2015年04月21日

キャリア支援で日本を変えていく現代の熱き志士 file.64(後編)

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前編はこちら

――想像を絶する光景ですね…!
この時期の経験が今の人材育成観につながっているのでしょうか。

熊澤:多少影響しているでしょうね。
商売や労働時間が違っても、国籍が違っても、一緒に働く期間は限られていても、
共に働くスタッフ一人一人が楽しく働けるように気を配っていたのは、
小さいころからの影響をくれた人たちのおかげでしょう。
彼らが帰るときは誰よりも大きい声で「おつかれ」と言う。
良からぬ道に足を踏み入れそうな影のある子には「週2は必ずうちのバイトに来いよ」などと伝え、
彼らの相談にものっていました。
別に特別なことをしていたことは無いし、当たり前のことをしていたと思います。

これは自慢なんですが、私が店長をしていたときは
「店長が死ぬほど働く・・・」みたいなことは起きず、人手不足で悩んだことはありませんでした。
今、振り返ると、スタッフにやめたいと言われたことはありませんでした。
むしろ他の仲間を店に引っ張ってきてくれて、「こいつも働かせてやってください」と言うくらい。
みんなでいかに利益を出していくか知恵を絞って働くチームに自然と育っていきましたね。

結局、この仕事が本当に世の中のためになっているんだろうか?という疑問が頭をもたげ、
政治家秘書へ転身しましたが、「社会をどう次世代に引き継ぐか」というテーマがずっと頭にありました。
それが「時代を繋ぐ旗印になる」というキャリアフラッグの経営理念にも引き継がれています。

――そこまでスタッフや後輩のために動けるのはなぜなのでしょう。

熊澤:自分たちが上の人たちにそうやって育ててきて頂いたからです。
よくしてくださった先輩たちに何とか恩返ししようとしたら、
「後輩が困っていたら助けてやればいいんだ」と言われたのを今も覚えています。
社会に出て約15年経ちますが、次の社会を担う若者たちに
自分が何を引き継げるだろうかと常に考えさせられますよね。

――熊澤さんは高校時代応援団をされていたと聞きましたが、
応援団に入ったきっかけは何でしたか?

熊澤:きっかけは先輩に誘われたことですが、
親に逆らいたいという気持ちが根っこにありました。
キャリア支援の世界の言葉で言うなら、親と違う価値観をもった自分を自分で認めたい・・・ということですね。
進学校に通っていたのですが、親から「勉強しろ」と言われるのがいやで、
それに対抗できる自立した価値観の土台がほしかった。
応援団は他の部活と違って、誰でもできるようなものではないと思っていたんです。

――応援団ではどんな日々を送っていたのでしょう。

熊澤:3年間、修行寺みたいでしたね。
朝7時には校門前で拍手の朝練を1時間。
拍手し続けていると手から血が出て、最初は赤いんですが、徐々に白い液体に変わっていきくような状況でも、「音が出てない!」と先輩から、ご指導を頂く。笑。
男子校だったこともあり容赦なかったですね。
もちろん、昼練習と午後練習もバッチリある。
経験したことない人には理解し難い世界でしょう。
でも当時の自分にはそれが普通のことでした。
だから私たちが、他の運動部の部活の試合の応援に行くと
その同級生の運動部の部員たちは「お前らに応援されたら、歯を食いしばってでも負けられない」って言って、笑っていましたよ。

――応援団での経験は、今の仕事へのスタンスにも影響しているのでしょうか。

熊澤:そうですね、今日も夜遅くまで大学のキャリア講座について
メンバーと企画を練り続けていましたし
必死に考えて行動するのが当然というのはあります。

――インタビューをしていると、仕事にやりがいを感じる瞬間があるという人も、
目の前のことに没頭しているからやりがいなんて意識したことがないという人もいるのですが、
熊澤さんの場合はどうでしょう。

熊澤:日々必死に生きている人はやりがいを意識しないか、
または「日々感じ続けている」んじゃないでしょうか。
時々感じるというほうが不思議。
孫正義さんがジョークをまじえて「頭が禿げるまで(事業のことを)考えろ」とおっしゃっていて、
そういうのには憧れますね。夢に仕事の場面が出てきますからね。
部活時代や、ラーメン屋の時から、ずっとですが、、、

