2015年07月21日

「今・ここ」にしか生まれないハーモニーをつくる file.69(前編)

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星加武史さん。
リクルートにて飲食店や企業採用情報サイトの営業、
大学生向けキャリア支援事業の立ち上げを経験した後、
『人の可能性を最大限に引き出す』場づくりに興味を持ち、独立。
高校生や大学生、アスリートキャリア支援講座のコンテンツ設計・ファシリテーターを中心に、
野外活動などを通した幼少・青年期の人間力形成にも携わる。
趣味は、カメラ、ミュージカル俳優、合唱、ロードバイクと幅広い。

☆☆☆☆☆

――2013年夏にお願いした「教育×キャリアインタビュー」以来ですね。
あれから色々な変化があったかと思いますが、現在の活動を教えていただけますか。

星加武史さん(以下敬称略):現在は主に就活生や若手社会人向けのキャリア支援講座で
コンテンツ設計やファシリテーターを行いつつ、
企業研修講師や高校生向けのワークショップにも携わっています。
あとは、数年前に登山の魅力に目覚めてから、登山ガイドとカメラの仕事も始まりました。
あとはライフワークとして子どもたちとミュージカルに出演しました。

――多彩な活動をされているのですね!
色々お聴きしたいのですがまずはカメラのお話を聞いていいですか。

星加:2年前までカメラは趣味だったんです。
ですが、戸高雅史さんという登山家の方と一緒に子どもキャンプに行って写真を撮っていたら、
親御さんたちが「うちの子がこんな表情するんだ…!」と非常に喜んでくださって。
それ以来、フォトグラファーも兼ねてキャンプや登山の引率をしてほしいという
依頼が増えてきました。
まだプチプロという感じですが、子どもたちが生き生きした瞬間をとらえようと思っています。

――いい瞬間をとらえるために心がけていることって何でしょう。

星加:「この表情を撮りたい」と思った瞬間にシャッターを切るに尽きるのですが、
カメラって撮影する人の無意識の部分も映し出すんですよ。
後で写真を見て「なぜこんなのが写ったんだろう?」って感じることありませんか。
あれは自分の無意識が注目したものが投影されているんです。

カメラも場づくりも「相手(被写体)が気づいていない良いところを引き出す」
という意味で、似ているなぁと思います。
例えばキャリア支援のワークショップでも、その場に参加している人や全体の変化をキャッチして、
「なんだかクラス全体が明るくなってきたね」、
「さっきより○○さん、いい表情してる」などと伝えるようにしています。

――カメラと場づくりにそんな共通項があるのですね。
就活生向け講座でファシリテーターをしていて、普段どんな風に感じていますか。

星加:僕が出会う就活生の約9割はこれまでレールに乗っかってきた子という印象です。
大学生までは、それで何とかやれますが、就活で突然自ら道をつくらざるを得なくなります。
ただ、逃げ場がないときだからこそ、彼らにとっては自分と深く向き合うチャンスなんです。

事前に彼らの状況を想像しながら、どうやったら自分の可能性に気づけるだろう、
自分に自信が持てる時間になるだろう、と
プログラムの設計を考えているときはすごく楽しいですね。
ですが、時には、講座の現場を見て、構想を全部手放すこともあります。
学生のその瞬間の状態によって必要なものが違うし、
参加者のニーズを遮ってこちらがやりたいようにやっても、つまらない場にしかならない。
例えば「元々コミュニケーションの質の深め方をテーマにするつもりだったんだけど
みんなの様子を見ているとコミュニケーションの数の増やし方に意識が向いてるみたいだね。どうする?」
と彼らに尋ねて、やる内容を決めてもらうんです。
用意してきたものを全て捨てるのも面白いですよ(笑)

ファシリテーターの自分が触媒になって、人を元気にする空間を生み出すのは
何度やっても楽しいなぁと感じます。

――当日現場に行って内容を変えることもあるとは…!
ワークの引き出しをたくさんもっている星加さんだから可能なのでしょうね。
いい講座やワークショップの条件って何でしょう。

