2015年05月10日

「食」を中心に地域の良さを発信し、縁を「結ぶ」人 file.66(前編)

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株式会社結屋(むすびや)の代表をされている川村結里子さん。
はしご酒イベント「三島バル」の運営や、
箱根ファーマーズカントリー俺っちの野菜ジェラートの企画販売など、「食」を中心としたコミュニティー事業を展開している。

伊豆高原に拠点を置き、伊豆の活性化にも携わっている、
私の尊敬しているキャリアカウンセラーの方から、
「三島にこんな素晴らしい活動をしているバイタリティあふれる女性がいるよ」
と教えていただいた。

静岡県三島市に住んでいる私は、彼女のFacebookでの発信を読みながら、
「食に関わる人たちをつなげて、飲食店や農家などの生産者の良さを伝えていく」という彼女のミッションに迫りたいという思いが強まり、インタビューの機会をいただいた。

☆☆☆☆☆

――株式会社結屋を立ち上げるまでの経緯をお聞かせいただけますか。

川村結里子さん(以下、川村):2009年3月から、生まれ育った東京を離れて三島市に移り住み、
おにぎりカフェの店長になりました。
三島にある母の生家をリノベーションしたカフェの運営をお願いしていた人が急遽やめるということで、
運営を引き継がなくてはいけなくなって。
ちょうど、勤めていた住宅メーカーを辞めて一区切りつけようかというタイミングで、挑戦することに決めました。
未知の土地で、知り合いもほとんどいない中でのスタート。
まずは知り合いをつくろうと、ふるさとガイドの会など、三島のボランティアにいろいろ参加しました。
色々と顔を出すうちに、商工会議所の青年部に声を掛けてもらい、
知り合いが増え、カフェも知ってもらえるようになりました。
がつがつ行動する若い女性が珍しかったのかもしれませんね。

彼らと接していて感じたのは、「三島が好き」という思いの強さ。
東京で暮らしていたときの「隣人の顔も知らない」という状況と対照的でした。
「地域のコミュニティー」という概念を教えてくれた三島に
恩返しをしたいなという気持ちが芽生えたことが
2011年3月に株式会社結屋(むすびや)の立ち上げにつながりました。

――すごい行動力ですね! 新しいことに挑戦していくのは、子どものころからでしょうか。

川村:小さいころは内向的で、漫画を描くなど一人で作業するのが好きな子でした。
親の管理が厳しく、自分から挑戦していくというのはほとんどなくて。
ですが、親の管理から離れた大学時代にスイッチが入ったのか、
自分で決めて動くようになりましたね。
学科が建築系だったので美術館や展示にどんどん足を運びました。
インカレの弓道部を探し出して入部し、これまで接したことのない人たちと
交流できたのはよかったなと思います。

――建築を専門にされていたのですね。建築に興味があったのですか。

川村:実家が設備会社で、親から「建築方面に行ったらいいんじゃない」と勧められました。
結果的には2級建築士の資格もとれたし、後悔はしていませんが、
強くこれをやりたいというのは当時なかったですね。
就活では住宅メーカーに内定をもらいました。
ところが、これまで自分の気持ちを抑えていた反動からか、
社会人になるタイミングで、ずっと憧れていた演劇の世界に飛び込んだんです。

――演劇ですか。大きな決断をされたのですね!

川村:住宅メーカーで働きながら、夜に演劇学校に通っていました。
休み時間に屋上で発声練習をし、
帰りに公園で発声や滑舌を練習するために、歌舞伎の外郎売 (ういろううり)の台詞を音読する。
そんな生活を2年間続け、自分の情熱や将来性を考えたときに
私は演劇向きではないなと思い、仕事一本に絞りました。
営業のイベント企画・運営にやりがいを感じていましたが、
もっと自分で生み出せる仕事がしたいと思って。
イベント用のチラシづくりに活かせるよう、デザイン学校に夜間に通い始めました。
その矢先におにぎりカフェの話がきたという感じです。
今思うと大胆な決断をしてきたなぁと思います。

――選択と決断を積み重ねてこられたのだなぁと感じました。
おにぎりカフェでの日々はどうでしたか。

川村:経営も接客も一人でゼロからのスタートでしたが、
ギャラリー展示や、食や芸術のイベントを開いて、
お店の認知度が上がり、色々なつながりができていました。
食について話し合う会を開き、飲食店さんや農家などの生産者の想いやこだわりを知る中で、
「伝え方を変えれば、その良さがもっと伝わるはず」と思うようになり、
「食」のコミュニティーづくりと発信という結屋の事業を始めようと決めました。
またに「結里子」という名前にあるように「結ぶ」というのは
自分にとって非常に大切だと感じたんです。