――では、逆に壁を感じたことってありますか。

熊澤:毎日が壁にぶつかる日々ですね。
前に進み続ける生き方しかしてこなかったので壁ばっかりですよ。
ボクシング・チャンピオンにもし「優勝したら、ほしいものは何?」と尋ねたら
「チャンピオンベルト」って言うに決まっていると思うんですよ。それしか見えてない。

――熊澤さんにとっての「ベルト」は何なのでしょう。

熊澤:それが今はキャリア支援なんでしょうね。
目の前の学生が頑張ろうと一念発起しているのを支えたい。
そして、学生たちに変わってもらうために、真剣に考え始めている大学職員の方々を何とかサポートしたい。その一心ですね。

☆☆☆☆☆

熊澤さんの背中に赤い炎が見えた。
まるで維新の志士たちに会ったような感覚だ。

ラーメン屋の統括をしていたときの臨場感あふれる彼の語りには、つい吹き出してしまった。
キャリア支援への使命感を語られたときには、知らぬ間に涙が頬をつたっていた。
それくらい彼の人生が起伏に満ちていて、
彼の伝えるメッセージが強烈に心に刻み込まれたからだろう。

壁を感じるのは毎日という、前に進み続けるのが当然という常に真剣勝負な生き方。
ご自身はそれを特別なこととは感じていない。
ただ目の前の困っている人を助けたいだけ。
彼の一点の曇もない高潔な志と、利他精神に圧倒されてしまう。

ちょうど私はインタビュー当時、キャリアの転換期に差しかかり、
あらゆる感情が心の中でかき回されている状況だった。
サイトの向こう側にいる、夢を追いかける人たちはもちろん、
そんな私の心にも火が点くよう、
こんなにも熱く語ってくださったのだろう。

その思いやりに深く感謝すると同時に、
この学びや感動を次世代に届けるべく、動き続けようと心に誓った。


posted by メイリー at 09:42| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャリア支援で日本を変えていく現代の熱き志士 file.64(前編)

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熊澤匠さん。
顧客開拓・人事営業を経験後、社内の年間100回に及ぶ就職セミナーや、
大学内の就職ガイダンスの講師を務め、2010年にキャリアフラッグ株式会社を設立した。
学内キャリア授業や就活セミナーを企画展開し、数校の大学内の非常勤職員を務め、
就業力育成支援事業にも携わる。
紹介いただいた方から「赤い炎をもつ人」とお聞きし、
HPからでも伝わってくる情熱の背景に迫りたいと思い、お話を伺った。

☆☆☆☆☆

――まず、キャリアフラッグの活動について、教えていただけますか。

熊澤匠さん(以下敬称略):キャリアフラッグでは、株式会社PUFFさんのお手伝いでウルトラインターンという学生たちが、ありとあらゆる業種・職種の社会人にアポを取り、
OBOG訪問するプロジェクトを運営しています。
ポイントは、学生たちが自ら行動する力を醸成できるような「ホームルーム」を設けているところです。

6年前にこれとほぼ同様の企画を行っており、「OB訪問 十五ヶ条」という本にまとめています。
大事なのは本人たちの自発的な挑戦の意志なのですが、
「自分が弱みを見せて泣ける場」や「自分を育んでくれた場」がないと、
学生たちは安心して挑戦できないんですよ。

――「自分を育んでくれた場」ですか。

熊澤:「育まれてきたという実感」は非常に大事。
例えば「家族はありがたい存在」という意識をもてるかどうか。
家族以外にも友人など、信頼できる人、
つまり足場をつくっていくサポートをするのが私たちの役割ですね。
友人という足場ができると、今度は親に反抗して自分の世界を広げられる。
自分で足場をつくってこなかった学生には、
まずは講師である私たちに頼ってもらうところからのスタートです。
私たちは、この足場を世の中にたくさん増やしたいと思っています。
キャリアフラッグはあくまでその一つ。
講師は風をふかすけれど、あなたがあなた自身の足場の上に旗を立てるんだよと。