星加:前に立つファシリテーターのあり方と、プログラムのコンテンツ、
そして受講者の状態がピタッと一致するときでしょうか。
特にファシリテーター自身の想いや願いがあるかどうかは大事ですね。
企業研修の場合なら、企業のトップや人事など、
受講者を取り巻く関係者たちの意向とどう噛み合わせるかという視点も大事になってきます。

――研修がうまくいかないときってありましたか。そんなときはどう浮上しているのでしょう。

星加:うまくいかないときはめちゃくちゃいっぱいありましたよ〜。
でも、その二度とない空間を最高のものにしたい、という気持ちが強いんです。
だから、そうならなかったときは、悔しくて悔しくて。
僕って普段は適当でいいかげんな人間なんですが(笑)、
キャリア支援においては100%のものを提供することにこだわっています。
そうしないと後悔します。
自分が関わった人が、自分に自信を取り戻し、
目をキラキラさせて次のステージに向かっていけるかどうか、がかかっていますから。
その責任を背負っているプレッシャーは大きいです。
でも、その瞬間に立ち会えるのは、仕事冥利につきます。

――今のお仕事は星加さんにとっての天職なのでしょうね。
ファシリテーターをしていて、一番つらいときってどんな場面でしたか。

星加:ファシリテーターや仕事に限らず日常もですが、自分の心に素直になれないときですね。
何かをうまくやったつもりでも、心がしっくりきていない。しかも理由がわからない。
心に素直に生きられるようになったのはついこの4, 5年なんですよ。

――つい4, 5年ですか。

星加:そう。31、32歳頃までは「自分がやりたいことって何だろう?」
「どの分野でスペシャリストを目指せばいいのか?」と試行錯誤の日々でしたから。
リクルート時代も、入社当時はバリバリの営業マンになろうと意気込んでいたのに
結果がついてこなくて悩んだ時期もありました。
リクルートを辞めた後も、モヤモヤした時期が続きました。
ファシリテーターの仕事をやりながら、
小学生向けの塾で国語を教えていたのですが、しっくりこない。
子どもたちと接するのは好きなので、一時期は小学校の先生を目指して専門の勉強をしていましたが、
結局続きませんでした。

そんなときキャリアフラッグの代表である
熊澤に「キャリア支援を手伝ってくれないか」と声をかけてもらったのが、大きな転機となりました。
学生時代に知り合った友人なのですが、何かご縁を感じて即座にOKしました。
これを契機に、いい循環に入っていきましたね。
気がついたら、目の前の仕事に没頭していました。
遠くに探し求めていた「目指すもの」が、実は、「今」からしか生まれないんだなって。
よく聞く言葉ですが、本当にそれを実感しました。

「夢をもたなきゃ」って言う学生が多いのですが、なくてもいいんですよ。
ある程度方向性を決めておけば、偶然の出来事やご縁を通して、自分の道が見つかっていきます。
それよりも「今、ここ」での経験を味わい尽くすことが大切。
前に進むばかりでなく、悩んでしゃがんだり、何歩も下がるときがあってもかまわないんです。
僕自身、今の自分があるのは、もやもやしながらも
20代から30代前半に経験を積み重ねたことが大きかったです。

目の前のことに本気でぶつかって、悩んで、そこから感じることを大切にするしかないですね。
posted by メイリー at 00:41| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

デジタルマーケティングの最前線を切り拓く経営者 file.68

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小寺玲央さん。
料理界のハーバードと名高い「カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ」で
西洋料理を学んだあと、京都の料亭で板前として腕を磨き、
釣具メーカーの海外営業職、専門商社の取締役勤務を経験する。
2015年春から、企業のデジタルマーケティングを専門とする
Pierry Software日本支店を京都の地に立ち上げた。

料理の世界から起業家へ。
異色のキャリアを持つ彼の生き方を知りたくて、京都のオフィスの戸をたたいた。
彼の挑戦に込められた思いとはいったい何なのだろうか?