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――食のつながり、そして「伝えること」がキーワードになっていったのですね。
そこからどんな風に事業化を進めていかれたのでしょう。

川村:おにぎりカフェをやめてから1年ブランクがあったのですが、
その間に富士市の知り合いがやっている「まちづくりNPO」のお手伝いをしたり、
NPOグランドワーク三島が主催の、地域で活躍する人を増やす為の研修を受けたりしました。
「食を通じてのコミュニティーづくりをしたい」と計画書を出して、
採択され、支援金をいただいたことも、法人設立の後押しになりましたね。
事業内容のブラッシュアップのために相談にのってくれたメンターが、
たまたま社会起業大学の元学長で入学を勧めてくれて、結屋を立ち上げつつも半年間通うことになりました。

――社会起業大学に通われて、よかったことは何でしたか。

川村:自分の事業を支えるシンプルな動機(原体験)をつきつめて考える機会を
たくさんいただけたのがよかったですね。
ここがブレてしまうと、壁にぶつかったときに心が折れてしまう。
「何のためにこの事業をしたいのか?」を掘り下げたことで、
おにぎりカフェで出会った人たちから学んだ
「食」の尊さやつながりの大切さを伝えたいという根本の想いに立ち返ることができました。
あとは、一緒に学んだ仲間同士で、互いの事業プランの改善点を伝えあい、
全力で応援し合えたのは、貴重な経験でした。
今でも連絡とりあって、刺激をもらっていますね。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 18:32| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

自分らしい在り方(Being)を大事にするNPO file.65(後編)

★前編はこちら★

早苗さんには、full bloom を立ち上げる前の活動をインタビューで伺っているので、
今の時点で、「自分らしいなぁと感じる瞬間についてお聴きしたいなと。

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西尾早苗さん(以下、西尾):人の内面からの「こうありたい」という夢に対して、
「それは素晴らしい!」と感動し、相手に励ましの言葉をかける瞬間です。
感動と励ましを相手に伝えると、その人がさらに上を、遠くを、見て。
清々しく羽ばたこうとする。これが自分らしい瞬間だなぁって感じます。

ーー社会人向けのBeing Session では、早苗さんの言葉で勇気づけられた人は
すごく多かったんだろうなと思います。私もその一人。

では、代表の安井亜希さんに、新卒でリクルートに入社を決めた経緯についてお聴きしたいなと思います。
学生の頃は税理士を目指していたとお聞きしました。

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安井亜希さん(以下、安井):「20代のうちに挑戦する機会が豊富にある」というのが入社の動機です。
幼少期から入院や大きな手術をする経験があったことから、“命は有限である”という意識がとても高かったのかもしれません。 “リスクは高くても、誰かの人生に深く関われる仕事がしたい”と思っていました。
大学に入り、税理士とは、会社の命である“お金”を扱う仕事なのだと、その可能性を感じました。
父親が創業時、会計知識がないことによって税理士に頼っている姿を見て、
「父親を助けたい。そして父親のように頑張っている中小企業の社長を応援したい」と思い、税理士を目指したんです。
ですが学生時代に税理士事務所で働いていたとき、色んな壁にぶつかりました。
財務諸表を読み解けない。社長の気持ちに寄り添えない。
社会の中で必死にもがいて働いたこともない若僧に、何ができるんだと感じ、凹みました。試験には合格しましたが、このまま税理士になるのはやめようと決めました。
税理士を手放したことで、明確な「やりたいこと」がなくなった私は、
20代のうちに色んな経験を積み、自分の可能性を広げてみたいと思っていたのでしょう。
最後の決め手は、個性的な社員がたくさんいたことなのですが(笑)。

