2015年05月17日

多様な教育に橋をかけるファシリテーター file.67(前編)

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一般社団法人コアプラスの代表理事をされている武田緑さん。
小学校教員と、教育やまちづくりについての研修プログラムづくりの担当者を経て、
現在はコアプラスの事業の中心を担っている。
ファシリテーターとして、「一人ひとりが活かされ、よりよい状況を生み出すための仕事」を目指す彼女の「生き方と想い」に迫った。

☆☆☆☆☆

――コアプラスを始めたきっかけとなる体験や問題意識について教えていただけますか。

武田緑さん(以下、武田):自分が受けてきた教育に対して共感したところと、
後々考えて疑問だったところが、コアプラス立ちあげの出発点です。
大きな転機になったのは、19歳のときに参加したピースボートでの世界一周。
乗客は日本人がほとんどですが、
多国籍のスタッフやクルーに囲まれ、旅の途中で水先案内人となるゲストが乗り降りして
色々なワークショップが開かれます。
そして参加者同士でディスカッションが行われる。
例えば、中国や台湾の人たちと教科書問題や戦後補償の問題について話すこともあれば、
環境活動家のカナダ人が捕鯨問題について話をしたら
日本人が「鯨を食するのは日本の食文化」だと反発しました。
学べば学ぶほど、わからないことが増えていき、
必死に考えて、自分なりの考えを、自分の言葉にできたときの解放感を味わいました。
学ぶことって世界とつながっていき、自分が自由になることなんだなと。

これまで私はしっかりと自分の意見を持っているほうだと感じていましたが、
自分の意見を発表して、おっちゃんから生まれて初めて反論されたときに
「自分自身の意見だと思っていたものは、親や先生の受け売りだったんだ」と
大きな衝撃を受けました。
受け売りの意見って、少し反論されただけで脆く崩れ落ちてしまう。
自分で情報を集めて掘り下げていった意見でないと役に立たないと思いました。
ピースボートでのインパクトがあまりにも大きすぎて、
「これまで受けていた教育を変えなきゃ」という強い思いが芽生えたんです。

――その後の人生に大きな影響を及ぼす出来事だったのですね。
ピースボートに乗ろうと思ったきっかけは何でしたか。

武田:元々、国際系の科目が充実している高校に通っており、海外に興味があったんです。
直接的なきっかけは、18歳で人生最大の失恋をした相手がピースボートに乗っていたこと(笑)
当時の私にとって刺激的で尊敬する人でしたし、ピースボートの経験者が身近にいたことで、船に乗ることが現実的な選択肢になったんです。
ちょうど前向きに大学生活のスタートを切ることができず、
気持ちを切り替えるためにも「学外で何かしよう」と思い立ち、
ピースボートのボランティアセンターに1回生の5月に通い始め、船に乗ったのが10月でした。

――実行に移すまでスピーディーですね。その行動力は昔からですか?

武田:生徒会役員や行事のリーダーをしていたりと、行動力がなかったわけではないですが
周囲の大人から勧められた上での挑戦が多かったんです。
ピースボートは初めて自分自身で下した大きな決断だったといえます。
勢いって大事ですね。

――ご自身の価値観や生き方に影響を与えた人との出会いについて教えていただけますか。

武田:ピースボートで最後に講演をしてくださった脱原発の活動をされている
田中優さんとの出会いは大きなインパクトがありました。
「生き方も仕事も、自分がいいと思うものがなければ
今存在している型にはまらなくても、自分でつくるという選択肢もあるよ」と述べておられて、
腑に落ちましたし、精神的な自由が広がっていく感じがしました。

田中さんの言葉でもう一つ印象の残ったものがあります。
それは「人には、『風の人』と『土の人』の2種類がいる」というもの。
「風の人」は新しいものを取り入れ、色々な場をめぐっていく。
「土の人」は一つの場所で1つのテーマ・問題を掘り下げていく。
往々にして、風の人は土の人に対し「視野が狭くて、古くさい」と感じる一方で、
土の人は、「風の人は流行を追いかけて、地道さが足りない」と感じて、互いに溝ができやすい。
ですが、両者が手を取り合ったときに、風土が生まれ、
それで初めて社会が変わり始めるのだと田中さんはおっしゃったんです。