☆☆☆☆☆

――板前をされていたと聞いて非常に驚いたのですが、
カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカへの進学を決めた理由は何でしたか。

小寺玲央さん(以下、小寺):将来グローバルな仕事をしたいと思い、
ボストン大学内の語学学校で1年間英語を学んでいたんです。
そのあいだに、ホスピタリティ系のキャリアに興味を持ち、
レストラン・ホテルを専門とするカリナリーインスティトュートオブアメリカに進学しました。
フランス料理をベースに、サービスや世界各国の調理法を学ぶ日々でした。

在学中に新しい文化に触れようとヨーロッパを旅して、
印象に残ったのは、フランス人もイタリア人も、自国の食材を愛し、
自国の料理に誇りを持っているということ。
そこで、自分自身が日本文化や地元京都の料理のことを
何も知らないということに気がついたんです。
新卒のときには地元京都にある料亭に板前として就職しました。

――板前としての日々はどうでしたか。

小寺:朝3時から仕込みを始めて夜中まで働く日もあり、
十代で板前の世界に入った子が途中で倒れてしまうような過酷な環境でした。
当時23歳だった自分は「もし自分がいなかったら仲間に迷惑をかけてしまう」という責任からか、逃げ出そうと思ったことはなかったですね。

ここでの学びは、仕事への姿勢の原点になっています。
「物事には段取りが必要」だと学んだのも、料亭でした。
お客様の特別な日の感動をピークに持っていくために
最高のタイミングで、料理をお出しできるようにするのが私たちの役割です。
そのためには「今の自分の仕事が、誰の、何のためにあるのか」を問い続けなくてはいけない。
また、日本料理の修行を通じて、日本文化を深く知れたのは大きな収穫でした。

――どんなに過酷な日々でも、「仲間のために」という思いが強くあったのですね。
板前を経験されて、日本文化への見方は変わりましたか。

小寺:日本料理は、他国の料理と比べて、心遣いの細かさが違います。
例えば、茶道をルーツに持つ懐石料理の世界では、
箸の先に食べ物がくっつかないように箸を湿らせておく「湿り箸」というおもてなしがあります。
これは「あなたが召し上がる直前まで箸のことも気にかけている」というメッセージなんです。
西欧だと、肉が傷んだら胡椒をかけるというふうに、「何かを加える」のが一般的ですが、
一方、日本料理だと、魚にさっと湯をかける「湯引き」によって、
臭みを取り、素材の美味しさを引き立てます。
こんにゃくも、灰汁(あく)抜きによって臭いをとります。
加えるのではなく引き算で「いいところを残す」という考え方です。
「炊き合わせ」も、それぞれの食材の持ち味を生かすために別々の鍋で煮ます。

この考え方を企業活動に取り入れると、
人間も「いいところ」を引き出してブラッシュアップすればいい。
「本質」を残して、シンプルを目指すという日本の発想は、アップルの商品など
他国にも影響を与えています。
この「本質」へのこだわりは、デジタルマーケティングの起点になっています。
私たちのサービスでも、「本当の顧客は誰なのか?」を見極めることが重要です。
最適な人に最適なメッセージを届けることでユーザーも企業も幸せになるという
本質的な問題解決を目指していきたいと思っています。

――日本料理の考え方ってこんなに奥深いのですね。
「本質を残す」という考えは、デジタルマーケティングにも通じるとは驚きです。
料理はもともと好きだったのですか。

小寺:幼少期にアメリカにいたことがあり、旅が好きで、
世界に出たいという思いがずっとありました。
なかでも料理を追究しようと決めたきっかけは、アメリカの料理があまり口に合わず
自分でつくったほうが美味しいと感じたこと。
「もっと良い味にするには?」と研究するプロセスが楽しくなってきたんです。
家族や友人も私のつくったものを美味しそうに食べてくれるのを見て、
料理を専門的に学んで、人を喜ばせたいという気持ちが強まりました。
食べるとなくなってしまう儚さがいいんですよね。
板前として経験を積んだあとは、グローバルに働くという当初の目標のため、
釣具メーカーの海外営業職へ転職し、その後、さらに商社へ転職しました。