ーー入社されてからどうでしたか。

安井:中小企業の社長に多く出会って、彼らの価値観や課題を知りたいとの思いから
営業を希望していたのですが、まさかの人事部配属で。
でも、これだけ多くの人を見てきたリクルートが決めたんだから
人事に配属されたことには意味があるんだろうなと思いました。
実際、採用に関わる中で、学生さんの人生に関わるやりがいを感じるようになりました。
「あなたの命、どう使うの?」
学生たちにこの問いを投げかけるのは、
「生まれてきた意味を使い切って生きてほしい」という思いがあるから。
コーチングの勉強をする中で、特定の会社の人事ではなく
もう少しフラットな立場で関わりたいという気持ちが強まり、
しばらくはリクルートと並行してコーチをやっていました。
コーチングに出会ったときは正直、「嬉しさと悔しさ」の両方があったんです。
自分が大切だと思っていたことが、すでにこんなにも体系化されて汎用化されていた。
もちろん心強いけれど、最初は圧倒されましたね。
現在はコーチとfull bloom 、父の会社が主な活動のフィールドです。

ーー「あなたの命、どう使うの?」って、自分の心の声を聴こうと思える大事な問いですね。
もっとお一人ずつお話を深く聴いていきたいのですが、
今度はみなさんに、full bloom の活動をしている中で感じていることを、
お聴きしたいなと思います。

田村:やっぱり!と思ったのが、親とのあり方が、その人の生き方に
大きく影響を及ぼしているということ。
学生たちが自分自身と見つめ直すワークの中で、
自分を認める場面での判断基準が、親の見方を引きずっていることが多々あります。
親のリアクションを察して「こう考えた方がいいだろう」と無意識に思っている子とか。

西尾:Being Camp でみんなと過ごす時間は、一泊二日で40時間程度ですが、
これまで背負ってきた鎧を脱いで、自分を生きるようになった学生たちは
泣き出したり、キラキラした表情を見せたりと、本当に大きな変化を遂げるんです。
カウンセリングやコーチングなど、一対一で自分を掘り下げる場とはまた少し違って、
みんなが集まる「場で感じられるもの」があるのかなと思います。
参加者の感想で多く寄せられるのが
「私と同じような悩みをみんなも抱えているんだな」というもの。
特に家庭のことって普段は人と比べたり、自分の家庭を客観視したりすることはありません。
ですが、人生グラフ(人生のモチベーションの浮き沈みや転機をグラフに表したもの)を共有する中で、
親との関係を紐解いていき、楽になる場面が訪れるのかなと思います。

此下:「弱い自分も含めてすべてを安心してさらけ出せる場」が
世の中に予想以上に存在していないのだなと改めて思いました。
そんな中、full bloom で自分を出して、変わろうとする子たちを見ていると、
安心して自分を出せる場そのものが大切なんだなと感じますね。

安井:自分の人生を生きようと決めたときの、その人のエネルギーレベルはすごいです。
自分の人生の舵を自分で切り出すと、人生や社会の傍観者ではなく、当事者になる気がしています。
人からもらった言葉やきっかけで人は変化できるし、昨日とは違う自分になれる可能性があるんだなって。
そういうエネルギーは、絶対的な安心感がある場があって、
深く人と対話して自分をさらけ出して初めて生まれてくるのかなと思います。

ーープログラムに参加した学生たちが「また参加したい」とやってきたり、
スタッフとして関わり始めたりしているのがすごいなって思うのですが、
こんなにも引き寄せられていく理由って何だと思いますか。

安井:一番はfull bloom の理念や世界観に共感してくれているからでしょうね。
「フルブルがめっちゃ好きです!普段こういう話ができる場って少ないし」
という声をいただくことが多くて。
あとは、日常生活で自分らしくい続けることはなかなか難しいので、
定期的にフルブルに参加することで、いい状態を保ちやすくなるのかなと。

ーー最後に、今後挑戦したいことを教えてください。

安井:共感共鳴の力で活動の幅を広げて、より多くの人に“自分らしく生きる”、ための機会提供をすることです。大学や企業との提携や、共感し合う他団体とのコラボにも前向きに取り組もうと思っています。
full bloom の世界観は、私たちそして参加した人たちの想いの連鎖で広まっています。
ただ、プログラムを開発・提供するだけでなく、その価値を伝えていく活動にも
力を入れていきたいですね。
また、寄付の仕組みなど、支援者の力を借りる仕組みをつくることで、資金が限られているがゆえにブレーキがかかってしまうのを減らして、もっといいものを届けたい。
持続的にfull bloom の活動を続けていけるよう、工夫していきたいと思います。

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メンバーひとりひとりともっとお話したい。
そして、full bloom の魅力の一つは、人の可能性を心の底から信じ、
自分らしく生きることを見守っていくメンバーたちの魅力なのだということを日本中に発信したい。