――家族や友人など複数の「足場」があるからこそ、新たな挑戦ができるのですね。
キャリアフラッグを立ち上げようと決めたきっかけは何でしたか。

熊澤:リーマン・ショックの影響で前職を辞め、自分一人でやっていこうと決めたのがきっかけです。
元々キャリア支援の経験を積んで、市場感覚ももっていたので
先輩からも「やったほうがいいよ」と後押しされました。
仕事において「これをやりたい」というのはあまりなく、
ただ目の前の困っている人を応援したいという思いで動いているんです。
前職で、どんな企業を受けてもバシバシ落ちて
内定を得られない子たちを目の当たりにした。
本来義務教育をきっちり受けたら仕事に就けるのが当然なのに。
でも実際には、友達を作る方法すら実地でちゃんと学んでこなかった子さえいる。

――そんなに厳しい現状なのですね…。

熊澤:大学も含めて社会に出る直前の学生を抱える教育機関の多くは、
学習や基礎能力が開発され終えたという前提に立っているので、
学生の何の能力を開発したいのかについて明確なポリシーがなく、
教育の「教える」の部分はやっていても「育てる」の部分が疎かになっている。

だから自ら足場をつくる力を身につけていないまま就活を迎える子が増えてしまった。
新聞紙面で書かれる流れの就職活動に乗れなかった学生たちを集めて、
面接で声を出せるようにと、大縄跳びをさせたことがあります。
ところが、縄をまわす人を決める段階から、戸惑ってしまう。
みんなで話し合って良い策を考え出すまで時間がかかるという有り様です。
仲間との距離を作る能力を鍛えずして、どうやって見ず知らずの社会人との距離をつくる「面接」に立ち向かえるのでしょう?

みんな就活で初めて危機感を覚えるんですよ。
危機感に対して戦おうというのは、ある程度受験の世界で打ち勝ってきた人の発想です。
成功体験をもっている学生の発想です。そうじゃない子の大半は逃げてしまう。
危機感にどう対処するかを学ばずにきてしまったし、
それが大事だと知らずに育ってきたからです。

こういう学生を抱えて困っている大学の現状を知ってしまったからには
そこで必死になっている教職員の方々を、放っておけないんですよね。
最終的には僕たちの手を借りなくても真の教育が大学で行われている状態になることを願って、
志のある大学の教職員の方々と協力して企画を練る日々です。

――困っている人がいたら放っておけないのは昔からですか?

熊澤:小さい頃からの刷り込みですかね、きっと。
35年ほど時間を巻き戻しますが、僕は長男で弟と妹がいて、
「お兄ちゃんなんだから支えてあげるものよ」と親から言われ続けてきたのが記憶の原点です。
国立の教育大付属の小中一貫校に通っていたのですが、
小学六年生が下校中の一年生を見つけたら、手をつないで一緒に帰るのは当然の風景だった。
バスの中でも、定期を見せて運転手さんに挨拶をして乗り降りするのは当然で、
「下級生にお手本を示すべき」という教育方針が徹底しており、
卒業式の予行演習でも何度も起立!礼!を何度もさせられて、
「在校生にどんな背中を見せるのか」、「何を伝えて出て行くのか」を、とことん考えさせられましたね。
だから次世代に何を渡していくかを自然と考えるようになったのかもしれません。

――よく「多くのものを背負っている」と周りから言われませんか?
熊澤さんの使命感の炎を感じます。

熊澤:政治家秘書を務めていたときに、
「世の中を少しでも良く変えていきたい」という志を本気で実現させようとする政治家たちや、その支援者の方々にたくさん会ってきたからだと思います。
高度経済成長期を支え、今の日本を築いてきた世代の人たちから
激励を受けることもしばしば。
手も震えておられるくらいにお年を召した支援者の方とお酒を飲んでいて
「日本を頼むよ」という言葉をいただいたことがあるんです。
もうこっちが震えて酒が飲めないよって(笑)
これは何とかせずにはいられないですよね。

――それは震えますね。政治家秘書をされていたのは、いつ頃のことだったのですか。

熊澤:27、28歳の頃ですね。
その前はラーメン屋を何店舗かFC経営していたこともあります。

――そのときのお話を聞かせていただけますか。

熊澤:新卒で入った営業職に慣れてきて、退屈さを感じ始めていたら
とある大手FCチェーン飲食店から店舗をいくつか統括してほしいと
お声がけいただき転職したんです。
現状の退屈さからの逃げと、評価されたことに調子に乗って転職を決意しました。