――「風の人」と「土の人」両方が欠けてはならない存在なのですね。

武田:私はこれまで同和地区の地域コミュニティーという、
「土の人」に囲まれた生活をしてきました。
地域のテーマとしての同和問題と向き合ってきましたが、その限界も感じていたんです。
私自身は「風の人」と過ごすほうが楽なのですが、
今意識しているのは、風の人と土の人の橋渡しをするのが私の役割だということ。

コアプラスを本格的に始める3年前は、
自分が育った土的なコミュニティーからなかなか認めてもらえず、
かといって愛着やこだわりがあって離れらない葛藤を抱いていましたが、
それなら、風の人と土の人がお互いにわかりあい、役割分担できるように、
両方の人と話ができる人になろうと決めたんです。

☆後編につづく☆
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2015年05月10日

「食」を中心に地域の良さを発信し、縁を「結ぶ」人 file.66(後編)

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☆前編はこちら☆

――川村さんがそうした動機を抱くようになった具体的なエピソードはありますか。

川村:何か一つの大きなきっかけがあったわけではありませんが、
農家の方から「俺の畑を見にこいよ」と言われ、生産現場を直接見れたことや
生産者の想いを生で聴けたことの積み重ねが、
私の原体験になっているんだと思います。
若い農家の方が「俺は将来、この土地をしょって生きる。
地域の農業の課題に向き合いながら、食の生産現場を担っていきたい」などと
真剣に語る姿に心を動かされました。

――「俺の畑を見にこいよ」と言われるほどの信頼関係を作れるのは
なかなか誰にでもできることではないと思ったのですが、よくそう言われませんか。

川村:めげずに攻めていったのがよかったのかもしれません。
箱根ファーマーズカントリーの方々にも
何度も会いたいとお願いしていたら、最初はうやむやにされていましたが、
私の本気が伝わったのか会うチャンスを作ってくださり、
次第に、定期的に飲み会に呼んでもらったり
イベントに参加させてもらったりと関係性ができていきました。
結屋の事業として、野菜ジェラートの企画販売という形で
共同で事業が出来たことも非常にありがたいですね。

――私だったらめげていると思うのですが…!

川村:未知の土地でゼロベースで始めたので、失うものはないですし、
動いたら動くだけプラスになるんですよ。
猪突猛進で動いていたこの時期が、今も続く大切なつながりをつくってくれた。
三島の飲食店に食べに行って、「こういうことを知りたいんです」と言うと、
その関係者を紹介していただいて、すぐにそこに赴いた。
これが三島バルの基盤にもなっています。

バルの出店は最初45店舗で、6回目となる昨秋は119店舗へ。
第1回の開催の時は「この企画をやるしかない」と腹をくくり、
手書きの企画書をもって三島の飲食店を100店舗ほど開拓しましたね。
「いきなりこられても困る」と突き返されたこともあるし
情報伝達でトラブルもありました。
そんな手探りのなかで開催した第1回目でしたが、
来場者は約1000名と、予想以上に多くのお客さんが来てくれたんです。
「昔のにぎわいが戻ってきたみたい」と喜ぶお店の方を見ると、苦労が報われましたね。
第6回の現在では、約3300名の方が参加下さっています。

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――新しい企画を立ち上げることと、それを継続させること。
両者においては求められるものが違うと思いますが、川村さんはどう感じますか。

川村:立ち上げ時は想いがあれば瞬発力と勢いでいけますが、
継続させるためには、内容をブラッシュアップしつつ、仕組みづくりも必要になるので
後者の方が大変だなと感じています。
出店してくださる店舗の方々にも来場者にも満足してもらえるような工夫を続けていきたいですね。