そんな思いで胸がいっぱいになった時間だった。

メンバー各人のモチベーションの源や、人やキャリアが人生のテーマになった経緯が異なり、
その違った光がまじりあうからこそ、
このメンバーでしか創り得ない「場の空気・世界観」があるのだと思った。

色んな人の可能性を開花させていくfull bloom のイベント。
またもう一度参加できる日が今から楽しみでたまらない。
posted by メイリー at 00:25| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分らしい在り方(Being)を大事にするNPO file.65(前編)

「あなたは今、あなたの人生を生きていますか?」
ドキッとさせられる問いに、
一点の曇りもなくYesと答えられる人はどれだけいるだろうか。

「“自分らしさ”や“在り方(Being)”を大事に生きて欲しい」
そんな願いを、実現しようとしているNPO法人、full bloom。
学生から30歳までの若者に対し、Beingを大事に生きていく力を身につけていけるようなプログラムの開発・実践をされている。
教育×キャリアインタビューに登場していただいた西尾早苗さんから
full bloom のお話を伺って以来、ずっと気になる存在だった。

そのときの記事はこちら
一人一人の可能性を開花させるキャリアカウンセラー file.49(前編)

2015年3月14、15日に私はBeing Sessionに参加させていただいた。
Being Session とは、「Being Camp 〜自分らしさを仲間と探す2日間〜」という、
月1回、計13回開催してきた学生向けのプログラムを
社会人向けにアレンジしたものである。

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この素敵な場を多くの大学生・若手社会人に伝えたいという
兼ねてからの思いは、願いを越えて「確信」になった。
full bloom の理念や活動内容はHPFacebookをぜひ参照してほしい。

今回は、メンバーがfull bloom を立ち上げるまでに携わってきた仕事や活動と、
そこで何を感じてこられたのかを中心にお聴きし、
full bloom の活動の中で感じた想いを言葉にしていただいた。
メンバー紹介はこちら

☆☆☆☆☆

ーー今回は少しずつになってしまいますが、まずは此下友佳子さんから、
これまでの経験について、主にお仕事の面でお聴きしたいなと思います。
組織変革コンサルティングを主な事業とするリンクアンドモチベーションに新卒時に
入社しようと決めたきっかけって何でしたか。

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此下友佳子さん(以下、此下):きっかけは、会社の「ひとりひとりの本気がこの世界を熱くする」というメッセージに心を動かされたこと。
モチベーションという、自分を突き動かすものは本来非常に大切なものですが、
それが大切にされていない現実に何かアプローチできたらと思ったんです。
モチベーションは目に見えないし、人によって様々。
答えのないものをつくるのは大変だけれども楽しい。
今ではまた別の表現ができるかもしれませんが、
当時は「強い組織づくり」に携わりたいという気持ちが強くありました。
私の中での「強い組織」は、組織を構成する個人の夢と、組織のビジョンが重なっているイメージです。

また、この会社に入ろうという後押しになったのが『僕たちのマイルストーン』という採用の冊子でした。
各部署で活躍する社員ひとりひとりが、自分の今につながった原体験を赤裸々に語っていく内容で、
そこに綴られた色んな生き方にワクワクしたんです。
「パリには本物の絵を描く画家が多い」という好きな言葉があるのですが、
それはパリにいれば、本物の作品を見続けることができるから。
私も「本物」を見続けて、「本物」を見出せるようになれたらと思っています。

ーー人も組織も、「答えがないけれど本質的に大事なもの」に関わりたいという気持ちがあったのですね。

此下:元々、すでに形のある商品ではなく、無形のものを売りたいという思いがありました。
人や組織のコンサルティングは、コンサルタントの知識の多さだけでなく、
その人の意識、考え方という「心」の部分も重要なので、まさに「自分」で勝負しないといけない。
組織の中で、個人がどう束ねられて結果を出していくかを探究しながら、
ゼロから答えがないものをつくっていくプロセスに面白さを感じていました。

ーー現在は、full bloom の活動やコーチングなどをフリーランスという働き方でされているとのこと。
友佳子さんがフリーを選ばれたのはどんな理由からでしょうか。

此下:私の中で「組織」というものの定義が変わったのが大きいですね。
会社組織での決められた役割によるつながりよりも、フリーランスとして、
自分ならではの強みで人とつながっていくことの方が、今の私には合っていると感じました。
「強い組織づくり」を第三者ではなく直接担いたいとの思いから、一度転職したのですが、
組織という枠にはまらなくてはいけないという点に、少し窮屈さを感じていたんです。
フリーランスになってからは、自分を起点にして、色んな人とのつながりが円のように広がって、
広がり同士がつながっていく… そんな状態に変化してきました。