ですが、当時狂牛病などの影響もあり、急きょ隣接部門のラーメン店のアルバイトになったんです。
任されたのは、夜9時から朝5時まで毎日満席で、行列がズラーっとできるほどの繁盛店。
夜勤アルバイトの多くはアジアの留学生です。グローバル?ですかね。
最初は店でモチベーションリーダーしかできませんでしたが、
そのうち、彼らのマネジメントそしてお客さんのクレーム対応を一手に引き受けました。
気が付いたら、社員にしてもらっていましたし、一晩で1000杯くらい売れてましたので、
完全に肉体労働で、麺とスープ合わせて2000回、
お風呂の小さな桶を掬い上げているような体への負荷ですね。
お客さまの注文状況を全部頭に入れ、大混乱の店舗でスタッフの中国語を解読する。
しかも彼らは様々な方言をしゃべるのでお互いが通じてないこともある。
そのうち、何語なんだかわからなくなる店内で、口も手も高速で動き続けて、もう千手観音みたいでしたよ(笑)ワールドカップの時期には店で暴れる外国人の泥酔したお客もいましたし。
やくざ稼業の方と向き合ってMTGした?こともありますが、日本語が通じるだけマシ。
キャリア教育の世界とだいぶ違うでしょう(笑)

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 09:34| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

勉強嫌いから一転、真の国語力を伝える起業家 file.63(後編)

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――それほどのプレッシャーや大変さがあったのですね。
その状況をどのように乗り越えていったのでしょう。

高橋:教師としての知識の引き出しも経験もないところから、
他の先生方が授業で使うワークシートを見たり、授業見学させていただいたりと必死で試行錯誤するうちに、一学期が終わるころには何とか授業が形になってきました。

年に一回研究授業の発表会があり、文科省の視察官や教授、先生方が全国から授業を見に来るんですが、そこで研究授業をやることになって…!
研究課題は「PISA型の授業を全教科でやる」というもの。
ノイローゼになりそうでしたが、今思うと良い経験でした。

――大舞台を経験されたのですね…!その後は専任講師の道へ?

高橋:私立中高一貫校の専任講師になりたいという夢はずっとあり、
とある私立進学校から面接に来ないかと電話をいただいたんです。
試験に必要な模擬授業の構成案を横国の大ベテラン教師のおさむ先生に見せたら
「高橋はどんな授業をやりたいんだ?」と指摘されて。
ここでこれだけ工夫を凝らした授業をやってきたんだから、
お前が本当に教えたいことを、その学校へぶつけろと言われたんです。
そこから急いで構成案を書き直して模擬授業に臨んだら、
試験後たった30分ほどで「全会一致であなたを採用することに決まった」と電話がかかってきて!
2010年に副担任を務め、翌年には念願の担任をもてることになりました。

――そこから起業へと方向転換したのは何があったのでしょうか。

高橋:東日本大震災が私を変えた転機でした。
震災当日、東京では交通機関がマヒし、帰宅できない生徒たちの炊き出しのために
夜中に自転車で学校に戻ったのですが、テレビで惨状を見て「大変なことになった…」と思いました。
そのとき「こんな不確実な時代に、これから私は教師として子どもたちにどのように向き合えっていけばいいのだろう」という疑問が浮かんだんです。
震災直後、中高生の間にもスマホやLINEが一気に浸透しました。
LINE上で非難している子どもたちの光景に、大きな違和感を覚えました。
親しい友だちとケンカしても、面と向かって直接何も言わずに
「相手のことを配慮しながら思いをぶつけあう」という場が減っていく一方。
LINE上のみで会話をし、非難し合っている子どもたちの光景に、大きな違和感を覚えました。
LINEは表現ではなく、一次的な表出にすぎない。
私はいったい何を育んでいるんだろう?と自問自答しました。

現代文は、世の中のあらゆるものがつまった科目なのに、
教師の世界しか知らない自分が、一クラス40人の子どもたちを
自分の枠の中で捉えた唯一の理解へと導いていくことにあるとき怖さを覚えたのです。
学校以外の世界をもっと知らなくてはという思いに駆られ、
専任講師になって3年目で、起業するなら今だと決心しました。

友人から「事業の計画書を書いてみたら」と言われ、
書き出したら、たった3,4時間でA4の紙が4,5枚になっていたんです。
「これだけ現実的ならやってみなよ」と言われたのも後押しになり、
なんと夏休み中には教室の物件を契約し、翌年3月には学校を退職しました。