――商社時代にビジネススクールでMBAをとろうと思った理由は何でしたか。

小寺:MBAに興味をもったのは、料亭で働いていたころ、
アメリカで起業した親戚に勧められたのがきっかけでした。
「職人であっても、自分の商品を広くお客様に届けるには、
経営手法を知っておかないとダメ」というのが印象的でした。
その後、海外の取引先のトップとも対談をする機会が多くなるなかで、
経営者の視点をもっと知りたいと思うようになったんです。
この頃には、いつか自分自身が経営者になりたいと思い始めていました。

――そこからPierry Software日本支店の立ち上げに携わろうと決めたのは
どんな経緯があったのでしょう。

小寺:学生時代からの知人である本社社長のジョシュ・ピアリが、
7年前カリフォルニアでPierry Softwareの前身となる会社を起業していました。
商社にいた私は、商談でジョシュのオフィスを訪問するたびに、
最初数名だった従業員が60名程度にまで増えて、活気が増していくのを目の当たりにし、
急成長の秘訣が気になって仕方なかった。
彼の事業内容を深く聞いていくうちに、デジタルマーケティングに興味を持ち始めました。
そして、彼らのハイレベルで丁寧なデジタルマーケティングの総合サービスを日本で提供すれば、多くの中小企業の悩みを解決できるはず。
初期導入のコストという障壁がこれまではありましたが、
Pierry Softwareは、顧客が利益を出してからコストが発生するため、
企業の導入の敷居を下げることができます。
こうした話をするうちに、日本進出を一緒に実現させようと意気投合し、今にいたります。

――彼らのサービスを日本で実現させる意義を強く感じられたのですね!
京都に拠点を置いたのはなぜですか。

小寺:ジョシュが学生時代に京都に留学していたことや、私が元々京都出身ということもあり、京都への思い入れはありますが、京都は地理的に日本の中心にあるので、
この地をベースに全国へサービス展開をしていきたいですね。

――小寺さんはどんな会社をつくっていきたいとお考えですか。

小寺:本社のDNAでもありますが、社員本社のDNAでもありますが、みんなが協力し、自由闊達に議論できるようなフラットな会社にしたいと思っています。
問題解決は一人ではできません。
日本はもちろん他のアジア諸国や東南アジアも視野に入れて、
デジタルマーケティングで課題解決を手伝える潜在顧客に
私たちのサービスを提供し、メッセージのインフラにしていきたいですね。

もう一つ大事なのは、「家族と過ごす時間」をちゃんと持てる社風を築いていくこと。
Pierry Softwareのサービスの価値もさることながら、
「家族を大切にする」という理念にも強く共感しているんです。
仕事の時間に成果を出し、それ以外は家族と過ごす時間でリフレッシュしてほしいというのが、ジョシュの考え方です。
現に夕方5時にはほとんどの社員が退社していました。
私は、ちょうど子どもが生まれたばかりなのですが、社員一人一人が、家族や友人といった身近な人たちを幸せにできる会社を目指していきたいですね。

――それは素晴らしい理念ですね。小寺さんがこれまで影響を受けた本は何ですか。

小寺:インパクトがあったのは『トータルリーダーシップ』という本です。
これまでリーダーは、組織を引っ張っていくイメージでしたが、
この本によると、真のリーダーは人生の四つの領域(仕事、家庭、コミュニティ、自分自身)をリードしていき、人生の豊かさを得ていくと言います。
私たちが目指す姿と非常に近いものを感じました。

――最後に、グローバルに活躍するために必要なマインドについて教えてください。

小寺:日本でも海外でも「関わる人をどこまで理解し尊重するか」がキーだと思います。
結局、どんな課題も「人」の問題に落ち着きます。
文化の違いや、自分の常識では理解できないことがあっても、
どれだけ相手に真摯に向き合えるかが重要です。
外国語が流暢でなくても、親身になってくれる人のほうが信頼を勝ち得ますから。