ーー大変な状況も乗り越えられる原動力は何でしょうか。

川村:地域の人たちのおかげで成長できたので、恩返しをしたいという思いが根っこにあります。
身近な人が喜んでくれる顔が見られる。
そして「三島っていいね」と思う人が増えていき、「いいね」の連鎖が生まれていく。
こうした小さな幸せの積み重ねが私の原動力になっています。
悩むこともありますが、着実に行動を続けて、
もっと三島をよくしていきたいと思っています。

――結婚されてから、考え方に変化はありましたか。

川村:事業のための時間と家族と過ごす時間とのバランスについて考えるようになりましたね。
以前は自由に動けて、夜12時から飲食店で打ち合わせなんてこともありました(笑)
多少の葛藤はありますが、「自分の時間ももちなよ」と気遣ってくれる夫の存在は貴重ですし、
二人の時間も大事にしていきたいですね。
だから今は、自分の行動において、「引き算」が大事だなと思っています。
捨てることを決める時期というか。
先日ある方の講演で「100人の女性がいたら100通りの働き方がある」とありましたが、その通りだなと。
他の人の事例はあくまで参考材料であって、
最後に決めるのはやっぱり自分自身だなと思います。

――個人的に共感するところがたくさんあります。
最後に、これから挑戦したいこと、将来の夢をきかせてください

川村:地域の食のよさを伝えるしくみづくりに力を入れていきたいですね。
三島バルや情報発信にくわえ、飲食店を始めたいと思っている人が学べる場など
この地域の食や文化の豊かさを次世代に伝えていける一連の流れを生み出せないかなと。
まだ構想段階ですが、飲食店や農家が生み出す味や体験を一つずつ掘り起こしていきたいですね。

☆☆☆☆☆

見知らぬ土地でも自ら道を切り開くバイタリティ。
そして、着実な一歩一歩が生み出す変化を大事にできる感性。
この両方を持った方だと思った。

地域の人たちが喜ぶ顔を見たい、食の良さを伝えて恩返しをしたい。

彼女の内なる炎は、周囲の人たちの情熱にも火をともし、
協力者や応援者を増やしていくのだろう。

ただ突き進むだけではなく、自分の本当に大事にしたいものを見つめ、
「引き算」を考える時間の大切さをも教えてくださった。

2015年秋にも開催される三島バルにはぜひ参加したい。
そして彼女の構想が形になっていくのを見続けていたい。
そんな思いでいっぱいになった。
ラベル:地域活性
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「食」を中心に地域の良さを発信し、縁を「結ぶ」人 file.66(前編)

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株式会社結屋(むすびや)の代表をされている川村結里子さん。
はしご酒イベント「三島バル」の運営や、
箱根ファーマーズカントリー俺っちの野菜ジェラートの企画販売など、「食」を中心としたコミュニティー事業を展開している。

伊豆高原に拠点を置き、伊豆の活性化にも携わっている、
私の尊敬しているキャリアカウンセラーの方から、
「三島にこんな素晴らしい活動をしているバイタリティあふれる女性がいるよ」
と教えていただいた。

静岡県三島市に住んでいる私は、彼女のFacebookでの発信を読みながら、
「食に関わる人たちをつなげて、飲食店や農家などの生産者の良さを伝えていく」という彼女のミッションに迫りたいという思いが強まり、インタビューの機会をいただいた。

☆☆☆☆☆

――株式会社結屋を立ち上げるまでの経緯をお聞かせいただけますか。

川村結里子さん(以下、川村):2009年3月から、生まれ育った東京を離れて三島市に移り住み、
おにぎりカフェの店長になりました。
三島にある母の生家をリノベーションしたカフェの運営をお願いしていた人が急遽やめるということで、
運営を引き継がなくてはいけなくなって。
ちょうど、勤めていた住宅メーカーを辞めて一区切りつけようかというタイミングで、挑戦することに決めました。
未知の土地で、知り合いもほとんどいない中でのスタート。
まずは知り合いをつくろうと、ふるさとガイドの会など、三島のボランティアにいろいろ参加しました。
色々と顔を出すうちに、商工会議所の青年部に声を掛けてもらい、
知り合いが増え、カフェも知ってもらえるようになりました。
がつがつ行動する若い女性が珍しかったのかもしれませんね。

