2015年05月10日

「食」を中心に地域の良さを発信し、縁を「結ぶ」人 file.66(前編)

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株式会社結屋(むすびや)の代表をされている川村結里子さん。
はしご酒イベント「三島バル」の運営や、
箱根ファーマーズカントリー俺っちの野菜ジェラートの企画販売など、「食」を中心としたコミュニティー事業を展開している。

伊豆高原に拠点を置き、伊豆の活性化にも携わっている、
私の尊敬しているキャリアカウンセラーの方から、
「三島にこんな素晴らしい活動をしているバイタリティあふれる女性がいるよ」
と教えていただいた。

静岡県三島市に住んでいる私は、彼女のFacebookでの発信を読みながら、
「食に関わる人たちをつなげて、飲食店や農家などの生産者の良さを伝えていく」という彼女のミッションに迫りたいという思いが強まり、インタビューの機会をいただいた。

☆☆☆☆☆

――株式会社結屋を立ち上げるまでの経緯をお聞かせいただけますか。

川村結里子さん(以下、川村):2009年3月から、生まれ育った東京を離れて三島市に移り住み、
おにぎりカフェの店長になりました。
三島にある母の生家をリノベーションしたカフェの運営をお願いしていた人が急遽やめるということで、
運営を引き継がなくてはいけなくなって。
ちょうど、勤めていた住宅メーカーを辞めて一区切りつけようかというタイミングで、挑戦することに決めました。
未知の土地で、知り合いもほとんどいない中でのスタート。
まずは知り合いをつくろうと、ふるさとガイドの会など、三島のボランティアにいろいろ参加しました。
色々と顔を出すうちに、商工会議所の青年部に声を掛けてもらい、
知り合いが増え、カフェも知ってもらえるようになりました。
がつがつ行動する若い女性が珍しかったのかもしれませんね。

彼らと接していて感じたのは、「三島が好き」という思いの強さ。
東京で暮らしていたときの「隣人の顔も知らない」という状況と対照的でした。
「地域のコミュニティー」という概念を教えてくれた三島に
恩返しをしたいなという気持ちが芽生えたことが
2011年3月に株式会社結屋(むすびや)の立ち上げにつながりました。

――すごい行動力ですね! 新しいことに挑戦していくのは、子どものころからでしょうか。

川村:小さいころは内向的で、漫画を描くなど一人で作業するのが好きな子でした。
親の管理が厳しく、自分から挑戦していくというのはほとんどなくて。
ですが、親の管理から離れた大学時代にスイッチが入ったのか、
自分で決めて動くようになりましたね。
学科が建築系だったので美術館や展示にどんどん足を運びました。
インカレの弓道部を探し出して入部し、これまで接したことのない人たちと
交流できたのはよかったなと思います。

――建築を専門にされていたのですね。建築に興味があったのですか。

川村:実家が設備会社で、親から「建築方面に行ったらいいんじゃない」と勧められました。
結果的には2級建築士の資格もとれたし、後悔はしていませんが、
強くこれをやりたいというのは当時なかったですね。
就活では住宅メーカーに内定をもらいました。
ところが、これまで自分の気持ちを抑えていた反動からか、
社会人になるタイミングで、ずっと憧れていた演劇の世界に飛び込んだんです。

――演劇ですか。大きな決断をされたのですね!

川村:住宅メーカーで働きながら、夜に演劇学校に通っていました。
休み時間に屋上で発声練習をし、
帰りに公園で発声や滑舌を練習するために、歌舞伎の外郎売 (ういろううり)の台詞を音読する。
そんな生活を2年間続け、自分の情熱や将来性を考えたときに
私は演劇向きではないなと思い、仕事一本に絞りました。
営業のイベント企画・運営にやりがいを感じていましたが、
もっと自分で生み出せる仕事がしたいと思って。
イベント用のチラシづくりに活かせるよう、デザイン学校に夜間に通い始めました。
その矢先におにぎりカフェの話がきたという感じです。
今思うと大胆な決断をしてきたなぁと思います。

――選択と決断を積み重ねてこられたのだなぁと感じました。
おにぎりカフェでの日々はどうでしたか。

川村:経営も接客も一人でゼロからのスタートでしたが、
ギャラリー展示や、食や芸術のイベントを開いて、
お店の認知度が上がり、色々なつながりができていました。
食について話し合う会を開き、飲食店さんや農家などの生産者の想いやこだわりを知る中で、
「伝え方を変えれば、その良さがもっと伝わるはず」と思うようになり、
「食」のコミュニティーづくりと発信という結屋の事業を始めようと決めました。
またに「結里子」という名前にあるように「結ぶ」というのは
自分にとって非常に大切だと感じたんです。

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――食のつながり、そして「伝えること」がキーワードになっていったのですね。
そこからどんな風に事業化を進めていかれたのでしょう。

川村:おにぎりカフェをやめてから1年ブランクがあったのですが、
その間に富士市の知り合いがやっている「まちづくりNPO」のお手伝いをしたり、
NPOグランドワーク三島が主催の、地域で活躍する人を増やす為の研修を受けたりしました。
「食を通じてのコミュニティーづくりをしたい」と計画書を出して、
採択され、支援金をいただいたことも、法人設立の後押しになりましたね。
事業内容のブラッシュアップのために相談にのってくれたメンターが、
たまたま社会起業大学の元学長で入学を勧めてくれて、結屋を立ち上げつつも半年間通うことになりました。

――社会起業大学に通われて、よかったことは何でしたか。

川村:自分の事業を支えるシンプルな動機(原体験)をつきつめて考える機会を
たくさんいただけたのがよかったですね。
ここがブレてしまうと、壁にぶつかったときに心が折れてしまう。
「何のためにこの事業をしたいのか?」を掘り下げたことで、
おにぎりカフェで出会った人たちから学んだ
「食」の尊さやつながりの大切さを伝えたいという根本の想いに立ち返ることができました。
あとは、一緒に学んだ仲間同士で、互いの事業プランの改善点を伝えあい、
全力で応援し合えたのは、貴重な経験でした。
今でも連絡とりあって、刺激をもらっていますね。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 18:32| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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