☆☆☆☆☆

海外で西洋料理の専門性を身につけ、板前として修業を積んでいたころから
経営者の道を進む現在まで、
彼の生き方を貫く「背骨」に、心を動かされずにいられなかった。

板前時代に発揮された「仲間想い」なところ、そして責任感の強さは、
家族や友人、そして社員を大事にするという姿勢にもつながっているのだろう。

目指す世界はグローバルな市場。
その一方で、目の前の相手と真摯に向き合い、課題を解決することによって
小さな信頼を確実に積み上げていく。
広い視野と、日本料理の心ともいえる「繊細な気配り」を
バランスよく持ち合わせている小寺さん。
彼の生き方こそ、「グローバル」と「ローカル」を掛け合わせた
「グローカル」を体現しているのではないだろうか。

アメリカの最先端のデジタルマーケティングの知見を、
日本の中小企業に、そしてアジア全体へと広めていく。
そんな彼の挑戦の旅を、今後もずっと見続けていきたい。
posted by メイリー at 21:41| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

多様な教育に橋をかけるファシリテーター file.67(後編)

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☆前編はこちら☆

――コアプラスの活動から「自己肯定感」を大事にする雰囲気を強く感じるのですが、
武田さんご自身の「自己肯定感」を生み出した根っこには何があるとお考えですか。

武田:高校時代にお世話になった先生によると、
自尊感情と自己肯定感の2種類があるようです。
自尊感情は3歳までに親子のコミュニケーションの中で決まる。
一方、自己肯定感は色んな経験をする中で培われていく。
幸運にも、両親や近所に住んでいた祖父母、親戚、地域の人たちのおかげで
自尊感情は高く保てています。
言葉でも体でも愛情をめいいっぱい表現してくれた母の影響は絶大ですね。

ですが、私は自己肯定感はあまり高くないことに最近気づいたんです。
地域でも学校でも優等生で通っていたし、
人権サークルで活発に活動することで承認され、褒められることで自己肯定していた。
それって条件付きの承認ですよね。
だから、「社会的な活動をやめたとしたら、私には何が残るんだろう?」という怖さはありますね。
今の活動や肩書をすべてはぎ取った自分にOKを出せるのかと。
幸い、周囲の人との交流の中で、ありのままの自分に少しずつ自信を持てるようになってきたところですね。


――自分を無条件で承認できる「自己肯定感」は
もしかしたら時間をかけて育てていくものなのかもしれませんね。
今度は、コアプラスの活動の中で感じるやりがいと、課題に感じていることを
それぞれ教えてください。

武田:今、コアプラスは変化の時期を迎えています。
少数の理事たちと意思決定も実働もやってきた状態から
コアプラスの歴史を知らないメンバーも増えてきた状態へと変化している。
新メンバーが新しい風を吹かせてくれる一方で、
これまで説明不要だったこともきちんと言葉にしていく必要が出てきて、
意思決定のしくみも整備していきたいなと思っています。

多様性が活かされている状態に完成形はなくて、常に対話をしながら
創り続けていくものだと思っているんです。
そのプロセスの中で対立やすれ違いはもちろん起こるし、
「私も引っ張るから、みんなも自分の「こうしたい」という方向に
引っ張っていってほしいという思いがありますね。

コアプラスって、ビジョンもミッションも
「しっくりこない」と感じたら、みんなで「よりしっくりくる言葉」に変えていくんです。
「多様性が認められる社会を目指す」という方向性にブレはないけれど
「そもそも多様性とは何か?」の部分を固定化せず、
今いるメンバーで考え続けることが大切だと考えています。

コアプラスを、今のメンバーたちも私も育っていけるコミュニティーにしていきたいですね。
一番のコンセプトは、「自分たちの学びの場を自分たちでつくる」ということ。
誰かがつくった研修に参加するよりも、自分たちで研修をつくる方がはるかに勉強になりますから。


――これまで日本国内だけでなく、
オランダやデンマークへと海外へのフィールドスタディーも行われていますが、
武田さんがファシリテーターとして心がけていることは何ですか?