彼らと接していて感じたのは、「三島が好き」という思いの強さ。
東京で暮らしていたときの「隣人の顔も知らない」という状況と対照的でした。
「地域のコミュニティー」という概念を教えてくれた三島に
恩返しをしたいなという気持ちが芽生えたことが
2011年3月に株式会社結屋(むすびや)の立ち上げにつながりました。

――すごい行動力ですね! 新しいことに挑戦していくのは、子どものころからでしょうか。

川村:小さいころは内向的で、漫画を描くなど一人で作業するのが好きな子でした。
親の管理が厳しく、自分から挑戦していくというのはほとんどなくて。
ですが、親の管理から離れた大学時代にスイッチが入ったのか、
自分で決めて動くようになりましたね。
学科が建築系だったので美術館や展示にどんどん足を運びました。
インカレの弓道部を探し出して入部し、これまで接したことのない人たちと
交流できたのはよかったなと思います。

――建築を専門にされていたのですね。建築に興味があったのですか。

川村:実家が設備会社で、親から「建築方面に行ったらいいんじゃない」と勧められました。
結果的には2級建築士の資格もとれたし、後悔はしていませんが、
強くこれをやりたいというのは当時なかったですね。
就活では住宅メーカーに内定をもらいました。
ところが、これまで自分の気持ちを抑えていた反動からか、
社会人になるタイミングで、ずっと憧れていた演劇の世界に飛び込んだんです。

――演劇ですか。大きな決断をされたのですね!

川村:住宅メーカーで働きながら、夜に演劇学校に通っていました。
休み時間に屋上で発声練習をし、
帰りに公園で発声や滑舌を練習するために、歌舞伎の外郎売 (ういろううり)の台詞を音読する。
そんな生活を2年間続け、自分の情熱や将来性を考えたときに
私は演劇向きではないなと思い、仕事一本に絞りました。
営業のイベント企画・運営にやりがいを感じていましたが、
もっと自分で生み出せる仕事がしたいと思って。
イベント用のチラシづくりに活かせるよう、デザイン学校に夜間に通い始めました。
その矢先におにぎりカフェの話がきたという感じです。
今思うと大胆な決断をしてきたなぁと思います。

――選択と決断を積み重ねてこられたのだなぁと感じました。
おにぎりカフェでの日々はどうでしたか。

川村:経営も接客も一人でゼロからのスタートでしたが、
ギャラリー展示や、食や芸術のイベントを開いて、
お店の認知度が上がり、色々なつながりができていました。
食について話し合う会を開き、飲食店さんや農家などの生産者の想いやこだわりを知る中で、
「伝え方を変えれば、その良さがもっと伝わるはず」と思うようになり、
「食」のコミュニティーづくりと発信という結屋の事業を始めようと決めました。
またに「結里子」という名前にあるように「結ぶ」というのは
自分にとって非常に大切だと感じたんです。

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――食のつながり、そして「伝えること」がキーワードになっていったのですね。
そこからどんな風に事業化を進めていかれたのでしょう。

川村:おにぎりカフェをやめてから1年ブランクがあったのですが、
その間に富士市の知り合いがやっている「まちづくりNPO」のお手伝いをしたり、
NPOグランドワーク三島が主催の、地域で活躍する人を増やす為の研修を受けたりしました。
「食を通じてのコミュニティーづくりをしたい」と計画書を出して、
採択され、支援金をいただいたことも、法人設立の後押しになりましたね。
事業内容のブラッシュアップのために相談にのってくれたメンターが、
たまたま社会起業大学の元学長で入学を勧めてくれて、結屋を立ち上げつつも半年間通うことになりました。