――ここまで頑張れるのは何でしょう。

高橋:私って「これだ!」と思ったらそれを全力で追求してしまうんです。
典型的な猪突猛進タイプ(笑)
また、石上先生の影響は計り知れないですね。
教師を目指し出してから「生きるって何?」「国語って何?」という根源的な問いを何度も何度も投げかけてくれました。
国語はあくまでツール。
国語を通じて「自分の言葉で考えることの大切さ」を伝えたいという思いがあるんです。
塾講師から起業する方は多くいますが、教師から起業というルートは異色。
経営のスキルもないから一から勉強して、WEBサイトも自ら見よう見まねで作りました。
「今しかない」という心の声を聴いた結果ですね。

――起業してみてどうですか。

高橋:経営者としての苦労は尽きませんが、やってよかったと心底思います。
学校では生徒がいるのは当然でしたが、起業すると教室運営もコンセプトも生徒集客も全て自分のアタマで一から構築しないといけない。
初めて体験授業でいただいた授業料の2000円は今でも忘れられませんね。
本当に自分が一から稼いだお金なんだと。
進学塾、国立校、そして私立校。
様々な教育現場を経験してきたからこそ、今の二コラがあると思っています。

――二コラでは生徒さんと紅茶を飲みながら何時間も話をするという場面もあると聞きました。
生徒さんと向き合う時間を大事にされているんでしょうね。

高橋:二コラは生徒がリラックスできる「放課後」の空間というイメージなんです。
生徒がくつろげるように季節の草花を飾っているし、友人関係や進路の相談にものる。
そうすることで、生徒との距離を縮められますからね。
季節の花を飾っている理由はもう一つあって、
生徒たちに、季節を感じられるきれいな心と命をいつくしむ気持ちを持っていてほしいと思っているんです。
国語に出てくる文章にはたくさんの草花の名前が登場します。
その色や香りを自分でしっかり体感した上で子どもたちに伝えられたらと思っています。
季節の移り変わりや景色の変化を見て、思いを馳せられる方が、人生が豊かになる。
本と自分との共通点を見出すことで、心が救われることだってある。
そういう瞬間をつくるお手伝いができたらいいですね。

――子どもたちが考えを深められるように工夫していることは何ですか。

高橋:彼らの多くは「考えなさい」と言われても「どう考えたらいいか」がわからない。
「考える」ための方法がわからないんです。
たとえば、小説の登場人物たちの関係を文章とじっくり向き合わせながらマッピングで整理させながら読解のとっかかりをつくり、
彼らの引き出しが増えるようにと心がけています。
小論文を書こうにも、自分の考えがなければ書けませんから。
考える楽しさを味わってもらいながら、自分の言葉で自分なりの考えを発信していってほしいですね。
不確実で変化の激しい時代だからこそ、ますます自分の考えの軸が必要だと思いますから。

最近「起きることには全て意味がある」とつくづく思うんです。
恩師の石上先生も、横国でのチャンスを紹介してくれた細川さんも、
模擬授業の構成案を見てくれたおさむ先生も、
そのタイミングで出会うべくして出会っているのだと。
お世話になった人たちみんなが見守ってくれていると思うと
下手なことできないなって思うんですよね。

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頭に浮かんでくるチャンスを逃さずキャッチし、ものにしていく圧倒的な行動力とバイタリティー。
そこには、たった一冊の古文の問題集との格闘から始まった
「やればできる」という強烈な原体験が影響しているのだろう。

恩師の石上先生や横国時代のおさむ先生のように、
岐路に立ったときに正しい方向性を見つけ出す後押しをしてくれるメンターに恵まれてきた彼女。
人一倍強い信念と鋭敏な感性をもって生徒と向き合い続ける彼女の姿を見て、
つい応援したくなるのだと思った。

生のコミュニケーションを避けようと思えばどこまでも避けられる昨今。
「私はいったい何を育んでいるんだろう?」という彼女の問いは、
教育業界にいた私の胸にも大きな跡を残した。

国語力=人間力という彼女の言葉には、
どんな教育現場でもベストを尽くし続けてきた彼女の経験ならではの輝きがあふれていた。

教師の経験と専門性、そして個性が光る私塾が
どんどん広がり、浸透していくことを願わずにいられない。
posted by メイリー at 00:08| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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