武田:フィールドスタディーでは、参加者一人一人が、「自分の当たり前」の外側にふれて
葛藤や揺れを体験するところに立ち会える楽しさを毎回感じています。
ファシリテーションで心がけているのは、教育観の違う現場をあえて複数回るようにしていること。
大事なのは、訪問先で見聞したものを鏡にして、
自分はどんな教育をしたいのか、学びとは何かという根本を振り返ることなんです。

日常に身を置いている場とは違う教育にふれると、賛成するときもあればモヤモヤするときもある。
振り返りのダイアログの場では、表現しづらいモヤモヤを感じていそうな人に
前もって「どうでした?」と聞いて、その内容を言語化しておいてもらうと、
リフレクションが進みやすくなります。
海外でも日本でも、教育現場それぞれの特徴とともに、
その現場に立ち会ったときに予想される反論や対立の論点を予め想定しておくんです。
何かに向き合ったとき、共感よりは違和感のほうが学びの起爆剤になると思っているので。

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――フィールドスタディーツアーづくりのプロフェッショナルですね。
最後に、今後挑戦したいことを教えていただけますか。

武田:今考えているのは二つあります。
一つは海外のフィールドスタディーを増やしていき、
コーディネーターの依頼ももっと舞い込んでくるようにすることです。
二つ目は、今のコアプラスの事業をわかりやすく統合、整理して、
educator's cafe, educator's labo, educator's schoolをあわせて
educator's communityへと発展させていくこと。
やりたいことを持続可能的にやっていけて、
メンバーが心の余裕をもてるようなコアプラスにしたいと思います。

☆☆☆☆☆

自分の心と社会をまっすぐ見つめられる人。

ピースボートの経験で生まれた「自分の頭で考え、表現する大切さ」という課題意識。
そして、多様な教育観にふれ、それぞれを尊重しながら、
風の人と土の人をつなぐ架け橋となって、よりよい教育をつくり出していく情熱。

「肩書きに左右されない自分」と、変革の途上にあるコアプラスの課題と向き合い、
それを言葉にすることを臆さない強さに彼女のエネルギーの源を感じた。

コアプラスの可能性がさらに花開くお手伝いをしたい。
お話を伺うなかで、この思いが強く心に芽生えた。
教育という、すべての人の人生から切り離せないテーマの深遠さを
つきつけられる大事なひとときだった。
posted by メイリー at 22:25| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

多様な教育に橋をかけるファシリテーター file.67(前編)

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一般社団法人コアプラスの代表理事をされている武田緑さん。
小学校教員と、教育やまちづくりについての研修プログラムづくりの担当者を経て、
現在はコアプラスの事業の中心を担っている。
ファシリテーターとして、「一人ひとりが活かされ、よりよい状況を生み出すための仕事」を目指す彼女の「生き方と想い」に迫った。

☆☆☆☆☆

――コアプラスを始めたきっかけとなる体験や問題意識について教えていただけますか。

武田緑さん(以下、武田):自分が受けてきた教育に対して共感したところと、
後々考えて疑問だったところが、コアプラス立ちあげの出発点です。
大きな転機になったのは、19歳のときに参加したピースボートでの世界一周。
乗客は日本人がほとんどですが、
多国籍のスタッフやクルーに囲まれ、旅の途中で水先案内人となるゲストが乗り降りして
色々なワークショップが開かれます。
そして参加者同士でディスカッションが行われる。
例えば、中国や台湾の人たちと教科書問題や戦後補償の問題について話すこともあれば、
環境活動家のカナダ人が捕鯨問題について話をしたら
日本人が「鯨を食するのは日本の食文化」だと反発しました。
学べば学ぶほど、わからないことが増えていき、
必死に考えて、自分なりの考えを、自分の言葉にできたときの解放感を味わいました。
学ぶことって世界とつながっていき、自分が自由になることなんだなと。

これまで私はしっかりと自分の意見を持っているほうだと感じていましたが、
自分の意見を発表して、おっちゃんから生まれて初めて反論されたときに
「自分自身の意見だと思っていたものは、親や先生の受け売りだったんだ」と
大きな衝撃を受けました。
受け売りの意見って、少し反論されただけで脆く崩れ落ちてしまう。
自分で情報を集めて掘り下げていった意見でないと役に立たないと思いました。
ピースボートでのインパクトがあまりにも大きすぎて、
「これまで受けていた教育を変えなきゃ」という強い思いが芽生えたんです。