――社会起業大学に通われて、よかったことは何でしたか。

川村:自分の事業を支えるシンプルな動機(原体験)をつきつめて考える機会を
たくさんいただけたのがよかったですね。
ここがブレてしまうと、壁にぶつかったときに心が折れてしまう。
「何のためにこの事業をしたいのか?」を掘り下げたことで、
おにぎりカフェで出会った人たちから学んだ
「食」の尊さやつながりの大切さを伝えたいという根本の想いに立ち返ることができました。
あとは、一緒に学んだ仲間同士で、互いの事業プランの改善点を伝えあい、
全力で応援し合えたのは、貴重な経験でした。
今でも連絡とりあって、刺激をもらっていますね。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 18:32| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

自分らしい在り方(Being)を大事にするNPO file.65(後編)

★前編はこちら★

早苗さんには、full bloom を立ち上げる前の活動をインタビューで伺っているので、
今の時点で、「自分らしいなぁと感じる瞬間についてお聴きしたいなと。

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西尾早苗さん(以下、西尾):人の内面からの「こうありたい」という夢に対して、
「それは素晴らしい!」と感動し、相手に励ましの言葉をかける瞬間です。
感動と励ましを相手に伝えると、その人がさらに上を、遠くを、見て。
清々しく羽ばたこうとする。これが自分らしい瞬間だなぁって感じます。

ーー社会人向けのBeing Session では、早苗さんの言葉で勇気づけられた人は
すごく多かったんだろうなと思います。私もその一人。

では、代表の安井亜希さんに、新卒でリクルートに入社を決めた経緯についてお聴きしたいなと思います。
学生の頃は税理士を目指していたとお聞きしました。

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安井亜希さん(以下、安井):「20代のうちに挑戦する機会が豊富にある」というのが入社の動機です。
幼少期から入院や大きな手術をする経験があったことから、“命は有限である”という意識がとても高かったのかもしれません。 “リスクは高くても、誰かの人生に深く関われる仕事がしたい”と思っていました。
大学に入り、税理士とは、会社の命である“お金”を扱う仕事なのだと、その可能性を感じました。
父親が創業時、会計知識がないことによって税理士に頼っている姿を見て、
「父親を助けたい。そして父親のように頑張っている中小企業の社長を応援したい」と思い、税理士を目指したんです。
ですが学生時代に税理士事務所で働いていたとき、色んな壁にぶつかりました。
財務諸表を読み解けない。社長の気持ちに寄り添えない。
社会の中で必死にもがいて働いたこともない若僧に、何ができるんだと感じ、凹みました。試験には合格しましたが、このまま税理士になるのはやめようと決めました。
税理士を手放したことで、明確な「やりたいこと」がなくなった私は、
20代のうちに色んな経験を積み、自分の可能性を広げてみたいと思っていたのでしょう。
最後の決め手は、個性的な社員がたくさんいたことなのですが(笑)。

ーー入社されてからどうでしたか。

安井:中小企業の社長に多く出会って、彼らの価値観や課題を知りたいとの思いから
営業を希望していたのですが、まさかの人事部配属で。
でも、これだけ多くの人を見てきたリクルートが決めたんだから
人事に配属されたことには意味があるんだろうなと思いました。
実際、採用に関わる中で、学生さんの人生に関わるやりがいを感じるようになりました。
「あなたの命、どう使うの?」
学生たちにこの問いを投げかけるのは、
「生まれてきた意味を使い切って生きてほしい」という思いがあるから。
コーチングの勉強をする中で、特定の会社の人事ではなく
もう少しフラットな立場で関わりたいという気持ちが強まり、
しばらくはリクルートと並行してコーチをやっていました。
コーチングに出会ったときは正直、「嬉しさと悔しさ」の両方があったんです。
自分が大切だと思っていたことが、すでにこんなにも体系化されて汎用化されていた。
もちろん心強いけれど、最初は圧倒されましたね。
現在はコーチとfull bloom 、父の会社が主な活動のフィールドです。

ーー「あなたの命、どう使うの?」って、自分の心の声を聴こうと思える大事な問いですね。
もっとお一人ずつお話を深く聴いていきたいのですが、
今度はみなさんに、full bloom の活動をしている中で感じていることを、
お聴きしたいなと思います。

田村:やっぱり!と思ったのが、親とのあり方が、その人の生き方に
大きく影響を及ぼしているということ。
学生たちが自分自身と見つめ直すワークの中で、
自分を認める場面での判断基準が、親の見方を引きずっていることが多々あります。
親のリアクションを察して「こう考えた方がいいだろう」と無意識に思っている子とか。

西尾:Being Camp でみんなと過ごす時間は、一泊二日で40時間程度ですが、
これまで背負ってきた鎧を脱いで、自分を生きるようになった学生たちは
泣き出したり、キラキラした表情を見せたりと、本当に大きな変化を遂げるんです。
カウンセリングやコーチングなど、一対一で自分を掘り下げる場とはまた少し違って、
みんなが集まる「場で感じられるもの」があるのかなと思います。
参加者の感想で多く寄せられるのが
「私と同じような悩みをみんなも抱えているんだな」というもの。
特に家庭のことって普段は人と比べたり、自分の家庭を客観視したりすることはありません。
ですが、人生グラフ(人生のモチベーションの浮き沈みや転機をグラフに表したもの)を共有する中で、
親との関係を紐解いていき、楽になる場面が訪れるのかなと思います。

此下:「弱い自分も含めてすべてを安心してさらけ出せる場」が
世の中に予想以上に存在していないのだなと改めて思いました。
そんな中、full bloom で自分を出して、変わろうとする子たちを見ていると、
安心して自分を出せる場そのものが大切なんだなと感じますね。

安井:自分の人生を生きようと決めたときの、その人のエネルギーレベルはすごいです。
自分の人生の舵を自分で切り出すと、人生や社会の傍観者ではなく、当事者になる気がしています。
人からもらった言葉やきっかけで人は変化できるし、昨日とは違う自分になれる可能性があるんだなって。
そういうエネルギーは、絶対的な安心感がある場があって、
深く人と対話して自分をさらけ出して初めて生まれてくるのかなと思います。

ーープログラムに参加した学生たちが「また参加したい」とやってきたり、
スタッフとして関わり始めたりしているのがすごいなって思うのですが、
こんなにも引き寄せられていく理由って何だと思いますか。

安井:一番はfull bloom の理念や世界観に共感してくれているからでしょうね。
「フルブルがめっちゃ好きです!普段こういう話ができる場って少ないし」
という声をいただくことが多くて。
あとは、日常生活で自分らしくい続けることはなかなか難しいので、
定期的にフルブルに参加することで、いい状態を保ちやすくなるのかなと。

ーー最後に、今後挑戦したいことを教えてください。

安井:共感共鳴の力で活動の幅を広げて、より多くの人に“自分らしく生きる”、ための機会提供をすることです。大学や企業との提携や、共感し合う他団体とのコラボにも前向きに取り組もうと思っています。
full bloom の世界観は、私たちそして参加した人たちの想いの連鎖で広まっています。
ただ、プログラムを開発・提供するだけでなく、その価値を伝えていく活動にも
力を入れていきたいですね。
また、寄付の仕組みなど、支援者の力を借りる仕組みをつくることで、資金が限られているがゆえにブレーキがかかってしまうのを減らして、もっといいものを届けたい。
持続的にfull bloom の活動を続けていけるよう、工夫していきたいと思います。

☆☆☆☆☆

メンバーひとりひとりともっとお話したい。
そして、full bloom の魅力の一つは、人の可能性を心の底から信じ、
自分らしく生きることを見守っていくメンバーたちの魅力なのだということを日本中に発信したい。

そんな思いで胸がいっぱいになった時間だった。

メンバー各人のモチベーションの源や、人やキャリアが人生のテーマになった経緯が異なり、
その違った光がまじりあうからこそ、
このメンバーでしか創り得ない「場の空気・世界観」があるのだと思った。

色んな人の可能性を開花させていくfull bloom のイベント。
またもう一度参加できる日が今から楽しみでたまらない。
posted by メイリー at 00:25| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分らしい在り方(Being)を大事にするNPO file.65(前編)

「あなたは今、あなたの人生を生きていますか?」
ドキッとさせられる問いに、
一点の曇りもなくYesと答えられる人はどれだけいるだろうか。

「“自分らしさ”や“在り方(Being)”を大事に生きて欲しい」
そんな願いを、実現しようとしているNPO法人、full bloom。
学生から30歳までの若者に対し、Beingを大事に生きていく力を身につけていけるようなプログラムの開発・実践をされている。
教育×キャリアインタビューに登場していただいた西尾早苗さんから
full bloom のお話を伺って以来、ずっと気になる存在だった。

そのときの記事はこちら
一人一人の可能性を開花させるキャリアカウンセラー file.49(前編)

2015年3月14、15日に私はBeing Sessionに参加させていただいた。
Being Session とは、「Being Camp 〜自分らしさを仲間と探す2日間〜」という、
月1回、計13回開催してきた学生向けのプログラムを
社会人向けにアレンジしたものである。

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この素敵な場を多くの大学生・若手社会人に伝えたいという
兼ねてからの思いは、願いを越えて「確信」になった。
full bloom の理念や活動内容はHPFacebookをぜひ参照してほしい。

今回は、メンバーがfull bloom を立ち上げるまでに携わってきた仕事や活動と、
そこで何を感じてこられたのかを中心にお聴きし、
full bloom の活動の中で感じた想いを言葉にしていただいた。
メンバー紹介はこちら

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ーー今回は少しずつになってしまいますが、まずは此下友佳子さんから、
これまでの経験について、主にお仕事の面でお聴きしたいなと思います。
組織変革コンサルティングを主な事業とするリンクアンドモチベーションに新卒時に
入社しようと決めたきっかけって何でしたか。

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此下友佳子さん(以下、此下):きっかけは、会社の「ひとりひとりの本気がこの世界を熱くする」というメッセージに心を動かされたこと。
モチベーションという、自分を突き動かすものは本来非常に大切なものですが、
それが大切にされていない現実に何かアプローチできたらと思ったんです。
モチベーションは目に見えないし、人によって様々。
答えのないものをつくるのは大変だけれども楽しい。
今ではまた別の表現ができるかもしれませんが、
当時は「強い組織づくり」に携わりたいという気持ちが強くありました。
私の中での「強い組織」は、組織を構成する個人の夢と、組織のビジョンが重なっているイメージです。

また、この会社に入ろうという後押しになったのが『僕たちのマイルストーン』という採用の冊子でした。
各部署で活躍する社員ひとりひとりが、自分の今につながった原体験を赤裸々に語っていく内容で、
そこに綴られた色んな生き方にワクワクしたんです。
「パリには本物の絵を描く画家が多い」という好きな言葉があるのですが、
それはパリにいれば、本物の作品を見続けることができるから。
私も「本物」を見続けて、「本物」を見出せるようになれたらと思っています。

ーー人も組織も、「答えがないけれど本質的に大事なもの」に関わりたいという気持ちがあったのですね。

此下:元々、すでに形のある商品ではなく、無形のものを売りたいという思いがありました。
人や組織のコンサルティングは、コンサルタントの知識の多さだけでなく、
その人の意識、考え方という「心」の部分も重要なので、まさに「自分」で勝負しないといけない。
組織の中で、個人がどう束ねられて結果を出していくかを探究しながら、
ゼロから答えがないものをつくっていくプロセスに面白さを感じていました。

ーー現在は、full bloom の活動やコーチングなどをフリーランスという働き方でされているとのこと。
友佳子さんがフリーを選ばれたのはどんな理由からでしょうか。