ーーフリーになられてからのお話はいつかもっと詳しくお聴きしたいです!
次は、田村篤史さんにお話を伺えたらと思います。
以前、京都移住計画の取材に同席させたいただいたときに自分事のテーマとして「キャリア、ローカル」を挙げていたのが印象的でした。
その理由をぜひお聴きしたいなと。

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田村篤史さん(以下、田村):キャリアやローカルのテーマが面白いというのに尽きるのですが、
「自由であること」が僕にとって大事だからだと思います。
例えばローカルのテーマだと東京で働いていたときは、通勤ラッシュから逃れられなかった。
改めて強く感じたのは、「もっと楽しくいられる状態を選びたい」という願望。
「ありたい環境」を自分で選び取びとる、
なければそれを自ら作り出せるライフスタイルを大事にしたいですね。
どんどん外へ広げていこう!というよりは、
自分の想いに共感して、「一緒にやれそう」と思いあえる仲間とやっていきたいという思いが強いです。

ーー自分で「ありたい環境」を選び取るといった価値観は、
いつ頃からもつようになったのでしょう。

田村:きっかけは、APU(立命館アジア太平洋大学)への一年間の留学でした。
当時の僕は「リサイクルビジネスをしたい」という妄想だけで、行動を伴っていなかった。
ですが、APUでは同年代の人が自分の思い描いていた夢をすでに形にしていて、
大きな衝撃を受けたんです。
APUには留学生がたくさんいるのですが、彼らの家電のリサイクルビジネスが実現されていた。
嫉妬心と、「自分にでもできるんじゃないか」という思いが生まれ、
「やっているとやっていない」の大きな差に気づいたんです。
形が小さくてもかっこよくなくてもいい。
そこでスイッチが入って、行動量が増えました。
NPO出資のカフェの経営や、フリーペーパーの制作、そして京都のベンチャー勤務。
東南アジアやインドなど海外を半年間放浪したこともありました。

ーー 一気に行動に移していかれたのですね。新卒で人材業界の会社を選ばれた理由は何でしたか。

田村:休学中にインターンしていたベンチャーでの経験が影響しています。
当時は人の入れ替わりが激しく、楽しそうに働いているとはとても言えない社員がいました。
「自分もまわりも楽しく働きたい」という思いから
社員へのヒアリングをして、会社の課題とその解決策を明らかにするというプロジェクトを社長に提案したんです。
結果をまとめたレポートは50枚くらいになりました。
今思うと理想論すぎるところもありますが、このプロジェクトで社内の雰囲気が良くなり、
辞めようと思っていた人が「もう少し働いてみるよ」と言ってくれたのは嬉しかったですね。
こうした経験が、人材への興味につながったのかなと。

ーー「人と人をつなぐのが本分」ともおっしゃっていましたが、この背景には何があるのでしょう。

田村:つなげる楽しさに気付いたのは、社会人になってシェアハウスを始めてからです。
例えばAとBという場をつなぐとしたら、
AとBの場を何となくでもいいから知っていることが必要になりますよね。
一カ所に留まるのではなく、色んな場に自分を置いて、見えてくる世界を広げていく。
それぞれの場で人とふれあう中で、目指す世界が近い人が見つかれば、
「こんな世界もあるんだけど、見てみたら?」と提案していきたいと思います。

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 00:07| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

キャリア支援で日本を変えていく現代の熱き志士 file.64(後編)

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前編はこちら

――想像を絶する光景ですね…!
この時期の経験が今の人材育成観につながっているのでしょうか。

熊澤:多少影響しているでしょうね。
商売や労働時間が違っても、国籍が違っても、一緒に働く期間は限られていても、
共に働くスタッフ一人一人が楽しく働けるように気を配っていたのは、
小さいころからの影響をくれた人たちのおかげでしょう。
彼らが帰るときは誰よりも大きい声で「おつかれ」と言う。
良からぬ道に足を踏み入れそうな影のある子には「週2は必ずうちのバイトに来いよ」などと伝え、
彼らの相談にものっていました。
別に特別なことをしていたことは無いし、当たり前のことをしていたと思います。