――その後の人生に大きな影響を及ぼす出来事だったのですね。
ピースボートに乗ろうと思ったきっかけは何でしたか。

武田:元々、国際系の科目が充実している高校に通っており、海外に興味があったんです。
直接的なきっかけは、18歳で人生最大の失恋をした相手がピースボートに乗っていたこと(笑)
当時の私にとって刺激的で尊敬する人でしたし、ピースボートの経験者が身近にいたことで、船に乗ることが現実的な選択肢になったんです。
ちょうど前向きに大学生活のスタートを切ることができず、
気持ちを切り替えるためにも「学外で何かしよう」と思い立ち、
ピースボートのボランティアセンターに1回生の5月に通い始め、船に乗ったのが10月でした。

――実行に移すまでスピーディーですね。その行動力は昔からですか?

武田:生徒会役員や行事のリーダーをしていたりと、行動力がなかったわけではないですが
周囲の大人から勧められた上での挑戦が多かったんです。
ピースボートは初めて自分自身で下した大きな決断だったといえます。
勢いって大事ですね。

――ご自身の価値観や生き方に影響を与えた人との出会いについて教えていただけますか。

武田:ピースボートで最後に講演をしてくださった脱原発の活動をされている
田中優さんとの出会いは大きなインパクトがありました。
「生き方も仕事も、自分がいいと思うものがなければ
今存在している型にはまらなくても、自分でつくるという選択肢もあるよ」と述べておられて、
腑に落ちましたし、精神的な自由が広がっていく感じがしました。

田中さんの言葉でもう一つ印象の残ったものがあります。
それは「人には、『風の人』と『土の人』の2種類がいる」というもの。
「風の人」は新しいものを取り入れ、色々な場をめぐっていく。
「土の人」は一つの場所で1つのテーマ・問題を掘り下げていく。
往々にして、風の人は土の人に対し「視野が狭くて、古くさい」と感じる一方で、
土の人は、「風の人は流行を追いかけて、地道さが足りない」と感じて、互いに溝ができやすい。
ですが、両者が手を取り合ったときに、風土が生まれ、
それで初めて社会が変わり始めるのだと田中さんはおっしゃったんです。

――「風の人」と「土の人」両方が欠けてはならない存在なのですね。

武田:私はこれまで同和地区の地域コミュニティーという、
「土の人」に囲まれた生活をしてきました。
地域のテーマとしての同和問題と向き合ってきましたが、その限界も感じていたんです。
私自身は「風の人」と過ごすほうが楽なのですが、
今意識しているのは、風の人と土の人の橋渡しをするのが私の役割だということ。

コアプラスを本格的に始める3年前は、
自分が育った土的なコミュニティーからなかなか認めてもらえず、
かといって愛着やこだわりがあって離れらない葛藤を抱いていましたが、
それなら、風の人と土の人がお互いにわかりあい、役割分担できるように、
両方の人と話ができる人になろうと決めたんです。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 21:41| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

「食」を中心に地域の良さを発信し、縁を「結ぶ」人 file.66(後編)

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☆前編はこちら☆

――川村さんがそうした動機を抱くようになった具体的なエピソードはありますか。

川村:何か一つの大きなきっかけがあったわけではありませんが、
農家の方から「俺の畑を見にこいよ」と言われ、生産現場を直接見れたことや
生産者の想いを生で聴けたことの積み重ねが、
私の原体験になっているんだと思います。
若い農家の方が「俺は将来、この土地をしょって生きる。
地域の農業の課題に向き合いながら、食の生産現場を担っていきたい」などと
真剣に語る姿に心を動かされました。

――「俺の畑を見にこいよ」と言われるほどの信頼関係を作れるのは
なかなか誰にでもできることではないと思ったのですが、よくそう言われませんか。

川村:めげずに攻めていったのがよかったのかもしれません。
箱根ファーマーズカントリーの方々にも
何度も会いたいとお願いしていたら、最初はうやむやにされていましたが、
私の本気が伝わったのか会うチャンスを作ってくださり、
次第に、定期的に飲み会に呼んでもらったり
イベントに参加させてもらったりと関係性ができていきました。
結屋の事業として、野菜ジェラートの企画販売という形で
共同で事業が出来たことも非常にありがたいですね。

――私だったらめげていると思うのですが…!