此下:私の中で「組織」というものの定義が変わったのが大きいですね。
会社組織での決められた役割によるつながりよりも、フリーランスとして、
自分ならではの強みで人とつながっていくことの方が、今の私には合っていると感じました。
「強い組織づくり」を第三者ではなく直接担いたいとの思いから、一度転職したのですが、
組織という枠にはまらなくてはいけないという点に、少し窮屈さを感じていたんです。
フリーランスになってからは、自分を起点にして、色んな人とのつながりが円のように広がって、
広がり同士がつながっていく… そんな状態に変化してきました。

ーーフリーになられてからのお話はいつかもっと詳しくお聴きしたいです!
次は、田村篤史さんにお話を伺えたらと思います。
以前、京都移住計画の取材に同席させたいただいたときに自分事のテーマとして「キャリア、ローカル」を挙げていたのが印象的でした。
その理由をぜひお聴きしたいなと。

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田村篤史さん(以下、田村):キャリアやローカルのテーマが面白いというのに尽きるのですが、
「自由であること」が僕にとって大事だからだと思います。
例えばローカルのテーマだと東京で働いていたときは、通勤ラッシュから逃れられなかった。
改めて強く感じたのは、「もっと楽しくいられる状態を選びたい」という願望。
「ありたい環境」を自分で選び取びとる、
なければそれを自ら作り出せるライフスタイルを大事にしたいですね。
どんどん外へ広げていこう!というよりは、
自分の想いに共感して、「一緒にやれそう」と思いあえる仲間とやっていきたいという思いが強いです。

ーー自分で「ありたい環境」を選び取るといった価値観は、
いつ頃からもつようになったのでしょう。

田村:きっかけは、APU(立命館アジア太平洋大学)への一年間の留学でした。
当時の僕は「リサイクルビジネスをしたい」という妄想だけで、行動を伴っていなかった。
ですが、APUでは同年代の人が自分の思い描いていた夢をすでに形にしていて、
大きな衝撃を受けたんです。
APUには留学生がたくさんいるのですが、彼らの家電のリサイクルビジネスが実現されていた。
嫉妬心と、「自分にでもできるんじゃないか」という思いが生まれ、
「やっているとやっていない」の大きな差に気づいたんです。
形が小さくてもかっこよくなくてもいい。
そこでスイッチが入って、行動量が増えました。
NPO出資のカフェの経営や、フリーペーパーの制作、そして京都のベンチャー勤務。
東南アジアやインドなど海外を半年間放浪したこともありました。

ーー 一気に行動に移していかれたのですね。新卒で人材業界の会社を選ばれた理由は何でしたか。

田村:休学中にインターンしていたベンチャーでの経験が影響しています。
当時は人の入れ替わりが激しく、楽しそうに働いているとはとても言えない社員がいました。
「自分もまわりも楽しく働きたい」という思いから
社員へのヒアリングをして、会社の課題とその解決策を明らかにするというプロジェクトを社長に提案したんです。
結果をまとめたレポートは50枚くらいになりました。
今思うと理想論すぎるところもありますが、このプロジェクトで社内の雰囲気が良くなり、
辞めようと思っていた人が「もう少し働いてみるよ」と言ってくれたのは嬉しかったですね。
こうした経験が、人材への興味につながったのかなと。

ーー「人と人をつなぐのが本分」ともおっしゃっていましたが、この背景には何があるのでしょう。

田村:つなげる楽しさに気付いたのは、社会人になってシェアハウスを始めてからです。
例えばAとBという場をつなぐとしたら、
AとBの場を何となくでもいいから知っていることが必要になりますよね。
一カ所に留まるのではなく、色んな場に自分を置いて、見えてくる世界を広げていく。
それぞれの場で人とふれあう中で、目指す世界が近い人が見つかれば、
「こんな世界もあるんだけど、見てみたら?」と提案していきたいと思います。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 00:07| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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