これは自慢なんですが、私が店長をしていたときは
「店長が死ぬほど働く・・・」みたいなことは起きず、人手不足で悩んだことはありませんでした。
今、振り返ると、スタッフにやめたいと言われたことはありませんでした。
むしろ他の仲間を店に引っ張ってきてくれて、「こいつも働かせてやってください」と言うくらい。
みんなでいかに利益を出していくか知恵を絞って働くチームに自然と育っていきましたね。

結局、この仕事が本当に世の中のためになっているんだろうか?という疑問が頭をもたげ、
政治家秘書へ転身しましたが、「社会をどう次世代に引き継ぐか」というテーマがずっと頭にありました。
それが「時代を繋ぐ旗印になる」というキャリアフラッグの経営理念にも引き継がれています。

――そこまでスタッフや後輩のために動けるのはなぜなのでしょう。

熊澤:自分たちが上の人たちにそうやって育ててきて頂いたからです。
よくしてくださった先輩たちに何とか恩返ししようとしたら、
「後輩が困っていたら助けてやればいいんだ」と言われたのを今も覚えています。
社会に出て約15年経ちますが、次の社会を担う若者たちに
自分が何を引き継げるだろうかと常に考えさせられますよね。

――熊澤さんは高校時代応援団をされていたと聞きましたが、
応援団に入ったきっかけは何でしたか?

熊澤:きっかけは先輩に誘われたことですが、
親に逆らいたいという気持ちが根っこにありました。
キャリア支援の世界の言葉で言うなら、親と違う価値観をもった自分を自分で認めたい・・・ということですね。
進学校に通っていたのですが、親から「勉強しろ」と言われるのがいやで、
それに対抗できる自立した価値観の土台がほしかった。
応援団は他の部活と違って、誰でもできるようなものではないと思っていたんです。

――応援団ではどんな日々を送っていたのでしょう。

熊澤:3年間、修行寺みたいでしたね。
朝7時には校門前で拍手の朝練を1時間。
拍手し続けていると手から血が出て、最初は赤いんですが、徐々に白い液体に変わっていきくような状況でも、「音が出てない!」と先輩から、ご指導を頂く。笑。
男子校だったこともあり容赦なかったですね。
もちろん、昼練習と午後練習もバッチリある。
経験したことない人には理解し難い世界でしょう。
でも当時の自分にはそれが普通のことでした。
だから私たちが、他の運動部の部活の試合の応援に行くと
その同級生の運動部の部員たちは「お前らに応援されたら、歯を食いしばってでも負けられない」って言って、笑っていましたよ。

――応援団での経験は、今の仕事へのスタンスにも影響しているのでしょうか。

熊澤:そうですね、今日も夜遅くまで大学のキャリア講座について
メンバーと企画を練り続けていましたし
必死に考えて行動するのが当然というのはあります。

――インタビューをしていると、仕事にやりがいを感じる瞬間があるという人も、
目の前のことに没頭しているからやりがいなんて意識したことがないという人もいるのですが、
熊澤さんの場合はどうでしょう。

熊澤:日々必死に生きている人はやりがいを意識しないか、
または「日々感じ続けている」んじゃないでしょうか。
時々感じるというほうが不思議。
孫正義さんがジョークをまじえて「頭が禿げるまで(事業のことを)考えろ」とおっしゃっていて、
そういうのには憧れますね。夢に仕事の場面が出てきますからね。
部活時代や、ラーメン屋の時から、ずっとですが、、、

――では、逆に壁を感じたことってありますか。

熊澤:毎日が壁にぶつかる日々ですね。
前に進み続ける生き方しかしてこなかったので壁ばっかりですよ。
ボクシング・チャンピオンにもし「優勝したら、ほしいものは何?」と尋ねたら
「チャンピオンベルト」って言うに決まっていると思うんですよ。それしか見えてない。

――熊澤さんにとっての「ベルト」は何なのでしょう。

熊澤:それが今はキャリア支援なんでしょうね。
目の前の学生が頑張ろうと一念発起しているのを支えたい。
そして、学生たちに変わってもらうために、真剣に考え始めている大学職員の方々を何とかサポートしたい。その一心ですね。

☆☆☆☆☆

熊澤さんの背中に赤い炎が見えた。
まるで維新の志士たちに会ったような感覚だ。

ラーメン屋の統括をしていたときの臨場感あふれる彼の語りには、つい吹き出してしまった。
キャリア支援への使命感を語られたときには、知らぬ間に涙が頬をつたっていた。
それくらい彼の人生が起伏に満ちていて、
彼の伝えるメッセージが強烈に心に刻み込まれたからだろう。

壁を感じるのは毎日という、前に進み続けるのが当然という常に真剣勝負な生き方。
ご自身はそれを特別なこととは感じていない。
ただ目の前の困っている人を助けたいだけ。
彼の一点の曇もない高潔な志と、利他精神に圧倒されてしまう。

ちょうど私はインタビュー当時、キャリアの転換期に差しかかり、
あらゆる感情が心の中でかき回されている状況だった。
サイトの向こう側にいる、夢を追いかける人たちはもちろん、
そんな私の心にも火が点くよう、
こんなにも熱く語ってくださったのだろう。

その思いやりに深く感謝すると同時に、
この学びや感動を次世代に届けるべく、動き続けようと心に誓った。
posted by メイリー at 09:42| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャリア支援で日本を変えていく現代の熱き志士 file.64(前編)

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熊澤匠さん。
顧客開拓・人事営業を経験後、社内の年間100回に及ぶ就職セミナーや、
大学内の就職ガイダンスの講師を務め、2010年にキャリアフラッグ株式会社を設立した。
学内キャリア授業や就活セミナーを企画展開し、数校の大学内の非常勤職員を務め、
就業力育成支援事業にも携わる。
紹介いただいた方から「赤い炎をもつ人」とお聞きし、
HPからでも伝わってくる情熱の背景に迫りたいと思い、お話を伺った。

☆☆☆☆☆

――まず、キャリアフラッグの活動について、教えていただけますか。

熊澤匠さん(以下敬称略):キャリアフラッグでは、株式会社PUFFさんのお手伝いでウルトラインターンという学生たちが、ありとあらゆる業種・職種の社会人にアポを取り、
OBOG訪問するプロジェクトを運営しています。
ポイントは、学生たちが自ら行動する力を醸成できるような「ホームルーム」を設けているところです。

6年前にこれとほぼ同様の企画を行っており、「OB訪問 十五ヶ条」という本にまとめています。
大事なのは本人たちの自発的な挑戦の意志なのですが、
「自分が弱みを見せて泣ける場」や「自分を育んでくれた場」がないと、
学生たちは安心して挑戦できないんですよ。

――「自分を育んでくれた場」ですか。

熊澤:「育まれてきたという実感」は非常に大事。
例えば「家族はありがたい存在」という意識をもてるかどうか。
家族以外にも友人など、信頼できる人、
つまり足場をつくっていくサポートをするのが私たちの役割ですね。
友人という足場ができると、今度は親に反抗して自分の世界を広げられる。
自分で足場をつくってこなかった学生には、
まずは講師である私たちに頼ってもらうところからのスタートです。
私たちは、この足場を世の中にたくさん増やしたいと思っています。
キャリアフラッグはあくまでその一つ。
講師は風をふかすけれど、あなたがあなた自身の足場の上に旗を立てるんだよと。

――家族や友人など複数の「足場」があるからこそ、新たな挑戦ができるのですね。
キャリアフラッグを立ち上げようと決めたきっかけは何でしたか。

熊澤:リーマン・ショックの影響で前職を辞め、自分一人でやっていこうと決めたのがきっかけです。
元々キャリア支援の経験を積んで、市場感覚ももっていたので
先輩からも「やったほうがいいよ」と後押しされました。
仕事において「これをやりたい」というのはあまりなく、
ただ目の前の困っている人を応援したいという思いで動いているんです。
前職で、どんな企業を受けてもバシバシ落ちて
内定を得られない子たちを目の当たりにした。
本来義務教育をきっちり受けたら仕事に就けるのが当然なのに。
でも実際には、友達を作る方法すら実地でちゃんと学んでこなかった子さえいる。

――そんなに厳しい現状なのですね…。

熊澤:大学も含めて社会に出る直前の学生を抱える教育機関の多くは、
学習や基礎能力が開発され終えたという前提に立っているので、
学生の何の能力を開発したいのかについて明確なポリシーがなく、
教育の「教える」の部分はやっていても「育てる」の部分が疎かになっている。

だから自ら足場をつくる力を身につけていないまま就活を迎える子が増えてしまった。
新聞紙面で書かれる流れの就職活動に乗れなかった学生たちを集めて、
面接で声を出せるようにと、大縄跳びをさせたことがあります。
ところが、縄をまわす人を決める段階から、戸惑ってしまう。
みんなで話し合って良い策を考え出すまで時間がかかるという有り様です。
仲間との距離を作る能力を鍛えずして、どうやって見ず知らずの社会人との距離をつくる「面接」に立ち向かえるのでしょう?