川村:未知の土地でゼロベースで始めたので、失うものはないですし、
動いたら動くだけプラスになるんですよ。
猪突猛進で動いていたこの時期が、今も続く大切なつながりをつくってくれた。
三島の飲食店に食べに行って、「こういうことを知りたいんです」と言うと、
その関係者を紹介していただいて、すぐにそこに赴いた。
これが三島バルの基盤にもなっています。

バルの出店は最初45店舗で、6回目となる昨秋は119店舗へ。
第1回の開催の時は「この企画をやるしかない」と腹をくくり、
手書きの企画書をもって三島の飲食店を100店舗ほど開拓しましたね。
「いきなりこられても困る」と突き返されたこともあるし
情報伝達でトラブルもありました。
そんな手探りのなかで開催した第1回目でしたが、
来場者は約1000名と、予想以上に多くのお客さんが来てくれたんです。
「昔のにぎわいが戻ってきたみたい」と喜ぶお店の方を見ると、苦労が報われましたね。
第6回の現在では、約3300名の方が参加下さっています。

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――新しい企画を立ち上げることと、それを継続させること。
両者においては求められるものが違うと思いますが、川村さんはどう感じますか。

川村:立ち上げ時は想いがあれば瞬発力と勢いでいけますが、
継続させるためには、内容をブラッシュアップしつつ、仕組みづくりも必要になるので
後者の方が大変だなと感じています。
出店してくださる店舗の方々にも来場者にも満足してもらえるような工夫を続けていきたいですね。

ーー大変な状況も乗り越えられる原動力は何でしょうか。

川村:地域の人たちのおかげで成長できたので、恩返しをしたいという思いが根っこにあります。
身近な人が喜んでくれる顔が見られる。
そして「三島っていいね」と思う人が増えていき、「いいね」の連鎖が生まれていく。
こうした小さな幸せの積み重ねが私の原動力になっています。
悩むこともありますが、着実に行動を続けて、
もっと三島をよくしていきたいと思っています。

――結婚されてから、考え方に変化はありましたか。

川村:事業のための時間と家族と過ごす時間とのバランスについて考えるようになりましたね。
以前は自由に動けて、夜12時から飲食店で打ち合わせなんてこともありました(笑)
多少の葛藤はありますが、「自分の時間ももちなよ」と気遣ってくれる夫の存在は貴重ですし、
二人の時間も大事にしていきたいですね。
だから今は、自分の行動において、「引き算」が大事だなと思っています。
捨てることを決める時期というか。
先日ある方の講演で「100人の女性がいたら100通りの働き方がある」とありましたが、その通りだなと。
他の人の事例はあくまで参考材料であって、
最後に決めるのはやっぱり自分自身だなと思います。

――個人的に共感するところがたくさんあります。
最後に、これから挑戦したいこと、将来の夢をきかせてください

川村:地域の食のよさを伝えるしくみづくりに力を入れていきたいですね。
三島バルや情報発信にくわえ、飲食店を始めたいと思っている人が学べる場など
この地域の食や文化の豊かさを次世代に伝えていける一連の流れを生み出せないかなと。
まだ構想段階ですが、飲食店や農家が生み出す味や体験を一つずつ掘り起こしていきたいですね。

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見知らぬ土地でも自ら道を切り開くバイタリティ。
そして、着実な一歩一歩が生み出す変化を大事にできる感性。
この両方を持った方だと思った。

地域の人たちが喜ぶ顔を見たい、食の良さを伝えて恩返しをしたい。

彼女の内なる炎は、周囲の人たちの情熱にも火をともし、
協力者や応援者を増やしていくのだろう。

ただ突き進むだけではなく、自分の本当に大事にしたいものを見つめ、
「引き算」を考える時間の大切さをも教えてくださった。

2015年秋にも開催される三島バルにはぜひ参加したい。
そして彼女の構想が形になっていくのを見続けていたい。
そんな思いでいっぱいになった。
ラベル:地域活性
posted by メイリー at 18:47| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする