そこには、たった一冊の古文の問題集との格闘から始まった
「やればできる」という強烈な原体験が影響しているのだろう。
恩師の石上先生や横国時代のおさむ先生のように、
岐路に立ったときに正しい方向性を見つけ出す後押しをしてくれるメンターに恵まれてきた彼女。
人一倍強い信念と鋭敏な感性をもって生徒と向き合い続ける彼女の姿を見て、
つい応援したくなるのだと思った。
生のコミュニケーションを避けようと思えばどこまでも避けられる昨今。
「私はいったい何を育んでいるんだろう?」という彼女の問いは、
教育業界にいた私の胸にも大きな跡を残した。
国語力=人間力という彼女の言葉には、
どんな教育現場でもベストを尽くし続けてきた彼女の経験ならではの輝きがあふれていた。
教師の経験と専門性、そして個性が光る私塾が
どんどん広がり、浸透していくことを願わずにいられない。