みんな就活で初めて危機感を覚えるんですよ。
危機感に対して戦おうというのは、ある程度受験の世界で打ち勝ってきた人の発想です。
成功体験をもっている学生の発想です。そうじゃない子の大半は逃げてしまう。
危機感にどう対処するかを学ばずにきてしまったし、
それが大事だと知らずに育ってきたからです。

こういう学生を抱えて困っている大学の現状を知ってしまったからには
そこで必死になっている教職員の方々を、放っておけないんですよね。
最終的には僕たちの手を借りなくても真の教育が大学で行われている状態になることを願って、
志のある大学の教職員の方々と協力して企画を練る日々です。

――困っている人がいたら放っておけないのは昔からですか?

熊澤:小さい頃からの刷り込みですかね、きっと。
35年ほど時間を巻き戻しますが、僕は長男で弟と妹がいて、
「お兄ちゃんなんだから支えてあげるものよ」と親から言われ続けてきたのが記憶の原点です。
国立の教育大付属の小中一貫校に通っていたのですが、
小学六年生が下校中の一年生を見つけたら、手をつないで一緒に帰るのは当然の風景だった。
バスの中でも、定期を見せて運転手さんに挨拶をして乗り降りするのは当然で、
「下級生にお手本を示すべき」という教育方針が徹底しており、
卒業式の予行演習でも何度も起立!礼!を何度もさせられて、
「在校生にどんな背中を見せるのか」、「何を伝えて出て行くのか」を、とことん考えさせられましたね。
だから次世代に何を渡していくかを自然と考えるようになったのかもしれません。

――よく「多くのものを背負っている」と周りから言われませんか?
熊澤さんの使命感の炎を感じます。

熊澤:政治家秘書を務めていたときに、
「世の中を少しでも良く変えていきたい」という志を本気で実現させようとする政治家たちや、その支援者の方々にたくさん会ってきたからだと思います。
高度経済成長期を支え、今の日本を築いてきた世代の人たちから
激励を受けることもしばしば。
手も震えておられるくらいにお年を召した支援者の方とお酒を飲んでいて
「日本を頼むよ」という言葉をいただいたことがあるんです。
もうこっちが震えて酒が飲めないよって(笑)
これは何とかせずにはいられないですよね。

――それは震えますね。政治家秘書をされていたのは、いつ頃のことだったのですか。

熊澤:27、28歳の頃ですね。
その前はラーメン屋を何店舗かFC経営していたこともあります。

――そのときのお話を聞かせていただけますか。

熊澤:新卒で入った営業職に慣れてきて、退屈さを感じ始めていたら
とある大手FCチェーン飲食店から店舗をいくつか統括してほしいと
お声がけいただき転職したんです。
現状の退屈さからの逃げと、評価されたことに調子に乗って転職を決意しました。

ですが、当時狂牛病などの影響もあり、急きょ隣接部門のラーメン店のアルバイトになったんです。
任されたのは、夜9時から朝5時まで毎日満席で、行列がズラーっとできるほどの繁盛店。
夜勤アルバイトの多くはアジアの留学生です。グローバル?ですかね。
最初は店でモチベーションリーダーしかできませんでしたが、
そのうち、彼らのマネジメントそしてお客さんのクレーム対応を一手に引き受けました。
気が付いたら、社員にしてもらっていましたし、一晩で1000杯くらい売れてましたので、
完全に肉体労働で、麺とスープ合わせて2000回、
お風呂の小さな桶を掬い上げているような体への負荷ですね。
お客さまの注文状況を全部頭に入れ、大混乱の店舗でスタッフの中国語を解読する。
しかも彼らは様々な方言をしゃべるのでお互いが通じてないこともある。
そのうち、何語なんだかわからなくなる店内で、口も手も高速で動き続けて、もう千手観音みたいでしたよ(笑)ワールドカップの時期には店で暴れる外国人の泥酔したお客もいましたし。
やくざ稼業の方と向き合ってMTGした?こともありますが、日本語が通じるだけマシ。
キャリア教育の世界とだいぶ違うでしょう(笑)

☆後編につづく☆
posted by メイリー at 09:34| インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする